名称:浄土真宗遣迎院派 南叡山 養源院
鎮座:京都市東山区三十三間堂廻り
参拝:令和6年2月4日
本尊:阿弥陀如来
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大聖歓喜天(聖天さん)とは、インドの神様のガネーシャと十一面観世音菩薩が
象の化身となって2体抱き合っている仏像で基本非公開の秘仏です。
御開帳もありませんので一般の目にふれることはまずありません。
開眼法要前の仏像であれば、仏具・仏像店にあることがあります。
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京都の三十三間堂のすぐ隣に鎮座の古刹です。
血天井は有名ですし、俵屋宗達の「白象」の絵は誰でも
一度は目にしたことがあると思います。
三十三間堂の路地を挟んだ向えに寺門があります。
大聖歓喜天を祀っている浄土真宗の寺院はとても珍しいです。
門の隣に「血天井」の案内が
養源院
元天台宗(現在は浄土真宗遣迎院派)の寺院で、豊臣秀吉の側室淀殿が
父の浅井長政の菩提を弔うため、文禄三年(一五九四)成伯法印(長政の従弟)を
開山として建立された。ほどなく焼失したが、元和七年(一六二一)
淀殿の妹で徳川秀忠夫人お江(崇源院)が血天井等伏見城の遺構を
用いて再建された。
後水尾天皇の中宮東福門院(秀忠の五女)がお江の七回忌の年に秀忠が
亡くなったので、両親の大きな位牌を造り、兄家光が亡くなった時にも
位牌を安置し以後徳川(歴代)将軍の位牌所となる。
客殿(本堂)・護摩堂・鐘楼堂・中門は国の重要文化財。
客殿は重厚な玄関と上段の間を備えた豪壮な方丈建築であり、
堂内を飾る障壁画のうち俵屋宗達筆の「松図」
襖絵「唐獅子・白象・浪に麒麟図」杉戸絵は国の重要文化財に
指定されている優品である。
京都市
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👇寺門をくぐると左手の手水に黒猫が待ってるけど、相手してくれない
👇右手には「弁財天宮」
👇左手には「毘沙門天」
👇井戸
👇丸い石柱の 寺号標『大聖歓喜天』
👇「白鷹龍神」「赤桃明神」「白玉明神」
👇本堂の入り口まで来ましたよ!
見学料を払って中に入れてもらうと、お姉さま方が詳しく説明していただけます。
御朱印もこちらで頂けます。(書置き)
👇パンフレットより
養源院略由緒、豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の追善の為、長政の二十一回忌に秀吉に願って養源院を建立し長政の従弟で叡山の僧であった成伯法印を開山とし、長政の院号を以って寺号としたのは文禄三年五月(一五九四)である。其後程なく火災にあい焼失。元和七年(一六二一)徳川秀忠が夫人崇源院殿の願により伏見城の遺構を用いて再建したのが今の本堂である。以来徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。
血天井、此の本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を天井として其の霊を弔ったもので世に「血天井」と称して名高い。
宗達襖杉戸絵、此の本堂の襖(十二面)杉戸(八面)の絵は俵屋宗達の筆で、自刃した将士の英霊を慰める為に「お念仏、御回向」にちなんだ絵を画いたもので、杉戸には象や獅子や麒麟等の珍しい行動を画いて居り其の表現が奇抜で新鮮美に溢れ、又曲線美の効果が素晴らしい。
狩野山楽の襖絵、玄関の左の方に太閤秀吉の学問所とした牡丹の間がある。狩野山楽が牡丹の折枝を散らした図案的な襖絵を描いている。
鶯張廊下、本堂の廊下は総て左甚五郎の造ったうぐいす張りで静かに歩くとよい音がする。
👇写真が撮れないので、寺門の外のポスターから「俵屋宗達の白象」
この絵の描かれている戸ふすまの左手に、豊臣秀吉稔持仏の「大聖歓喜天」が
祀られている。
ここに天井から下がっている「大根ぶっちがい提灯」の葉っぱの色が黄金色で、
写真撮りたかったけど、お願いしたらやっぱりダメだった(残念)
見たい方は、ネットで唯一写真上げてるとこがあったので、そちらでご覧ください。
『岐阜女子大学デジタルアーカイブ』と『 養源院』
でググると、
提灯も白象も観られます。
👇御朱印は「雨寶殿」と書いてあります。
秀吉の大聖歓喜天の祀ってあるお堂の名前だそうです。
(書置きです)