前回のブログ『番外編㉜球磨郡久米郷の秋(写真集?)と南北朝時代の事』より続きます。

 

 

2021/10/17 12:05 再投稿

 

2021年10月16日に投稿させて頂いた拙ブログをすでにお読み下さった皆様方へ

 

ご覧頂きありがとうございました。

 

ブログ内に書いた事の中で

パンダのおじ様と、私の祖父母との関係を文章内に追記いたしました。

 

パンダのおじ様から伺った私の祖父の話も書いております。

 

おそらく、今後、「この方」について、私は書く事はしない・・と思います。

 

祖父は大正2年生まれ

パンダのおじ様も同じく大正2年生まれ

所属の部隊は・・・

 

続きは ブログ内の追記よろしければご覧下さい <m(__)m> 

 

 

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 
球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
令和二年七月の豪雨災害により、元気をなくしてしまったこの郷土の方々が
故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら
ブログを書いています。
さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

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新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申しあげます

感染なさった方々の一日も早いご回復をお祈り致しております

 

 

新型コロナウィルス(武漢ウィルス)の感染拡大との戦に、

明るい光がようやく見えてきましたね。

 

ご退任なさった菅前総理大臣が「光の道筋」をお作り下さったと

球磨の一主婦は心より感謝致しております。

 

 

 

 

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かなり、久しぶりの投稿となりました <m(__)m>

 

開口一番・・<m(__)m>

暑いです・・・😥

 

例えば・・

10月14日の我が町、球磨郡あさぎり町の最高気温は

31.6℃

 

10月に入ってからも ほぼ、毎日・・30℃超え・・

 

夏バテ・・じゃない(ー_ー)!! 秋バテですが・・

キュウリの収穫、お手伝いを頑張っております!

 

日中の気温は30℃を超えても・・

日が沈むと一気に涼しくなり、夜中は寒い程です・・

ちなみに、昨日の最低気温は13.3℃でした。

 

しかし(p_-)

植物は、ちゃんと「秋」を教えてくれているのです・・

私は、黄色いお花のセイタカアワダチソウの時期は、ブタクサさんのアレルギーも伴って

喘息が酷くなるのですが・・ 夏のように暑くてもやはり・・喘息が・・

 

薬を飲んでマスクを付けての作業はこの時期毎年の事ですが・・

セイタカアワダチソウは高温の秋は関係なく(ー_ー)!!

ちゃんと咲いています(p_-)

 

秋は・・秋 なのです

 

私は、収穫だけのお手伝いですが、幼なじみご夫婦は、余分な葉っぱを採ったり、必要の無い芽を摘んだりとキュウリを収穫する為の様々な作業をされています。

 

別のハウスではスナップエンドウの種まきも終わり、芽が出てきたそうです😊

 

私もお手伝いをした籾撒きですが・・

稲刈りが始まっています!(^'^)

 

新米を頂きましたので

早速、食べました

美味しかった~ 😊

 

球磨に戻るまで、農業は全く未経験でしたが、ほんの少しだけのお手伝いですが

頂きます!

の意味を心から感謝する事が出来る大切な経験をさせて頂いております。

 

感謝の秋 です

 

 

所で・・

前回のブログ、最後に

※毎年、この「思考の休憩期間?」には、次に進む為の「きっかけ」が発生?する事が
今まで度々ありました。  今回は 何だろうなぁ・・

 

と書きましたが・・

前回のブログ投稿後、実に多くの嬉しい出来事がありました😊

 

今回のブログ投稿が実に300投稿目となる記念の回でもあります

 

という事で😊

今回は

300投稿目 感謝の秋 嬉しい出来事と父の事 そして これからだ!😊

と題して書かせて頂きます。

 

 

幾つかの、私の心に浮かぶ曲と共にお話させて頂きたいと思います。

お付き合い下さい <m(__)m>

 

BRAVERY - Epic Powerful Cinematic Music Mix | Epic Beautiful Fantasy Orchestral Music

 

 

