前回のブログ『親王様からの令旨 祈願の地「球磨」に奉納された御神像』 より続きます。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12499823293.html
2019/08/09 18:25 追記 過去ブログ紹介の為の文章の修正を行いました。
2019/08/10 9:05 再追記 当ブログのタイトルの変更を行いました。その理由は・・・
当ブログを書いた事で、私がスルーしていた「とてつもない事」に気が付く事になったからです。
はじめに
前回のブログも沢山の方々に御覧頂いた事に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
私の拙い文章に興味を頂いて下さる皆様方には遠く離れていても、とても大切なご縁を感じております。
旧暦のお盆も近くなりました。
私も、皆様方と同じように、ご先祖様に「この世に生を受けた事、お守り頂いている事」に感謝の気持ちを日々持ち続けております。
お盆の8月15日は終戦の日をむかえます。
今から74年前、もし、この日に終戦をむかえる事が出来なかったら、日本はどうなっていたのか・・・
皆様方は御存じでしょうか・・・?
連合軍の『オリンピック作戦』を御存じでしょうか・・・?
前回のブログ内容の続きを書かせて頂く前に
今回は皆様方にぜひご覧頂きたいと願う私の過去ブログをご紹介致します。
ありがたい事にすでにお読みになられた方々もいらっしゃると思いますが、
未だ読んでいない・・と言う方々には、ぜひ、ご覧頂きたいと願います。
私が何故?『球磨』の歴史に拘るのか、『球磨』の古代に拘るのか、何故?『球磨は祈願の地』である・・と『明言』するのか・・・
それは
明治以降の 『暗黒の世界に突入』する『日本』にも、『球磨』が大きく関わっているからです。
先にご紹介した『オリンピック作戦』を阻止するための動きに、『この地』出身の方が大きく貢献なさっていらっしゃいます。
しかし・・・『暗黒の世界に突入』する『きっかけ』には、他の地より私の住む旧岡原村に本籍を動かして、生涯、どの地に行かれても『本籍』だけは岡原のままであった方が首謀者の一人となられています。
何故・・・・
ここまで、日本の歴史、近代の歴史にまで『球磨』は大きく関わってしまうのか・・
皆様方にもぜひご一緒にお考え頂きたいと願います。
ご紹介する過去ブログは1年前の8月に書いた以下の2稿です。
繰り返しますが
未だ読んでいない・・と言う方々には、ぜひ、ご覧頂きたいと願います。
いえ・・・ぜひ読んでください!
お願い致します <m(__)m>
戦艦球磨の艦内神社 球磨と戦争
※伊勢神宮様、皇居に関わる市房杉、他、有力政治家となられた方々、1895年に朝鮮半島で起きた大事件に関わった方が若かりしき頃に携わった「神殿原開拓社」等のお話を書いています。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12399572697.html
平和を取り戻す為の工作 続 球磨と戦争
※オリンピック作戦を阻止する為の終戦工作について書いています。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12400426286.html
私は、日本の『暗黒の時代』とは無関係ではありません。
過去ブログ『私は何故?「先祖を調べるのか」その理由』 をお読み下さればお解り頂けます。
こちらも、未だご覧頂いていない御方はぜひご覧頂きたいと願います。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12359064164.html
『私は何故?「先祖を調べるのか」その理由』 の中で書いた事
私は、ブログの中で今まで何度も当時の事を「暗い時代」と書いてきました。
