前回の
①球磨郡久米郷と物部氏 より続きます。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12349112922.html
前回の調査・勉強で理解出来た事は
私の住む球磨郡旧久米郷
★喜田貞吉氏、太田亮博士をもって「久米は球磨であり、久米部は球磨人、即ち肥人ならん」「久米族の山部連は山部の総領的伴造(とものみやつこ)である」と言われた古代元祖的久米族の本拠地と言われる。
★「太宰官内志」では『和名妙に球磨郡久米郷あり・・久米物部の住めりし處なるべし。』
谷川 健一氏は
※ニギハヤヒが部下を沢山引き連れて、東へ移った時の氏族の名前が『旧事本紀』に出ており、久米物部、これは九州の球磨郡に久米郷というのがある。
※海軍の強い呉国と結んでいたのが狗奴国。狗奴国のクナはクメ、クミと通音である。
だから久米郡でもあるし、球磨郡でもあるし狗奴国でもある。
邪馬台国は狗奴国と和睦して、一団となって東の方へ移動する。久米族というのを神武天皇が引き連れて行く。久米族というのは狗奴国の後裔・・・
と論じておられました。
さらに
先代旧事本紀やウエツフミを元にした諸説では
※ウマシウチ(別名:大久米の命)の母親である矢野姫が、ニギハヤヒの血筋を引き継ぐため、物部氏の祖先とされている。
ウマシウチ(別名:大久米の命) ⇒ 物部氏
と言った記載もあり・・・
様々な諸説を元に球磨郡旧久米郷を調べると、頭は若干混乱しますが、結局・・・
大久米命(目のまわりに入れ墨をしていた)と饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
久米族(肥人・コマビト)と物部氏は何か深い関わりがある事だけは見えて参りました(p_-)
この関係に、今まで勉強してきた球磨の古代
①『古代の球磨の鉄の生産・古代の稲作』 や
②『球磨で出土した古代鉄剣の製造・及び製造元
成分分析した結果、成分は「含韓銅磁鉄鉱」と呼ばれ日本国内には存在せず、
中国・朝鮮半島でしか採掘されない)』 や
③『希少な蝶(ゴイシツバメシジミ・中国浙江省に分布。国内では球磨郡を中心に周辺域・奈良県吉野郡のみの局限分布)』 や
④『希少な植物(ツクシガヤ※長江流域の春秋戦国時代の呉国(国王姫姓)、三国時代の呉国(国王・孫氏)の領域が中国での分布地であり、国内ではごく限られた地域のみに隔離分布』 や
⑤『内部構造が全国的にも非常に珍しい古墳』 や
⑥『1世紀~3世紀の遺跡から出土した3世紀頃(200年代)、中国浙江省(せっこうしょう)付近で製作された破鏡(方格規矩鏡)のペンダント』 や
⑦『国内でも発見例が3枚しかない金の鏡(三国時代3世紀に中国の江南地方呉の領域で製作された鎏金獣帯鏡)・金の馬具等』 や
⑧『全国的にも非常に珍しい住居跡から出土した国内最古用式の青銅製の剣
(実戦で使用)』 や
⑨『国内でも非常に珍しい西洋犬のような土偶』 や
⑩『装飾古墳に施された武具・靫や弓』 や
⑪『全国的にも非常に珍しい住居跡から出土した銅釧(ブレスレット)・銅鏡(穿孔を有する完形の小型佑製鏡)』
⑫『なまずさんと久米族の関係』
⑬『久米族と紀氏との関係』
⑭『春秋戦国時代の呉国(国王姫姓)呉王夫差の公子忌「孝昭天皇三年来朝住火国山門」』
⑮『球磨川河口に渡来したかっぱさん。オレオレデーライタ(呉人呉人的来多=中国の呉の国からたくさんの人がやって来た)』
等(実はまだまだ、ブログに書いていない事は多々ありますが)
と!
★喜田貞吉氏、太田亮博士をもって「久米は球磨であり、久米部は球磨人、即ち肥人ならん」「久米族の山部連は山部の総領的伴造(とものみやつこ)である」と言われた古代元祖的久米族の本拠地と言われる。
★「太宰官内志」では『和名妙に球磨郡久米郷あり・・久米物部の住めりし處なるべし。』
を!
精査していくと・・・何らかの『真実』が見えてくるのではないか
そう考えています。
今の所・・①~⑮までの中で見える事は
『中国浙江省』と言う言葉に関連するものは2回登場。
★浙江省とは
春秋時代の越国・戦国時代の楚国・三国時代の呉国の領域であり、長江沿いの地域は日本の稲作伝来ルーツ地
『三国時代の呉国』は
上記の浙江省を含め4回登場
『春秋時代の呉国』は
ツクシガヤの記述、呉王夫差の公子忌の記述で2回登場
「時代不明の呉国」は
かっぱさんの渡来伝説で1回登場
つまり①~⑮までの中には二つの時代の『呉国』の言葉が合計9回登場。
9/15・・・多いです・・
う~む(p_-)
所で・・・かっぱさんですが・・・
実は、宮原の一族の先祖「橘公成(公業)」とかっぱさんは深い繋がりがありまして・・・
サガトラ様 サイト 潮見神社-河童伝説発祥の地より
『潮見城の初代城主 橘公業が嘉禎三(1237)年にこの地に来たとき、
下僕(家来)として従っていた河童たちも潮見川に移り住んだ。』
『いたずらをしてしまった河童たちを説得した潮見神社の宮司様』
『潮見神社』
その『潮見神社』と菊池氏は繋がりがあります。
事代主のブログ様 サイトより 潮見神社 より
https://ameblo.jp/indiaindia-27/entry-12113102977.html
『一の鳥居の横には「菊池純正公墓城参道」』
『菊池純正ですが、肥前杵島郡長島庄の荘官職を持っていたらしく、ここの氏神潮見大明神の笠懸の神事に奉仕している間に落馬して死去してしまったとのこと』
『二の鳥居の前には、沢山の河童とその横が菊池純正のお墓』
事代主のブログ様 サイトより 潮見神社を拝見すると、上記の事が解りました。
と言う事で・・・
球磨川河口に渡来したかっぱさんですが
実は伊予橘氏である「橘公業」(宮原の一族等の先祖)の家臣にかっぱさんがいた
(@_@;)と言う伝説があり(p_-)
そのかっぱさんに纏わる潮見神社には菊池純正、すなわち菊池氏も関わっていらした・・
と理解出来ました(p_-)
面白い!と思われた方もいらっしゃるとは思いますが
私は至って真剣です(p_-)
今回は前回のまとめを書かせて頂きましたが
まとめると・・よ~く見えてきました(p_-)
次回は「久米物部」と「久米族」の調査の流れの一つとして
球磨郡久米郷と伊予橘氏(橘氏であり越智氏であり物部氏の系でもあり紀氏の系でもある)
の(p_-)
その後(鎌倉時代以降)について書かせて頂きます。
独り言・・・中々「平河氏(良峯氏)」には繋がりませんが・・・
多羅たら・・(ー_ー)!!違った ただただ・・
そろそろ「百済」や「新羅」が登場しそうな予感はあります・・・
2018/02/19 追記
その後(鎌倉時代以降)について書かせて頂きます。・・・と書きましたが(..)
次回は『番外編 じいちゃん(父)と子猫のにゃん♡』と題して、父と我家の家族の一員となった子猫のにゃん♡とのエピソードを書かせて頂きました。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12353525839.html