 

1.息子が会いに来てくれました! 😊

 

前回のブログ投稿の後、数日後・・

 

突然、息子から

「結婚する事にしました。

婚約者を連れて挨拶に行きます」

 

「お母さんはワクチンを打つ事が出来なかったから

陰性証明を取って行くから安心して!」

と電話が・・

 

私はもう嬉しくて嬉しくて・・

 

過去ブログでも書いておりますが<m(__)m>

私は、再婚して、主人は宮原家の婿養子に入ってくれました。

 

コロナ禍前

年に1~2回の主人の里帰りの際に、娘とは一緒に食事をしたり、ゆっくりと会う時間が取れていたのですが息子とは中々会う事が出来ず、仕事場に寄って久しぶりに5分程話して・・

それから、新型コロナウィルス感染拡大に伴い、息子とも、娘とも会う事が出来ず

息子とゆっくり会う事が出来るのは、5年半ぶり。

熊本地震直後に、心配して来てくれた時以来となります。

 

昨年の豪雨災害の後も、息子はこちらに行きたいと連絡してくれたのですが

当時は、被災地での新型コロナウィルス感染拡大を防ぐ為に、ボランティアの方々さえ、県内限定となっていましたので、息子の気持ちはとても嬉しかったのですが、状況を説明して

「落ち着いてから来るように」と泣く泣く伝えていました・・

 

それから・・息子は持病が悪化して入院

心配でたまらなかったのですが、コロナ禍で行く事が出来ず

一番つらい思いをしている息子を支えてくれたのが、婚約者の●●ちゃんです。

 

息子たちが到着するその日

私は、会いたくてしかたなかった息子に会える嬉しさと

支えてくれた婚約者の●●ちゃんに会える嬉しさで・・

息子たちが家に来るまで、外に出たり入ったりの繰り返しでした・・😊

 

昨年の過去ブログでも書いていたのですが・・

コロナ禍が落ち着いたら、子供たちに会いに行って

よく頑張ったね!と一番に言おう!

と心に決めていたのですが・・

 

息子たちが到着すると・・

嬉しくて何もかも忘れてしまい・・

「来てくれて ありがとう!」と言うと 涙をこらえるのが精一杯でした

ダメな母親です😥

 

 

家に到着して二人は、荷物を置いて、手洗いうがいをした後、真っ先に仏壇の前に・・

息子は仏壇に手を合わせたまま、しばらく祖母やご先祖様に報告をしているようでした。

 

●●ちゃんも、ありがたい事にお参りをしてくれました。

背筋をピンと伸ばし、凛とした姿で、手を合わせ●●ちゃんもしばらくの間

ご先祖様に挨拶をしてくれていました。

 

私は、その姿を後ろで見ながら

「ありがとう」と感謝の気持ちがこみ上げてきました。

 

不思議な事なのですが・・

凛としたその後ろ姿に あ~この人と息子は最初から出会うべきして出会ったのだな~

と感じ、ご先祖様に心から感謝致しました。

 

その後、リビングで父と4人で談笑していると、父が突然

「じいちゃんは、●●ちゃんに初めて会った気がしないんだよね・・

ずっと昔から知っていたような気がする・・」

実は、私も同じような感覚をおぼえていたので、親子で不思議だよね~と話すと・・

以下の事を二人が話してくれました。

 

 

二人は恋愛結婚になるのですが

●●ちゃんのご先祖様□□氏はウィキペディアにも記載がある阿蘇氏一族

筑前国下座郡□□(現在の福岡県朝倉市の一部)を所領して□□氏となられたそうです。

 

●●ちゃんは、お父様より

「家の先祖様は遠い昔、阿蘇にいらした」と聞いていたそうです。

 

私は本当にビックリしました!

 

二人は家に来る前に、国宝青井阿蘇神社にお参りをしてきたのですが

●●ちゃんは

「家の苗字□□は、殆ど北九州では見かけない苗字なのに

青井阿蘇神社様の奉納石柱の中に□□という苗字が幾つかありました。

お母さん、私、ビックリしました!」

と・・

 

えええっ!!

