海外に住むということ・・ 父の死 1 | 国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

これは、私の過去の記録(日記)です。
イギリス人の夫と国際結婚 
中東で海外生活を経て
やっと日本に戻ってきた。。
海外でも日本でも何故かいつも微妙に波乱万丈をしている
2児の母です。

私が賦活して以来

たくさんの励ましの

コメントやメッセージ

父への弔いのお言葉

本当にありがとうございます。。

 

今はちょっと不安定な自分なので

コメントやメッセージをていただいて

かなり救われました。。

 

本当にありがとうございました。

 

 

さて・・

今日から今まで避けていた重苦しい話をします。。

親の死。

 

死の直前のバタバタ

葬儀での色々なこと

 

書いていこうと思います。

 

最初は「国際結婚をするということ・・」という

タイトルにしようかと思ったけども

よく考えたら

国際結婚しても海外に住んでない人には

私の経験は関係ないし

日本人同士でも海外に住んでれば

同じような経験の人が多いだろうから

海外に住むということ・・・にしました。。

 

海外に住んでいれば

起こり得る

家族との決別の葛藤など

を中心に書いていこうかと思います。

 

 

妹がオマーンにやってきた。

それは私にとってとても嬉しいこと。。

 

今回やってきた一番下の妹は

父の面倒を見るために

毎週末片道3時間かけて帰ってくるような

優しい子。

 

真ん中の妹は子供がいて

自分も病気だし

父との仲もあまり良くないため

近くに住んでいても

あまり顔は出さない。

 

まあ、海外にいて

一番何もしてない私には

真ん中の妹のことを

文句言う権利などない。

 

頻度が少なくとも

いってくれてると言うだけで

ありがたいと思ってる。

 

でも、一番下の妹には

それ以上のありがたさを感じてる。

 

その妹がやってくると言い始めたのは

去年の冬ごろ。

 

この頃は父の調子も良かった。

なので早めにチケットを取ろうと

妹は思っていたのだが・・・

 

今年に入って父の容態が悪化。

もうダメかもしれないと

みんなが覚悟を決めたほど

父の容態は悪かった。

 

しかし、この後

父は奇跡的に回復。

 

とはいえ、この時の病気で

痩せこけてしまい

顔は誰だかわからないほど

やつれてしまった。

 

妹はこの時点で

くるかどうか迷っていた。

回復したとはいえ

こんなに痩せて体力も落ちてる状態じゃあ

安全ともいえない。

 

最後の最後まで

妹は迷い

出発前3日くらいにやっと決心。

 

ゴールデンウィーク中の三日前のチケットは

当然バカ高い。

2倍の値段を払って

オマーンにやってきた。。

 

そこまでして

妹がオマーンに来たかったのは

きっと父の看病という

辛い現場から

一旦逃げたかったのだと思う。

 

その場所が姉の私のところだったのだ。

一番下の妹は

自分で言うのもなんだが

私をものすごく頼りにしている。

 

真ん中の妹はあまり気が利かないのか

一番下の妹を労うということをしない。

 

社会人になって

妹にご飯を奢ったり

食べさせたりしたのは

数えるくらいしかない。

 

むしろ一番下の妹が

姉の真ん中に

食事をご馳走することの方が多い。

 

奢る奢らないは関係ないだろうが

これで、一番下の妹が

真ん中の姉を頼れない関係であるのは

見えてくる。。

 

だから、私に頼れるというのは

一番下の妹にとって

ものすごくリフレッシュになる。

 

また、私にとっても

日頃、迷惑かけまくってる妹を

労ってあげるチャンス。

 

とにかく、妹が来ることが私は嬉しかった。

 

この数年、父が死ぬかもしれないと

常に日本に帰ることを意識していて

どこにいっても

胸の奥がつっかえる。

 

いつも思うのは

「私は父の葬儀に

間に合うのだろうか?

何かあって

すぐに駆けつけてあげれるのだろうか?」ということ。

 

父の死に目には会えないだろうとは

覚悟してはいる。

日本にいたとしても

全員が死に目に会えるわけではない。

だから、そこは仕方ないと

最初から諦めてた。

でも、せめて葬式だけは。。

 

オマーンと日本という距離からいって

通夜は間に合わないだろう。

どんなに乗り継ぎがよくとも

18時間は覚悟しないといけない。

だから通夜は普通に無理だ。

 

しかし、葬儀は何が何でも出る。

私は長女だ。

今まで何もしてあげれてない分、

葬儀ではみんなの力になりたい。

長女としてできる限り・・・。

 

海外に住んで

親の近くにいないと言うことが

こんなにも無力なのだと言うことを

常に感じ

近くにいないことに

いつも引け目を感じる。

 

そんな私の心を軽くしてくれるのが

この妹なのだ。

私の代わり以上のことをしてくれている。

 

私は妹を迎え

あちこち連れ回した。

オマーンはバーレーンと違って

見せるところは結構ある。

 

モスクに連れて行ったり

オールドマスカットに連れて行ったり

古いお城に連れて行ったり

砂漠に連れて行って

キャンプしたり。。

 

ありとあらゆるところに連れて行き

妹も楽しんでいた。

 

私は私で

妹と日本語で話せる喜びに浸っていた。

 

それでも。。

話すことといえば家のこと。

楽しい話ばかりじゃない。

私の妹もまた

胸の何処かに何かが引っかかっていて

心の底から楽しめてない。

 

しかし、それでも

現実を見ないでいいここは

妹にとって

安らかになれる場所であったよう。

 

そんなこんなで

妹との時間はあっと言う間に過ぎ。。

別れがやってきた。。

 

1週間は短い。

 

この時は真剣にそう思ったほど。

 

