【鶏口牛後】
偏差値の話の続きです。
ギリギリでも偏差値の高い学校に行くのと、偏差値的には余裕のある学校に入学してトップを目指すのと、どっちが良いかという話は良く見ます。
まあしかし、入学時の順位と卒業時の順位に、あまり相関はないんじゃないかというのは、もう間違いないんじゃないかと思っています。
今だからもう書いちゃうと息子は最後の冠模試で理科は一位でしたが、今の理科の成績はいつも平均前後で、完全に過去の栄光です(笑
逆に受験算数は苦労してましたが、今は数学は特に苦労してない模様です。
入学前の成績なんて、入ってしまえば何の役にも立ってないです。元々ある程度似た才覚の子達なので、リセットされてるように感じます。
(個人差はあるとは思います)
もちろんトップ層で入ってトップ層で卒業する人も居るけど、例外は沢山あるという話。
(後述しますが、だからと言って牛後を推す訳ではないです)
多分それとはちょっと違った話です。
極論すれば、例えば東大に100人入る学校でも、大学受験時に100番に入って無ければ東大には行けないかも知れません。
学校によってこれが100人でなく50人だったり10人だったりする訳ですが、結局は学校の偏差値よりも、入学後に本人が頑張るかどうかが重要だと思います。
ですが、頑張れるかどうかには環境は意味があると思います。そして頑張れた結果の101番には勿論意味がある。
違う言い方をすると、(入学時の成績は置いといて)入学後に鶏口となるにも本人の資質が必要だと考えています。
大半の人間は、置かれた集団の中での「そこそこの努力」をするものだと思っていますので。
働きアリの法則(2割は勤勉になり、6割は時々サボり、2割はずっとサボる)てのもありますね。
なので、周りの目標や努力のレベルが重要だと思っています。
前回記事の偏差値の話で、環境で人が作られると書いたのは、こういう意味です。
勿論学年トップを張る子も居ますが、トップ取る地力があってもトップ取る気持ちの無い子も少なく無いと思っています。
一方、牛後から上に上がるにも、これも向き不向きがある様に思います。
受験前の三年間でやれなかった事が、入学後の六年間でやれるのか?
精神的な成熟が遅かったりして中学受験で本気出し切れてなかったタイプや、入塾が遅くて間に合わなかったケースなら、やれるのかも知れません。
しかし同じ成績帯の友達でつるんで「こんなもんでいっか」となってしまうのも、良くある事な気がします。
私は中学入学時点は底辺で、ある時目覚めたパターンだけど、息子が同じ道を辿れるかというと、出会いもあるので何とも。
一概に鶏口牛後のどちらが良いというもんでもない。そんなの人と場合によると思います。
身も蓋も落ちもない話ですみません。。
続きます。