この話には父もビックリしていました。

 

家の先祖と●●ちゃんのご先祖様は遠い昔「知り合い?」だったのかもね😊

と父が言うので・・

この事もビックリ!(あまり、父はこのような事を人に言う人ではないので・・)

 

偶然出会った二人

でも、偶然は偶然じゃなくてご縁

何かの糸が結びついていた

 

私はそう強く感じました😊

 

主人が帰宅して、夕食は私の手料理を幾つもテーブルに並べました😊

 

二人が来たら、必ず見せてあげたかった星空

私は、二人を外に連れ出すと・・●●ちゃんが

「わぁ~!!」と満天の星空を見て、凄く感動してくれました。

かなり、長い間、首が痛くなるんじゃないか!?と言う程、二人とも星空を見上げているので

「大丈夫?」と聞くと●●ちゃんは

「この星空を目に焼き付けています!😊」と

私は●●ちゃんが可愛くて仕方ありません\(^o^)/

 

後で・・主人に言われたのですが

「二人きりにしてあげれば良かったのに・・」と

あっ!・・空気の読めない母でした・・トホホ😥

 

翌日、主人が休みだったので、二人を連れて宮原観音堂と上村谷水薬師様にお参りに出かけました。

 

上村谷水薬師様(あさぎり町上)

駐車場からすぐに荘厳な空気に包まれる場所です。

 

 

 

高い大きな杉の数々

一つの杉が分かれて高く伸びる

とても不思議な風景・・

 

 

 

 

 

 

 

 

この地は江戸時代中期の編纂された麻郡神社私考には

天子山

と記されていました・・

 

 

 

山門には真っ赤な仁王様がいらっしゃいます

(今回は写真を撮っていませんでした・・😥)

 

 

 

日本七大薬師の一つと言われる谷水薬師様

 

 

 

扉が閉まっているのは初めて見たのですが

龍の彫刻が施されていました

 

 

谷水薬師様については次回以降、機会を設けて詳しく書かせて頂こうと思います。

ご由緒は行基様にもお繋がりの薬師様で、桓武天皇さまのお話も地元には伝わっております

 

御本尊さまのお写真は今回控えました。

 

私は

息子と●●ちゃん、

二人が元気に幸せに過ごせますようにお守り下さい

 

とお祈り申し上げて参りました

 

 

 

楽しい時間もあっと言う間に過ぎ

二人は「また来るからね!」と言って帰りました。

 

二人が帰った日の夕方

夕日を見ていると 凄く寂しくなりました

 

でもまた会えます😊

その日を楽しみに、母は体に十分気を付けて過ごしたい!と思います

 

 

息子は宮原の姓は継いでいません。

私の元嫁ぎ先の大事な跡取りだからです。

 

凄く悩んだのですが

あちらのおじい様、おばあ様に大切に大切に可愛がられた息子を

お二人から引き離す事は、私にはどうしても出来ませんでした・・

 

後で何度も後悔した事がありましたが・・

息子は、高齢となられたあちらのおじい様、おばあ様をとても大切にしています

 

これで良かったのだ・・

コロナ禍、今となってはそう思い、あちらのおじい様、おばあ様、ご親戚の方々のご健康と幸せを心からお祈りする事が出来るようになりました

 

 

 

 

 

 

2.父が成し遂げた仕事

 

 

息子が帰ってから、父は、

自衛隊を退官した後、幼かった息子を連れて、球磨川鉄道に乗った話を何度も繰り返し

懐かしそうに話していました。

 

「小さかったあの子が結婚する年齢になったんだな~」

感慨深げに目には薄っすらと涙を浮かべて懐かしそうに何度も何度も・・

 

 

でも・・実は

父は、息子が生まれてしばらくの間、多忙で殆ど息子に会う事が出来なかったのです・・

 

 

 

初めて書きます

父の所属部隊は第2高射群

 

 

