なぜ彼女は、『枕草子』を書いたのか―。
28歳の清少納言は、帝の妃である17歳の中宮定子様に仕え始めた。華やかな宮中の雰囲気になじめずにいたが、定子様に導かれ、その才能を開花させていく。機転をもって知識を披露し、清少納言はやがて、宮中での存在感を強める。しかし幸福なときは長くは続かず、権力を掌握せんとする藤原道長と定子様の政争に巻き込まれて…。
清少納言の心ふるわす生涯を描く、珠玉の歴史小説!
(「BOOK」データベースより)
「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」、栄華を極めた藤原道長、その陰で没落した中宮・定子、という歴史の知識はあったが、ここまでのこととは認識していなかった。中盤までの雅な宮廷生活の部分はあまり頁を繰る手が進まなかったが、後半は一気読みだった。
平安時代は、貴族たちが死穢を嫌って戦がなくなり、死刑が廃止された、その名のとおり平安ではあったものの、決して軟弱な時代であったわけではない。権力争いはいつの世もなくならない。それが直截な手段に出ないだけに、一層陰惨なものになる。道長にしてみれば、道隆、兼家兄弟の相次ぐ死によってラッキーにも順番が回ってきたわけで、そういう立場の人物の方が、鬱屈していた分、より苛烈に権力を求める、これも歴史の常なのだろう。
道隆の子で定子の兄である伊周、隆家の兄弟は叔父道長との政争に敗れ流罪、そして残された定子に道長が牙をむく。孤軍奮闘、一条天皇のみが頼りの定子に、政争を勝ち抜くだけの器量はない。結局定子は、一条天皇の第三子を出産したまま鬼籍に入ってしまう。
不幸を不幸とせず、優雅に笑い飛ばすしかない。誇り高き敗者を信仰に近い忠誠心で支えた清少納言、中々に読みでのある歴史小説である。
古典の教科書の影響か、「枕草子」というと、「春はあけぼの」で始まる第一段を始め、「すさまじきもの」等のものづくしの随想部分ばかりが有名で、自分も中宮・定子との宮廷生活の思い出の記述はさっぱり記憶にない。そこも併せてきちんと読まなければ、枕草子の本質は分からないと言うことか。随分と軽薄な現代語訳も出回っているようだが、こう見てみると、枕草子は軽妙な中にも格調がなければならない。
さて、どの本を読んだものか。
余談ですが、清少納言って、清少・納言じゃなくて、清・少納言なんですね。