京都でテーラーを営む曽根俊也は、ある日父の遺品の中からカセットテープと黒革のノートを見つける。
ノートには英文に混じって製菓メーカーの「ギンガ」と「萬堂」の文字。テープを再生すると、自分の幼いころの声が聞こえてくる。それは、31年前に発生して未解決のままの「ギン萬事件」で恐喝に使われた録音テープの音声とまったく同じものだったー。
(「BOOK」データベースより)
16年の第7回山田風太郎賞、同年の「文春ミステリー」第1位の作品である。自分は「賞」とか「第一位」とかいうことばに惹かれるタイプで、本作も単行本で読んでいるのだが、今般講談社から文庫本が出たので再読してみた。案の定、結末を含めかなり内容を忘れていて、おかげで大いに楽しんで読めたのだが、わずか数年でもこのザマである。30余年も前の事件を追うことは、さぞかし難しかろう。
言うまでもなく、元ネタは昭和の未解決事件である「グリコ・森永事件」である。事件はグリコの社長宅に二人組の暴漢が押し入り、風呂場から江崎社長を拉致したことから始まった。余談だが、この江崎社長、数年後の日航機墜落事故で帰らぬ人となった。思えば実にお気の毒な人である。さて、江崎社長は自力で監禁場所から無地脱出したが、その後、この犯人グループは、かいじん20めんそうを名乗り、警察やマスコミに人を喰った挑戦状を送り付けるとともに、店頭の商品に毒を入れるという卑劣な手段でグリコを始め6社の食品会社を次々と脅迫し、現金を要求する。しかしながら、用心深い犯人グループは、自分たちの指定した現金受渡し場所に中々現れない。警察も、何回か犯人確保の直前までいったものの結局逃げ切られ、犯人グループも結局現金を得ることなく終息宣言を出し、事件は迷宮入りしたまま時効が成立した。
そんな30年以上も前の未解決事件を、立場が全く違う二人の人間が追う。一人は大日新聞の記者、阿久津英司。記者としての意欲を失い、文化部で燻っていた彼が、この取材をきっかけに記者魂を徐々に取り戻していく。もう一人は、京都で親から継いだテーラーを営む青年
、曽根俊介。事件の脅迫テープの声が子供の頃の自分のものであることを知り、真実を知るために行動を起こす。
当然、未解決のまま時効を迎えたした事件に手がかりなどほとんどない。片や報道関係者、片や犯人グループ関係者の子供?前半はこの30台半ばの男二人の雲をつかむような調査が並行して続く。どちらが先に有力な証拠にたどり着くのか、そしてこの二人がどこで交差するのか、興味津々で読み進んだ。
物語も中盤を過ぎて、ついに二人は出会い、葛藤を乗り越えた俊介が阿久津に協力するようになる。そして謎解きが一気に進むのだが、そのリアリティが半端ない。ついに阿久津は犯人グループの生き残りの取材に成功し、事件の真相、全貌が概ね明らかになる。過激派の学生運動家、暴力団、仕手筋、その内容は、「きっと、本当に、これが事件の真相なんじゃない?」と思わせるくらいの説得力がある。
終盤は、俊介同様、図らずも利用され、事件の関係者となってしまった子供たちの消息を追うことになる。父に利用され、事件の真相を知りうることから犯罪仲間から追われる、悲惨な人生を強いられた姉弟の運命が悲しい。でも、最後の最後でちょっと救いがあって良かった。
下敷きにしたというよりも、実際の事件そのものの謎解きを試みたような小説で、ミステリーとしてもすごいが、それだけではない。ジャーナリスト魂を取り戻す阿久津、罪の意識との葛藤を乗り越える俊介、二人が出会うまでのハラハラ・ドキドキ感と、出会ってからの全く立場が違う二人の間の絆、同情の余地はありながらも身勝手で薄い犯人グループたちの言い分、エンタメ小説としても十分に傑作である。