第2高射群(だい2こうしゃぐん、英称:2nd Air Defence Missile Group)とは、西部航空方面隊に属している高射群である。本部は春日基地(福岡県春日市)に所在しており、4つの高射隊を傘下に抱えている。

主な任務は、飛来する敵の航空戦力を長射程の地対空ミサイル(SAM)により遠距離で迎撃することである。

 

沿革
1966年(昭和41年)2月1日:「第2高射群」が新編。MIM-3 ナイキ・エイジャックス装備。
1972年(昭和47年)6月15日:ナイキ-Jミサイルに更新。
1994年(平成6年)3月31日:高射隊の装備をナイキシステムからペトリオットに変更

以下略・・

 

 

私が小学校高学年になった時、父は航空自衛隊新田原基地から

航空自衛隊第二高射群高良台ナイキ基地に転勤。

数年の勤務後、転勤となり息子が生まれた当時は航空自衛隊芦屋基地に勤務していました。

 

 

先にも書いたように

父は、息子が生まれてしばらくの間、多忙で・・

私の娘や息子に殆ど会う事が出来なかったのです・・

 

凄く近くに住んでいるのに、何故?会いに来てくれないのだろう・・?

当時の私はとても疑問でした・・

 

こちらから会いに行こうとしても、父の帰宅が遅く、中々連絡が取れないで・・

ようやく連絡が取れても「今、とても忙しいからゆっくり時間が取れるようになったらおいで・・」

と言われて・・

 

父に対して私は少しだけ寂しい気持ちを持っていました

 

息子がつかまり立ちが出来るようになり、球磨の祖母の元に里帰りした少し後・・

父から電話があり

〇〇君が(息子)立てるようになったらしいな!凄く可愛いとばあちゃんが言っていた・・

本当はお父さんも会いたい・・

と。

 

よっぽど忙しいのだろうなぁ・・とは思いましたが、父に夜早く帰宅できる時間を作ってもらい

なかば強制的に、子供たちを連れて父に会いに行きました。

 

初めて行った父のワンルームマンションの部屋には、祖母と写した子供たちの写真が飾られていて・・父は写真で私の子供たちの成長を楽しみに見ていたのだな・・

と思ったら凄く嬉しくなって涙が出た事を覚えています。

 

私はその時「何でそんなに忙しいの?」 と聞いたのですが

父は「色々あって忙しい・・」と答えるだけでした。

 

父は、日曜の休日は高齢の祖母の元へ帰っていたのですが、数か月間全く帰れない時期もあり、私は父の身体が心配でたまりませんでした。

 

そのような状況が2年以上続いたある日、祖母から電話があり

お父さんは春日基地に転勤になった」と聞きました。

息子を父の元に連れていってその後は、会えたのは息子の七五三の時だったかなぁ・・

 

凄く近くに住んでいたのに全く会えなくて、また父と離れてしまった・・

父は、私が勝手な事ばかりして結婚した事をいまだに許してくれていないのかな・・と

私は考えたりもしていました・・

 

 

そんなある日・・

娘の大好きなアニメが始まるので、少し早めにテレビを付けたら・・

ちょうどニュースの時間で、ボーっと見ていた所

 

春日基地の映像が出て、表彰台に向かう父の姿がアップで映し出されました!

あっ!お父さん!! (私)

あっ!じ~ちゃん!!(娘)

じ~ちゃ~ん!! (息子)

 

 

表彰状を受け取る父はとても凛々しくて、かっこよかった・・

 

でも何で(?_?) と疑問が・・

ニュースには何かミサイルがどうのペトリオットがどうの・・と解説されていたけれど

私は、テレビに父が映っている事で頭がいっぱいで・・その解説がしっかりと耳に入ってこなかったのです・・

 

その後、父に連絡したら

春日基地のニュースを見たのか。ペトリオットの配備が完了した記念式典だった

と言うので 「映っていたよ!何で!?」と聞くと

あっ!映っていたか そうか 配備に関わったからな・・😊」とそれだけ・・

 