それは現代に生きる第三者としての言葉では無く、
「暗い時代の中にいた当事者の一人の孫」としての「反省」を込めた言葉です。
だから以前『現代の 肥人(こまびと)の独り言④』の中で
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12330650189.html
伊予国一宮大山祇神社 宮司家の三島敦雄氏が昭和二年に書かれた著書
『天孫人種六千年史の研究』に関する内容を締めくくる最後の言葉として
著書が発行された昭和2年と言う、日本が暗黒の時代へ突き進んでいく「時代背景」
昭和2年と言えば、日本全体が暗黒の時代へと突き進んでいる真っただ中。
大陸への侵攻も始まっていた・・そういう時代
こちらの書籍が意味する事は一体・・・
と書いてしまいました・・・
「国」や「利権」を廻り「人間同士が戦い、互いに尊い命を犠牲にする」・・・そんな事が繰り返されてはいけない! と祖母はいつも私に話してくれていました。
以上 『私は何故?「先祖を調べるのか」その理由』 より
現代の溢れる情報の中には、『戦争』や『世界情勢』に関連して、非科学的なお話も含めて・・一読すると多くの方々が不安を感じる記事を目にする事が多々あります。
私は・・・ある方がブログにお書きになられている言葉に共感致しました。
『不安を感じないように、平然とする、毅然とする』
度重なる、自然災害を受けた時の『日本人の姿』は世界の方々から絶賛されています。
毅然とした態度
秩序に基づいた『高い精神』
平和な日常を取り戻すための祈り、迅速な行動
全て、古代からの其々の方々のご先祖様から受け継いで来られた、『日本人の心』を
世界の方々が賛美されていらっしゃるのだと思います。
悪い事、誤った事をした時には「ごめんなさい」と謝る。
謝られた時には許す心を持つ。
相手の事を思いやる。
平和を祈る。
家族を愛する。
高い精神を持つ。
毅然とした態度で不安を感じる事を払拭する。
尊い命の犠牲 の上で、今の平和がある事を十分に理解して
世界中の犠牲となられた方々の御霊に,「平和を継承する」事を誓う。
「綺麗ごと」と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが
日本人だけではなく、世界中の方々が心を一つにして、上記の事をいつも心に持ち続けていれば、未来への『不安』は『希望』へと変わるのではないのでしょうか・・
そう言う世界を作る事が、奇跡の星「地球」に生を受け、文明を築いた人類の使命ではないのでしょうか・・・・
私はそう考えます。
私自身は大した人間でもないのに・・偉そうな事を書いてしまいました。
一つ気になっていた事があります。
最近・・日本国内で、古代の神々様があたかも『今でも敵対されていらっしゃる』ようにお考えの方々がいらっしゃるのだな~と感じる記事を目にする事があります。
私は・・・凄く悲しくなります。
古代の日本、当時は戦ったとしても、それは、其々の正義をかけての事で、その後は
和平して其々の種族の心を尊重して、姻戚関係を結び、一致団結して、古代日本の国家が形成された
と私は考えています。
現代人がその「和平」を理解せずに、今でも天において「敵対し続けている」と考えて・・思い込んでしまったら、神々様はさぞかし、悲しくお感じになられるのではないでしょうか・・・
日本の古代の「戦い」は義に基づくものでした。
海外とは違い、決して戦った相手を皆殺し、完全に滅ぼす事などなかったのです。
勝者は、戦いに負けて力を失った方々には領地を分けて、後世に系を繋げるすべを残してこられました。
私は、この事を「父」と、ブログ宮原誠一の神社見聞牒の「宮原様」から教えて頂きました。
だから、安心して良いのです。
古代の神々様、ご先祖様方は、天から日本をお見守りになられていらっしゃいます。
天でも争っていらっしゃる事など決して無い!
