「夏空白花」(須賀 しのぶ) 立場は違えど野球を通じて分かりあう、男たちの物語 | 「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

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廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。

夏空白花

1945年夏、敗戦翌日。誰もが呆然とする中、朝日新聞社に乗り込んできた男がいた。全てが無くなった今こそ、未来を担う若者の心のために、戦争で失われていた「高校野球大会」を復活させなければいけない、と言う。

ボールもない、球場もない。それでも、もう一度甲子園で野球がしたい。己のために、戦争で亡くなった仲間のために、これからの日本に希望を見せるために。「会社と自分の生き残りのため」という不純な動機で動いていた記者の神住は、人々の想いと祈りに触れ、全国を奔走するが、そこに立ちふさがったのは、「高校野球」に理解を示さぬGHQの強固な拒絶だった…。(「BOOK」データベースより)

 

18年の山本周五郎賞候補作。著者の作品は「また、桜の国で」に続き2冊目。

 

全国中等学校野球大会を、終戦からわずか1年後の昭和21年8月の開催にこぎつけた男たちの物語。主人公の神住は元甲子園球児であるが、練習のし過ぎで肩を壊し、甲子園では散々に打ち込まれ、六大学でも活躍できぬまま大阪朝日新聞の記者になった。戦時中は無抵抗に、疑問も持たずに軍部に同調する記事を書き続け、やがて終戦を迎える。妻の勧めもあり、戦争に協力した免罪符にと不純な動機で全国大会の開催に動き始めた神住だが、次第に本気になり、日本中を駆け回り、GHQとも困難な交渉を繰り返すことになる。

 

柔道、剣道、野球道、最近はクイズ道なんてことばもある。なんでも「道」にしたがる日本人。散々に紙爆弾で戦争に協力した朝日新聞社が主催する、青少年たちの、ベースボールではなく野球道の大会。日本の徹底的な武装解除と民主化を図るGHQにしてみれば、許容しがたいものであったろう。「敗戦国の分際で、まだわからんのか」ってなもんだったのだろう。それを解きほぐしたのが、多少の打算はあったにしろ、神住ら主催者側の熱意とGHQとの相互理解への努力だが、それも立場は違えど野球好きの血、ベースボールという共通の言語があってゆえのこと。

スポーツっていいなーと思わせる感動作。