強い因果律 - 善因善果、悪因悪果 | ひろくん39の統合失調症日記

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現在精神科に通院中で、診察をメインに書いていますが、それ以外にも日々の楽しかったことなどをつづってます。

私のホームページからの転載です。
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2003年4月18日 強い因果律 - 善因善果、悪因悪果

因果律って言葉、多分、物理学用語だと思うんですけど、ニュートンの古典物理学では、すべてのこの世の中(宇宙)の出来事は、方程式で表され、必ず原因があって、そしてそれに対応して、結果がある、という事なんです。これによれば、生物の動きや思考もすべて方程式の通りに動いているって事なんです。

しかし、現代の物理学では、量子力学(波動方程式)が登場いたしました。この方程式の解釈には、因果律ではなく、確率解釈がされています。

で、この確率解釈に真っ向から反対したのが、かの天才、アインシュタインです。アインシュタインは、「神様はサイコロ遊びをしない」と言い残し、死ぬまで確率解釈を認めませんでした。そして、この世の森羅万象を現す、統一場理論を完成させようと、死ぬまで統一場理論の研究に時間を費やしたそうです。

私には統一場理論ができるかどうかはわかりませんが、この先どんな斬新な理論が登場しても、方程式では表されない、ベールで隠された部分が、残ってしまうと感じます。

今は、膜理論や超ひも理論を統合した、M理論というのがあるそうですね。この理論が私たちにいったい何を教えてくれるのか、興味があるところですが、今のところ、そういうことは耳に入ってきません。

ところで、なぜアインシュタインは、波動方程式の確率解釈をああも反対したのでしょうか。
私が推測するに、この世は、因果律で動いているのを、自分の人生を通して、感じ取っていたのだと思います。

私も、方程式で表す事ができるかどうかは別として、この世は、因果律に忠実に動いていると感じています。因果律に忠実に動いているって事は、この今の現実に起こっている事も、過去の「因」の延長として「果」があるって事なんです。そして未来も同様です。未来は、人間が作り出していくもの、という事を否定しているわけではありませんが、そんな人間の行動も、やはり因果律にしたがって動いているに過ぎないんです。

では、なぜ私は、そしてアインシュタインも、そんなに因果律にこだわっているのでしょうか?
それは、「因果応報」、「善因善果、悪因悪果」という事を、自分の人生を振り返って感じ取っているからです。善い事をすれば、それが必ず、自分にとって善い結果をもたらし、悪い事をすれば、必ずそれが災いとなって返ってくる、という事なんです。まるで、楕円のひとつの焦点からでた光「因」が、もうひとつの焦点「果」に集まるように。

私はあえて、この事を、強い因果律と呼びたいのです。

因果応報という言葉は昔から聞いていましたが、私がそれを本当に理解したのは発病した後です。
「善因善果、悪因悪果」という言葉は、明主様の御教えを読んで知りました。

昔、こういう事がありました。

狭い道で路上駐車していた車の横を通った時に、その車のドアミラーと、私の車のドアミラーが接触した事がありました。でも、私は何もせずにしらんぷりして、通り過ぎ去ってしまいました。
それから何年もたってからの事です。私の車は駐車場に止めてあったのですが、なんとドアミラーがポロンと垂れ下がっているではありませんか!私はこの時あらためて、因果応報というのはこの事なんだな、と思いました。

皆さん、神様を信じるかどうかは皆さんの自由ですが、この「因果応報」という事だけは、心に止めておいて下さい。もし事故った場合でも、最善をつくしましょう。それがひいては自分のためになるのです。