あまり語ろうとしないので・・そのまま・・

私は「お父さんはペトリオットの配備に関わった人」 そういう感じで今まであまり深く考えないで過ごしてきました・・

 

所が・・

今夏 8月上旬のある日 (あの父の発熱の後)

以心伝心したのか?息子から久しぶりに電話があり、父ににその事を伝えていると・・

ニコニコと聞いていた父が

突然、当時の事を語ってくれたのです・・

 

父の言葉

 

お父さんは、当時、ペトリオットの配備に関する〇〇幕僚という立場の責任者だった。

 

とても忙しく、お前や孫たちに会う事が出来なかった。

寂しい思いをさせてすまなかったな・・

 

孫たちにも、じいちゃんらしい事をしてあげられなかった・・

お父さんも孫たちにとても会いたかった・・

 

でも、お父さんは責任ある仕事を任されて、成し遂げたんだよ。

 

と・・・

 

知らなかった・・私は全く当時の父がどのような状況であったのか全く・・今まで知らなかった・・

知らなかったから、当時、父に対して全く異なる憶測をしてしまっていた・・

 

私は本当にダメな娘だ・・

あの日、テレビを見て連絡した日

本当は「お父さん おめでとうございます!」と

言うべきだったのだ・・

私は ダメな娘だ・・

 

その事を父に言うと

良いよ😊 何も教えていなかったのだから 😊」と 父は優しく言ってくれました。

 

今は高齢になった父と

親子喧嘩をしたり、熱を出して心配したり、泣いたり、笑ったりの日々を過ごしておりますが

私は父を誇りに思います。

日本国を守る為に力を尽くした父を

誇りに思います!😊

 

 

 

実は・・もう一つ

ええええ~っ!!\(◎o◎)/!とビックリする事を

昨日10月15日 突然父が話してくれました。

 

 

今、話題の映画について父に話をしていた時の事です

 

津田寛治主演の小野田寛郎旧陸軍少尉を描いた映画が話題

 

 

父が突然

「小野田さんとは一緒にお酒を飲んだ事があるぞ!」

と・・

 

ええええ~っ!!\(◎o◎)/!

何でぇ~!!?

と聞くと・・

 

「小野田さんを春日基地にお招きして講演を開いて頂いた事がある

その日、隊の幹部のみで、小野田さんとの懇親会を開いたんだ。

 

一緒にお酒を飲み、沢山のお話を聞かせて頂いた。」

 

と父は懐かしそうに話しました。

 

 

私は思わず

「小野田さんとお話をして、お父さんはどう感じた?」

と率直に質問すると、父は

 

「とても温かい人だった」

 

「言葉の一つ一つ、ご一緒していて とても温かく感じた」

と・・

 

 

「とても温かい人だった」

私は今、とても貴重な話を聞いている・・

そう感じて、身体がパア~ッと熱くなり、そして涙が溢れてしまいました・・

 

 

 

3.これからだ!😊

 

 

先にも書きましたように

息子が帰ってから、父は、

自衛隊を退官した後、幼かった息子を連れて、球磨川鉄道に乗った話を何度も繰り返し

懐かしそうに話していました。

 

退官後、父は球磨に戻り、今度は郷土の為に働く!と気持ちを新たに

全く別の仕事に就きました😊

 

球磨郡内某町の商工会事務局長です。

 

父は、後には熊本県南部長 という役を任されています。

 

 

制服からワイシャツにネクタイへと変わり

時には・・

はっぴ姿でお祭りを盛り上げる事もありました😊

 

右の青いはっぴ姿が今から20年以上前の父です😊

何だか酔っぱらっているような表情ですが・・(^▽^;)

商工会祭りにて

 

 

この頃は、私も子供達を連れて里帰りして、父がいる祭り会場へ行ったりと

父と孫達の楽しい思い出が沢山あります😊

 

お祭りの中でも、今では全国のアニメファンなら知らない人はいない(ー_ー)!!と言われる

「お祭り」の企画等にも父は深く関わっております<m(__)m>

 

