『葉隠』は、佐賀鍋島藩に仕えた山本常朝が、武士道における覚悟を説いた修養の書である。太平洋戦争時に戦意高揚のために利用され、それゆえ戦後は危険思想とみなされることもあったが、その世間知あふれる処世訓は、すぐれた人生論として時代を越えて読み継がれている。
本書は、『葉隠』を座右の書とする三島が、抜粋した名句からエッセンスを抜き出し、中核をなす「死の哲学」に解釈を加えたもので、『葉隠』の魅力と三島の思想が凝縮された1冊になっている。
(Amazonの紹介ページより)
「武士道といふは死ぬことと見付けたり」、この一句が独り歩きして、武士の心得の書みたいな先入観があったが、さにあらず。「武士道」を語った本であるが、新渡戸稲造の「武士道」とも全然違う。17世紀末、戦国時代が遠くなり、武士が職業軍人から行政官僚になった時代の行動哲学の書である。
鍋島藩という行政機構の組織人である山本常朝の、覚悟の定まった処世訓を集めたこの本は、現代のサラリーマンやエリート官僚の自己啓発の書としても立派に通用する。
三島の解説より先に、巻末の名言抄の方を先に読んだが、感銘を受けた文章が多々あった。原文を声に出して読みたい。図書館本で読んでしまったが、購入して付箋をつけながら再読したい。座右の書として会社のデスクのいつでも手が届くところに置いておきたい。そう思わせる、時代を超えた名著であった。
三島は、この本を書いた3年後、自衛隊市谷駐屯地に乱入し、割腹自殺を遂げた。信念や情熱は、常に死と隣り合わせの行動にある、それがよく生きるということである、三島はそういうようにこの書を理解し、そのとおりの行動に駆り立てられたのだろうか。
山本常朝のいう「武士道」とは、軍人としての道ではない。私は、これを、「いつ、いかなる時も、組織人として、目線を高く、謙虚さを失わず、公の志を持って、いつ死んでも良いようにその日その日を全力を尽くして生きること」、それが自分にとっての「武士道」であると読んだ。
感じ方は人それぞれである。その人なりの解釈の「葉隠」の精神を心に、死というものの対極にある生を全うできれば、それでよい。