(ネタバレあり)
家庭を持って地元に住む中学の元同級生の女子たち同様に、青砥健将も地元で働いている。老いた母の介護のため地元に戻り、それがきっかけで妻とは離婚、子供たちは独立して疎遠になり、50歳になった今は小さな印刷会社で働いている。ある日、青砥は、検査で訪れた病院の売店で中学の同級生だった須藤葉子と再会する。須藤は中学時代にコクって振られたことがある、芯の太い元女子だ。
彼女にも離婚歴があり、今は一人暮らしをしていた。早速飲みに行く約束を取り付けるが、人生で失敗を経験している二人は、元同級生という関係を超えることに慎重である。過去や事情を打ち明けあい、少しずつ距離を縮め、心のすき間を埋めていく。徐々に湧き上がる感情のうねり、孤独死も想定した質素な住まいで、人生の後半戦を一人でひっそりと生るという須藤の覚悟が、青砥によって崩されていく。二人が付き合い始めても中学校の頃のように苗字呼び捨てだったり、初めて体を重ねるシーンもわびしくてカッコも良くないが、それが何ともリアル。
元同級生のネットワークで噂が口の端にのぼりやすい地元、聞きたくない、聞かれたくない話も自然と耳に入る。外からどんな茶々が入ろうとも「須藤の値段は下がらない」と青砥が確信できた時、須藤は大腸がんを得る。人工肛門と抗がん剤治療の苦しみ、厳しい状況に置かれても、不器用ながらも頼り、頼られる生活が始まる。そんな平場の幸せを感じる二人を追う丹念な著者の筆致が胸を打つ。
やがて抗がん剤治療も終了し、徐々に自立を目指す須藤。そんな須藤の治療後最初の検診の日に青砥はとうとうプロポーズをするが、須藤は態度を豹変させて別れを切り出す。不器用な愛情表現のすれちがいに、青砥は、1年後にまた会うことを約して距離を置くことにして、ギリギリで決定的な別れだけは回避する。
冒頭で須藤の死が語られているので、読者は検診結果が芳しくなかったと想像がつくのだが、はたして須藤はそれを青砥に告げず、青砥も「異常なし」との須藤のことばを信じてしまう。「それくらい気が付けよ、青砥!」と思うのだが、彼の鈍さがなんとももどかしい。電話もLINEも通じない中、「須藤に会いたい」「声が聞きたい」と悶々とする姿がなんとも痛ましい。
再開の約束まであと少しというところで、青砥は、残酷なことに、二人が付き合っていたことを知らない中学の同窓生からの電話で須藤の死を知る。
再開してから、抗がん剤治療を終えるまでの1年間で、時間をかけてつましくも穏やかな愛を育んだ二人だが、がんの転移を知った須藤は、青砥に頼らず、一人で自立して闘病する道を選んだ。残された時間で、須藤は青砥に甘え、頼るべきだったと思う。それが青砥の望むことだったろうし、末期がん患者である自分のためにもそうするべきだった。意地を通した須藤はふと弱気になる時は無かったのだろうか。
19年の山本周五郎賞受賞、第161回直木賞候補は伊達じゃない。不器用に求めあう熱情と生きることの哀しみが何とも切なくやるせない。
私も最近中学時代の元男女で会う機会が結構あるので、、、おじさんの心に突き刺さる作品でした。