 

今から21年前・・

父や、某町町内の多くの商工会会員の人達は「ある御方」が中央に上がって頂く為に

力を尽くしたそうです😊

 

その時、父と共に動いた方々は父より歳が上の方が多く・・

21年経った今、すでに他界なさった人達もいらっしゃいます。

 

ある御方」は当時、偶然ですが

私の祖母もとても親しくさせて頂いた御方のご子息の元で仕事をなさっていらしたそうです。

 

※祖母と親しかった方は・・其々が〇〇しゃんと下の名前で呼び合う程で・・

 

その方は若くして亡くなった祖父の事を良くご存じの方でした。

 

2021/10/17 12:05 追記

※祖父は大正2年生まれ。陸軍士官候補生学校を卒業した直後熊本の

「歩兵第十三聯隊」に陸軍少尉として配属致しました。

 

 

「その方」がどなたなのかご理解なさった方々はウィキペディアの記述「来歴・人物」最初の方をご覧頂ければ、祖父とのご関係がご理解お出来になられると思います。

 

その方」は家に来られた時はいつも仏壇にお参りして下さっていた事を子供だった私ですが

よく覚えています。

 

「おじい様はりっぱな人だったよ。」

「強くて優しい人だった」

と教えて下さったのもその方です。

 

私はパンダの絵はがきを頂いた事があったので

パンダのおじさんとお呼びしていました <m(__)m>

 

詳しくは・・・追々・・<m(__)m> (おそらく今後書く事は無い・・と思いますが・・)

 

 

先に書いた、中央に上がって頂く為に皆で応援した

ある御方のお名前はこのブログ内では書きません (ー_ー)!!・・・😊

 

家の親戚の一族とも、とてもご縁がおありになられる「ある御方

 

その「ある御方」は中央に上がられたその後、

お正月の初売りの際は何度も奥様とご一緒に

はっぴを着られて、お手伝いして下さったそうです😊

 

 

Two Steps From Hell - Victory

 

 

 

令和三年 10月4日

 

父は、先に書いた「ある御方」

お姿をテレビで見ながら

目にいっぱい涙をためて今にも溢れそうでした・・

 

でも・・キリっとした顔をして

これからだ!!

と言っておりました・・

 

何度も何度も

これからだ!!

涙を溜めながら 言っておりました

<m(__)m>

 

新型コロナウィルス感染拡大という

国難をむかえた日本国を

明るい未来の為に

前に進める為に

これから、しっかりとお仕事を果たして頂きたい!

 

 

球磨のただの一主婦の私ですが<m(__)m>

私は

強くて!そう!

強くて!温かい心の国であって頂きたい!

と願います

 

 

皆様 ご一緒に

これからだ!!

 

いかなる困難にも立ち向かえる

強くて!温かい心の国を目指して

前に進みましょう 😊

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

今回は

1.息子が会いに来てくれました! 😊

2.父が成し遂げた仕事

3.これからだ!😊

 

と言ったお話を書かせて頂きました<m(__)m>

 

投稿300回目は、歴史のお話ではありませんでしたが、過去ブログでも書いた

魂の記憶を、私の子供達や遠い未来の父の後裔に伝える為の記録のような文章となりました。

 

※実は今回のブログ内容・・父には秘密です。

「そんな事書いたのか!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!」と叱られそうですから・・

(^▽^;)

 

私はこれからも、父を大切にして参ります。

 

最後に 球磨郡あさぎり町の球磨川と、そこから見える山々の風景をご紹介致します。

 

 

球磨郡あさぎり町深田の球磨川の風景です😊

 

 

 

 

 

 

 

長い文章となりましたが、

最後までご覧頂き ありがとうございました。

 

 

皆様、明るい光の先を目指して

お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

だんだんなぁ

 

球磨の地より ひろっぷ でした😊

 

次回『301回目 球磨の雲海と海を渡ったツクシイバラ』に続きます。