一九三八年十月一日、外務書記生棚倉慎はワルシャワの在ポーランド日本大使館に着任した。ロシア人の父を持つ彼には、ロシア革命の被害者で、シベリアで保護され来日したポーランド人孤児の一人カミルとの思い出があった。
先の大戦から僅か二十年、世界が平和を渇望する中、ヒトラー率いるナチス・ドイツは周辺国への野心を露わにし始め、緊張が高まっていた。慎は祖国に帰った孤児たちが作った極東青年会と協力し戦争回避に向け奔走、やがてアメリカ人記者レイと知り合う。
だが、遂にドイツがポーランドに侵攻、戦争が勃発すると、慎は「一人の人間として」生きる決意を固めてゆく。
陸続きの欧州では、弱い国は亡国の憂き目を見る。ポーランド分割は世界史で習ったが、現実は実に悲惨だ。
第一次世界大戦ですべてを失ったドイツが暴発、厭戦気分が蔓延する英仏は日和見でこれを放置、ソ連は自らの打算と野心を隠さず、ポーランドは見殺しにされる。
この小説の冒頭の時点では、日本にもまだ色々な選択肢があったが、時局は悪い方へ、悪い方へと流れていく。米国との関係を悪化させる日本は、おそらくはむしろ戦争を回避するつもりで、または棚からぼたもちで東南アジアの英仏蘭の植民地を手に入れるために、当時連戦連勝だったドイツを軍事同盟の相手に選んだが、結局これが破滅へのポイントオブノーリターンとなった。
シベリアと聞くと、日本人は先の大戦後のシベリア抑留を思い浮かべてしまうが、ポーランド人にもそんなことをしていたとは知らなかった。また、本書にも名前が出てきた杉原千畝の話は有名だが、ポーランド人のシベリア抑留孤児を日本が支援していたこと、ポーランドと日本の意外な友好関係も知らなかった。
そんなマイナーな歴史的事実を踏まえ、著者は、自身の信念と友情に殉じた外務省書記生の物語を描いた。
主人公の慎は、戦争回避のための努力が万策尽きると、友とともに戦うために戦場となっているかつての赴任地、ワルシャワに向かう。もしかしたら、彼のような日本人が、本当にいたのかもしれない。また、そうであってほしいとも思う。
本書は、第156回直木賞の候補作になった。それにたがわぬ秀作である。
