生後三カ月で角田家にやってきたアメショーのトトは、粘り強く慎重派で、運動音痴。ああやっぱり私に似てしまったんだねえと同情し、愛猫の寝息に至福を覚え、どうか怖い夢を見ませんようにと本気で祈る。この小さな生きものに心を砕き世話しながら、救われているのは自分の方かもしれない―猫を飼うことで初めてひらけた世界の喜びと発見。
愛するものとの暮らしを瑞々しい筆致で綴る感涙の猫エッセイに猫短篇小説も収録!
(「BOOK」データベースより)
題名からして恋愛小説かなと思ったら、全然違った。角田さんの愛猫についてのエッセイだった。
私は、13年間愛犬と生活を共にしているのだが、せっかくなので自分と猫とのかかわりの思い出を二つばかり。
いつ頃から、何年くらいというのは記憶にないが、多分小学校中学年の頃まで、実家で猫を飼っていた。オスなのになぜか名前はピーコ。野良猫がいつの間にか飼い猫になったのだと思う。日本猫で、今でいうジャパニーズ・ボブテイル。
歳をとったせいか、粗相をするようになった。それでも自分はたいそうかわいがっていたのだが、ある日を境にいなくなってしまった。死んだのを両親が私に言わなかったのか、外へ出て戻ってこなかったのか、それとも両親がどこかへ捨ててしまったのか。(当時私の実家は食料品店を営んでおり、そして猫の尿は食べ物屋に似つかわしくなく臭い。)両親はまだ健在なので聞けばわかる話なのだが、何となく聞きそびれて今日に至っている。
もう一つは私が結婚して家を出るその結婚式の当日に、実家でパンを盗んで食べていた野良の子猫が、善き日に免じて泥棒猫であることを許され、やがて飼い猫に昇格した。白黒の猫で顔立ちは中々にハンサム、タマと極めて平凡な名前を与えられた彼は、私の実家で16年余の天寿を全うした。
当初は、餌を与えられても泥棒をするように忍び寄り、さっと食べて逃げていたのが、いつの間にか堂々と家族の一員になった。たまに私が実家を訪問すると「おう、よく来たな」という感じで、自分が我が家に来たエピソードも知らずに私を客人扱いをするようになった。彼が天国に召された時の両親の落ち込みは相当なもので、それ以来実家にはペットはいない。
ペットに対する愛は基本的に無償の愛である。世話をする、奉仕をすることの引き換えに癒しをもらう、少し歪んだ愛でもある。実家にいた二匹の猫は、基本的に両親が面倒を見ていた猫であり、自分は都合の良い時にかわいがるだけのお気楽な立場だった。その、無償の愛を注ぐ楽しみを、私は今、やや猫っぽい愛犬で堪能している。