ベランダに出たら何か知らん鳥と目が合い、お互いがお互いの存在を意識しつつ緊張感保ったまま知らんふりを続けた。
電車で座ってたら目の前の座席にいる人が全員リュックを抱えていて「リュック率100…!」と心が踊った。
パンをオーブントースターやホットサンドメーカーで焼く時、「まだ焼けてないなー」と「焦げた!」の間が一瞬すぎていまだ見極めがつかない。
こういう、死ぬほどどうでもいい話をその瞬間誰かにしたいし、こういう話だけたくさんして生きていけたらいいなと思う。
友人K君は一緒に飲むたび「俺がマックでハンバーガーを食べたくないのはなぜか」や「エナジードリンクのヤバい話」など、こだわりがありすぎるのに全体としてはどうでもいい話をよく聞かせてくれるところが大好きだ。こういうのを「意味がないしオチもない」と思う人もいるんだろうけど。
私は、他人のどうでもいい話、でも話してる本人はどうでもよくないので楽しそうに(または怒りや悲しみに満ちて)語ってくれるのを聞くのが好きだ。そういう話だけたくさんキャッチボールしながら「わかるーーー!」「いやぜんぜん分からんww」とか言い合っていたい。
(大学時代の友人たちは結構そういう話をするタイプなので、今でも会うとそういう方向になることが多く、別れ際「そういやみんなの近況ぜんぜん聞いてない!」と思うことが多い)
もちろん、映画やマンガの話、政治や社会の話、仕事の話など、どうでもよくない話を深堀りしまくってするのも大好きだけどさ、よほどの相手でないと、それ毎日はできないから。
そういう「小さくてどうでもいいこと」を綴っているのになぜかとても面白くなるのが、本になっている日記というものだろう。私は小説よりもそっちの方が好きなのだけど、その最高峰はやっぱり武田百合子さんだと思う。
「富士日記」を初めて知ったのはかなり遅かったのだけど、ずっと「知る人ぞ知るすごいものを知ってしまった…」と内心得意になっていたのが恥ずかしい。あんなに普遍的に愛されている著名な方だとは知らんかった。
余計な装飾も感情の吐露もほとんどないのにあれだけ魅力的な文章になるってなぜなんだ。読むたび感心してしまう。
日常のちいさい瞬間を見逃さず、自分の言葉で綴ったり語ったりできること。それを誰かが読んだ時に何らかの楽しさを見つけてもらえること。そうなれたらいい。
今日観た映画。
ずっと観たいと思ってた「ウィーアーリトルゾンビーズ」をやっとWOWOWでキャッチできた。
冒頭から心をつかまれる。言葉がいい意味でうるさい、疾走感をもってばすばす刺さってくる。エグいのにファンタジー。ありえないのにリアル。音楽も溢れる色も展開も大好きだった(合わない人は徹底的に合わなそう)。
「IT」のルーザーズクラブよりも感傷的ではないけど同程度に苛酷なつわもの4人組。
表題曲とエンディング曲が1日中ぐるぐる頭をまわってる。
以下がその2曲のMVなんだけど、映画観てない人は観てからのほうがいいです。
映画のいちばんいいシーンがそのまま使われてるので。↓
こちらはエンディングに流れた曲。やっぱりこれも映画観てからの方がしみる↓