以前から何度も書かせて頂いている事ですが、
私は、日本の超古代の方々は世界各地の方々と同じく、原始的な宗教・・と言うか太陽・月・星・水・土地・風 に神々を感じていらっしゃったのだと思います。
その超古代の日本列島には以降、何度も何度も、海外から、別の種族が到来して、その都度新しい考え・文化がもたらされたのでしょう。
縄文時代晩期から弥生時代にかけての方々の中には、超古代から継承されてきた「神々様」のお名前を頂く事になられた御方々がいらっしゃったのだと思います。
神々様から人へ・・・・
系図がその事を物語っているのだと私は確信しています。
私は見えない力にお導き頂いている・・
と良く書きますが
それは・・・見えない御力が何かを変えようとなさっている訳ではありません。
私が、心から先祖の真実を知りたいと願っているから・・・
ただ・・教えて下さっていらっしゃる
だけなのです。
最後は妙な事を書きました・・・・<m(__)m>
平和があり続ける事を信じて、神々様の御心を信じて
日常の普通の生活が「一番ありがたい事」と感謝して
これからも、過ごしていきます。
最後に、今回のお話とは関係ありませんが・・(あるかもしれません(p_-))
昨日・・古代の龍を拝見致しました!! (^'^)
昨日、球磨郡平野部とは25㎞ほどしか離れていない、宮崎県えびの市の
島内地下式横穴墓群に伺って、出土した銀象嵌龍文大刀等のお写真を拝見致しました。
島内地下式横穴墓群については、過去ブログ『球磨・守った人達、消した(隠蔽した)人達』でも書かせて頂きました。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12418016445.html
宮崎県えびの市教委などは24日、同市の島内地下式横穴墓群139号墓(6世紀前半、古墳時代後期)で出土した大刀(たち)が、柄(つか)に朝鮮半島特有の装飾「鮫皮巻(さめがわまき)」を施したものとしては国内最古であることが判明したと発表した。
東アジアでも実物が確認できる最古の例となる。古墳時代の刀剣としては国内最長となる142センチ(復元すれば150センチ)の大刀も確認された。
市教委などによると、
柄に鮫皮巻が施されていたのは朝鮮半島製とみられる「銀装円頭大刀」。
実際はエイの皮が巻かれた鮫皮巻の大刀は当時、高位高官だけが身につけていたとされ、国内では聖武天皇(701~756年)の遺品とされる東大寺金堂(大仏殿)の鎮壇具(ちんだんぐ)が残っている。
一方、古墳時代の刀剣としては国内最長となったのは「木装長刀」(142センチ)で、
奈良県の藤ノ木古墳の大刀(136・5センチ)より長い。
鞘(さや)口に高級織物の経錦(たてにしき)が巻かれていることなどから、大和政権のもとで作られ、大王周辺から贈られたものとみられるという。
遺跡に関連する事は後日書かせて頂きますが、皆様方にぜひご覧頂きたいと思い、撮らせて頂いた写真を先に載せます(^'^)
出土品一部
龍・・・ドラゴン様の古代の装飾です。 ご覧下さい!
私は思わず
カッコイイ!!
\(◎o◎)/! と叫んでしまいました(^'^)
しかし・・・球磨郡から出土した国内に3枚しか発見されていない黄金の鏡といい・・
こちらの国内最長の太刀や聖武天皇様(701~756年)の遺品とされる東大寺金堂(大仏殿)の鎮壇具(ちんだんぐ)より明らかに古い鮫皮巻の大刀といい・・・
何故??? お偉方は「大和政権のもとで作られ、大王周辺から贈られた」と当たり前のように『確定』してしまわれるのだろう・・・・
もし・・違っていたら・・・埋葬者の御方々はどう言うお気持ちなのかな・・・
大王周辺って・・・大王様もお持ちでは無い貴重な「品」を、貢献者にあげる・・って、本当にありえるのかな・・・
本当は埋葬者の方は「大王様の周辺、非常に近い御方」ではないのかな?
と私はモヤモヤしながら、この場を離れたのでありました・・・
しかし・・・一つ気が付きました(^'^)
埋葬者の方々は・・・霧島連山に頭を向けた形で安らかな眠りについていらっしゃいました。
やはりな!!! と私は感動致しました(^'^)
今回は 球磨と戦争 その『根源』 と題して書きましたが
『えびの』も、もちろん『根源』の一部でしょう・・・
次回は ちゃんと前回の続きについて書かせて頂きます(^'^)
<m(__)m>
次回『②縄文晩期に遡り 祖父母の行動を探る その1』に続きます。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12507974017.html
最後までご覧頂きありがとうございました。
ひろっぷ