妹を送り出し

妹が日本についたその日

父の容態が急変する。

 

病院んから電話があった。

「血圧が急に下がった」と。。

 

血圧が下がるのは

悪いことじゃない。

 

私はそう思っていたのだが

透析をするときに

血圧が下がるのはよくないらしい。

 

血圧が急に下がったことで

透析ができなくなり

途中でストップしたと言う。。

 

透析ができなくなったら

父は数日で死んでしまう。

 

母と妹は病院に呼ばれ

一筆書かされた。

「延命処置はしない」と。。。

 

この日、血圧を上げる薬を父は処方してもらう。

 

すると今度は

高熱が。。。

 

息も絶え絶えだったよう。。

 

いっときして

血圧は正常値に戻ったが

こんどは熱が高くてガタガタと震えているよう。

 

そして、息遣いが荒くなったそうな。。

 

このとき、真ん中の妹も駆けつけてくれていた。

つまり、私以外の家族が全員そこにいた。

 

妹に色々詳細を聞きたかったが

妹たちも忙しいので

真ん中の妹がビデオを送ってくれた。

父の今の状態をとったもの。。。

 

それを見た瞬間

私は涙が溢れた。

 

今まで、文字で伝えてくれた内容に

間違いはない。

妹はいつもクリアに情報を

与えてくれる。

 

しかし、私はわかってなかった。

その言葉の裏にある

本当の姿を・・・。

 

その映像の父は

もう誰だかわからないほど

頬がこけ落ち

そしてガタガタと震えていた。

 

時折、声を出し

苦しそうに呻いてる。

 

苦しそうで

苦しそうで。。

その場にいて父の手をとって握ってあげれない

自分の状態が悔しくて悔しくて。。

 

涙がまたボロボロと流れ落ちる。

私は声を押し殺して泣いた。

 

父があんなに苦しんでいるのに

私は何をしてるんだろう。。

こんなところで。

 

そう思うと

余計に涙が出る。

 

それを見ていた夫が

肩を抱き寄せ

「行きたいなら

行ってもいいよ。

お父さんのところに行きたいでしょ?」と

私を慰めようとする。

 

本当は行きたかった。

でも、この時は間が悪く

1学校のテスト期間中

2引越しの段取りを決めたばかり(この日の3日後)

3夫の車が故障していて

修理に出していたのを取りに行かなければいけない。

などなど

なぜかこの日に限って

てんこ盛りに忙しかった。

 

行きたいけど

行けそうに無い。

 

此の期に及んで

理性でブレーキをかける自分が

とても嫌だった。

 

素直になぜあの時

全てを投げ出して

父のそばに行こうと思わなかったのか。

 

私は夫の問いかけに

すぐに返事をしたかったが

声にならないほど泣いていて。。。

うまく自分の気持ちを言えない。

 

そして、少し落ち着いてから

「今はいけない。

父の回復する力を信じて

祈るしかない。。」

そう、答えた私。

 

そして、その夜

日本では明け方

父の容態が一旦落ち着く。

熱が下がったらしい。

 

震えも止まり

意識も回復したらしい・・。

母が「私よ。わかる?

わかったら手を握って!」といった問いかけに

父は反応したらしい。

 

この後、落ち着いたと言うことで

妹は一旦会社に戻り

母は一旦着替えに家に戻った・・。

2人ともほぼ寝てない。

 

なので仮眠を取りに

戻ったのだが。。。

 

この数時間後

また病院から連絡がある。

 

「瞳孔が開いていて

様子がおかしいから

来た方がいいかもしれない」と

中のいい看護婦さんに連絡をもらったよう。。

 

瞳孔が開く・・・

 

そんな症状は

死後直後の反応以外

聞いたことがないのだが。。

 

夜中に連絡があった時

私はあまり理解ができなかったが

ネットで必死に瞳孔が開く原因を

調べた。。。

 

それを見た夫が

「血圧を上げる薬が

瞳孔を開かせたのでは?」と

言うので

そのままのことを妹に伝え

看護婦さんに聞くように指示した。。

 

しかし。。看護婦さん曰く

そんな風に作用するものは入ってないと言う。。

 

もし、薬のせいなら

大丈夫な気がするのだが

そうじゃないのなら・・・不安しかない。。

 

この日、数時間の仮眠をとった母と

会社に行くつもりで帰っていたが

とんぼ返りした妹は

また病院に張り付くことになる。。

 

次の日。。

透析の日。

 

相変わらず瞳孔は開いてるが

片方は瞳孔が閉じた。

つまり片方だけ

瞳孔が開いた状態。

 

血圧は正常。

熱もなし。。

 

この状態だったので

(血液を交換する)透析をすることに。。。

 

透析ができれば

父が数日で死亡なると言う

ことはない。

 

つまり一安心。。

家族みんな

ほっと胸をなでおろした。。

 

透析は通常2ー3時間かかる。

なので、母も妹も

この間に家に帰って

着替えたり食事をしたり

していたらしい。。

 

そして。。。透析し始めて1時間後。。

実家に電話が鳴った。。

病院からだった。

その電話は

父の血圧が一気に下降したと言うもの。

母は慌てて病院に駆けつけたが

間に合わず・・・

父は母が来る途中に

そのまま心停止になった。。

 

つまり父の死に目には

誰も間に合わなかった。

 

私は、回復した知らせを受けていて

安心していた。



丁度子供を学校に送り出し

自分の朝食を食べるところで

電話が鳴った。。

 

妹の「父が死んだ」と言う

一言に私は血の気が引くのがわかった。

 

覚悟はしていた。

だけど

まさか回復して安心した

その後すぐに亡くなるなんて。。

 

私は放心状態のまま

電話を切ったのであります・・

 

 

続く