まさかのリバイバル!その2「日陽はしづかに発酵し•••」 | 帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

まさかのリバイバル!その2「日陽はしづかに発酵し•••」

『日陽はしづかに発酵し•••』

 

 先日、まさかのリバイバル!ということで「ビデオドローム」について書きましたが、実は同じ日にもう1本、「まさか!」のリバイバル作品を観ていたのでした。

 それがアレクサンドル・ニコラエヴィッチ・ソクーロフ監督の「日陽はしづかに発酵し•••」です。

 1988年製作のロシア映画で、日本での初公開は1995年6月17日。偶然にも僕が先日久しぶりに観た日も6月17日でした!

 初公開当時は今はなき銀座テアトル西友で観ました。

 この作品については2021年3月4日に書いた下記のブログでも取り上げました。

 

 
 とにかくわけがわからなかったけれど、何だかすごいものを観てしまった!という印象だけは強烈に残りました。
 今回の上映は、ソクーロフ監督の新作『独裁者たちのとき』の公開に合わせたもので、川崎市アートセンターでの上映でした。
 最初、上映スケジュールでこの作品を見つけた時、思わず「ウオーッ!!」って叫んでしまいました。まさか今になってこの作品がまたスクリーンに観られるなんて!!
 しっかりとスケジュールを空けて、ワクワクしながら映画館に向かいました。
 さて、28年ぶりに観た「日陽はしづかに発酵し•••」はと言うと、これがものの見事にほとんど内容を覚えていませんでした(笑)。
 オープニングからして「あれ?こんなんだっけ??」てな感じです。
 でもこの冒頭のシーンがすごいのです。荒涼とした大地を大空からの俯瞰で眺めるショットから始まり、やがてカメラは地上へと降りて行き、ものすごい速度で地上スレスレを疾走していきます。
 そして次に中央アジアの人々と思われる人々の様々なクローズアップが映し出されます。この人たちの表情がこれまた印象的です。
 こんなに衝撃的なオープニングにも関わらず、まったく記憶から消えていました。人間の記憶なんてあてにならないですね〜。
 さて、物語はというと、これがどう言っていいものやら。
 舞台は中央アジアにあるトルクメニスタンのようなのですが、はっきりとは説明されません。この地に赴任してきた若いロシア人医師が、ここで体験する不可解な出来事を、セピア色の画面と哀感漂う音楽で綴った映像詩です。
 この映画が作られたのは、ソ連からいくつかの共和国が脱退し、中央集権体制が崩壊し始めた頃。映画の中にも旧ソ連への体制批判の暗喩がところどころ込められています。
 またチョルノービリ(チェルノブイリ)での原発事故が起きたすぐ後ということもあるのでしょうが、核の恐怖を暗示するような描写もあります。
 しかし明確な物語の展開があるわけではなく、時には幻想的、またある時には悪夢のような描写が繰り返されます。
 常に背景に流れている囁きの会話も、何だか意味深です。
 まるでどこかで発掘された正体不明のフィルムを見せられているような不思議な感覚に陥ります。
 今回見直して気づいたのですが、主人公の青年医師がイケメンの上にすごくいい身体をしています。まるでバレエダンサーのようです。アレクセイ・アナニシノフという俳優で、この他には同じくソクーロフの「マザー、サン」にも出演しています。
 今回は35ミリフィルムでの上映でした。上映後に川崎市アートセンターの映写技師さんと話をしたのですが、この作品の上映素材はフィルムしかないようだとのことでした。でもプリントの状態は良く、また映画自体が色褪せたセピアのトーンの場面が多いので、フィルム上映こそがこの作品の魅力が引き出す最良の方法だと思います。
 昨今のロシア情勢に関心を持ち始めたので、初公開時よりも内容は理解できたように思いますが、それでも難解な場面は多かったです。でもやはり何とも言えない吸引力のある作品です。
 次にまたスクリーンで観る機会はあるのでしょうか?