【自分史】生まれてからギターを始めるまで | Hi-Low's days

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『高橋会』というアーティストさんの交流会の幹事をやっております。

また久しぶりの更新となってしまいました。。

 

さてさて、なんとなく自分の歴史を振り返ってみようと思い、何度かに分けて書いていきたいと思います✏️

 

まずは自分がこの世に生まれてきてからギターと出会い、ギターを始めるに至るまでを振り返りたいと思います🎸

 

昭和もそろそろ終わる頃、一万円札の肖像画が福沢諭吉氏に変わった年、東京の西の田舎で生まれました。

大工を営んでいた家庭の長男として生まれた私に対して、家族は恐らく家業を継がせると思っていたのではないでしょうか。

ちなみに両親は一切楽器をやっていませんでした。

 

しかし父は癌に侵され、何度も入退院を繰り返し、中々一緒に遊べないまま、私が5歳の頃に他界してしまいました。。

 

当時、自宅にカラオケ機器があったため、私は小さい頃から、祖父母の影響で演歌を歌い、地元のカラオケ大会に出たりもしていました。

その後、J-POPを知るようになり、初めて買ったCDはB'zの『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』とCHAGE&ASKAの『YAH YAH YAH』でした。

 

小学生になって少しした頃、母の実家に引っ越しました。
伯父や祖父の影響で野球を始めるも、従姉妹の影響でX JAPANを聴かされていましたが、当時はX JAPANと認識せずに聴いていました🎵

 

中学一年生の頃、野球部の友人宅に遊びに行った際、その友人がアコギでGLAYの『BELOVED』を弾いているのを見てギターに興味を持ちました。

当時、ギター=アコースティックギターで、

エレキギター=ベースという誤った解釈をしていた私は

ベースを始める!

と周りに言っていました。

 

その後、LUNA SEAに憧れ前述の従姉妹からエレキギターをもらいギターを始めました。

(その時にエレキギター≠ベースということに気づきましたw)

 

そして、ご多分に漏れず、Fコードが押さえられずギターはしばらく部屋のインテリアへ。

 

しばらくしてから友人の兄貴がLUNA SEAのSUGIZOモデルを安く売ると言ってくれましたが、当時再婚していた父親がギターに反対。

それでもSUGIZOモデルが欲しかった私は内緒で祖母にお願いしてお金をもらい、SUGIZOモデルをゲット。

家には置けなかったので祖母の家に置いてもらい、部活が早く終わった日はSUGIZOモデルを眺めに立ち寄ったのがいい思い出です。

 

その後、母は離婚し、再び母子家庭に。

そろそろ中学も卒業が近づき、進路を考える時期。

私は身長が止まり、野球部でもスタメンを取れずにいました。

友人と一緒に近くの高校の文化祭に行くと、ロック部がライブをやっており、凄まじい音量と生徒の盛り上がりに圧倒され、衝撃とやりたいことが決まりました!

『この高校に入学してロック部に入部してバンド組む!』

 

その後、予定通り?推薦受験で合格、高校受験が終了し、前述の友人の兄貴に師事し、ギターを再び始めました。

当時、雑誌のBANDやろうぜ!を愛読していて、BOSSのマルチエフェクター ME-30を大プッシュしており、池袋の池部楽器に買いに行き、恐る恐る店員さんに話しかけ買って帰ってきたこともありました。

でも、マルチエフェクターの使い方がわからず、友人の兄貴に教えて貰いながら操作しつつ、初めて丸々一曲弾けた曲は、兄貴が課題曲にしてくれた黒夢の『Miss MOONLIGHT』でした!

 

そんなこんなでギターが弾ける喜びを感じつつ、高校へ進学へ〜

 

次回に続きます!