前回のブログ『宮崎神宮にお伺いしました。』 より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12309823520.html

 

今年の正月、人吉の国宝 青井阿蘇神社へ初詣に伺った際に、写真を撮ってこちらのブログにアップしていたのですが・・・

非常に重要な「球磨の古からの祭礼」について完全にスルーしていた事に気が付きました。

 

青井阿蘇神社で50年に一度、執り行われる「大寶御注連祭(だいほうおんしめさい)」

ついてです。

 

写真だけは、以前アップしていたのですが、御楼門の御由緒を含め、あらためてご紹介させて頂きます。

 

国宝 青井阿蘇神社 御楼門

 

御楼門について ウィキペディアより

楼門に掲げる神額は人吉藩3代藩主相良頼喬が延宝5年(1677年)に奉納したもので、天台座主堯恕法親王の揮毫、林春常の裏書がある。

 

天台座主堯恕法親王 ウィキペディアより

堯恕法親王(ぎょうじょ ほっしんのう、寛永17年10月16日(1640年11月29日) - 元禄8年4月16日(1695年5月28日))は、江戸時代前期の皇族・僧。後水尾天皇の第十皇子。母は園基音の娘・新広義門院園国子。天台宗延暦寺別院妙法院の門跡。幼名は照宮。諱は完敏(さだとし)。字は体素。号は逸堂。
 

 

「大寶御注連祭(だいほうおんしめさい)」の御由緒書き

 

 

大寶御注連祭(だいほうおんしめさい)

大寶御注連祭は、平安時代初期の大同元年(806)ご鎮座以来、青井阿蘇神社で50年ごとに営まれてきた特別な祭礼で、平成18年の1200年祭で24回目を数えた。

明治39年に斎行された1100年祭の文献に
『境内に長い竹を立て、頂上部に日・月・星をあらわす3本の御幣を取り付け、その下に円形に藁で編んだ縄を巻きつける。
この縄に森羅万象をあらわす青・黄・赤・白・黒の五色の御幣をしつらえ、麻苧や賽銭を取り付け、その下部から八方にしめ縄を張り巡らせ酒樽を吊り下げる。
祭壇には金幣3本を安置し、その前にお供え物として白餅2枚、赤餅2枚、くつ型餅4枚と米12俵、塩12俵をそなえ、祭壇の前では球磨神楽を舞った』
と記されていたことから、これを忠実に再現し10月8日の夕闇せまるころ、青井大明神をはじめ八百万神々を迎え、満月と満天の星空のもと、およそ5時間にわたり現存する球磨神楽17番の舞すべて奉納した。

これまで50年に一度ずつこの特別な祭礼が営まれてきたということは、この土地を拓き生活のいしずえを築いた祖先たちの神祭りの方法と感謝の真のあらわし方を何時いつまでも忘れないように、そして世の中の平和と更なる発展を願ってのことだろう。

(御由緒書きより)

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国宝 青井阿蘇神社で50年ごとに営まれてきた特別な祭礼

『大寶御注連祭(だいほうおんしめさい)』

※古(いにしえ)の此の地「球磨・人吉」を拓き生活のいしずえを築いた祖先たちの神祭りの方法と感謝の真のあらわし方。

※世の中の平和と更なる発展を願う、球磨・人吉の古(いにしえ)の方々の心。

 

を御紹介させて頂きました。

 

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追記

補足します(..)

 

ちなみに、私が書いたブログ

五木村の縁戚の方々と私の先祖が繋がる椎葉村

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12307536148.html

 

で御紹介させて頂いた親戚の

熊本県神社記に記載の古い社家略系図 人吉・球磨地区神職家系図 にもその系が載る「家」。
系図には
本姓 大神 氏 尾方 とあり
初代が緒方太郎右衛門。 代々「惟」の通字、「清」の通字を持ち、現在、15代目となる。

 

こちらの15代目となる方であり

椎葉のおじの妻の兄であり、椎葉のおじの従兄でもある現在90歳代である方は

国宝青井阿蘇神社の歴代の宮司様の中のお一人であります(..)。

 

次回 『曾祖父への手紙の真相は?』 に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12312088938.html