晴耕雨読な日々をめざす日記。 -2ページ目

晴耕雨読な日々をめざす日記。

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人探しさすらい部長、お友達、わたしとの、三者会談が行われる。

お友達が仕事内容を、まじ~めに説明してくれる。

数時間前に、アホ会話しつつ、お互いに三者会談では女優でいようぜ~。という約束通りの展開である。


さすらい部長には密会があったことは内緒。ということで。


まあ、すでに結論は出ているのだ。じゃなければ、こんな三者会談にわたしがのこのこ出る幕は無い。


「お受けします。でも、本当に全くのど素人ですが、よろしくお願いします。」


さすらいA部長より、

「あ~よかった。よろしくね。」


そして、わたし、

「実はまだB部長(=今の部長)には、まだ返事してないんですが、どうすればいいですか?わたしから言った方がいいですか?」


すると、仕事が出来るともっぱらの噂のさすらい部長が半分中腰になり、

「僕が後は進めますから、あなたは何もしなくていいです。急いで人事部長、B部長にも話すから、僕はもう行くけど、後は二人でとりあえず話しててよ。会議室あと30分使えるから。」


と言って、A部長は足早に去って行った。その日のうちに速攻攻撃を仕掛けてくださった。


というわけで、異動をすることにしたのだ。

その後B部長(今の部長)が驚きの行動に出るのであった。




人探しさすらい部長からの熱烈スカウト??後、お友達(わたしがオファーを受けた部署の現担当者)から、メールが来る。

「聞いたよ~。わたしとしては大歓迎よん。で、今度はさすらい部長と、わたしと、あなたで、また三者会談となるみたいだからさ、とりあえず、会談前にランチでもしようよ。」

ということになり、三者会談の前に密会ランチ決行。


お友達としては、わたしが来るのは、超嬉しい。ということ。

引き継ぐ予定の仕事は3人前くらいの仕事になる、ということ。(この部署も前回のリストラで使えない人は、さすらい部長から、結構切られたのだ)

明らかに畑違いな仕事であること。

部の雰囲気は周りが言うほど、厳しくないこと。

そして、

残れる選択肢がある人は残るべきなんだよ。

という、例の転籍問題のことも言ってくれた。


転籍問題・・・大きくアタマをもたげる今日この頃。

ちょっと、周りがやはり落ち着かなくなってきており、対象部署のお友達とランチすると、必ずこの話題が出る。

年明けからは、具体的な処遇とかの話にもおそらくなるはず。そして誰が残れて、誰が転籍するかも生々しく仁義なき戦いが勃発するハズ。


一方の異動すれば・・・の話。

一番気になるのは、間違いなく畑違いな仕事になる。という問題。

ここ10年くらい、わたしは銀行を相手にしか仕事をしたことがない。

それが、今度は証券会社を相手に仕事をすることが多くなるのだ。+社内の調整。という新たな調整業務が生じる。


同じ金融機関相手の仕事とはいえ、全く異なる仕事になるのだ。


そして、お友達との密会の一時間後には、三者会談が設けられるわけで・・・

この三者会談で、ある程度の答えをださなきゃならんのだ。





日常生活にぼんやりとは影を落としている、手術後のいろいろ。

今回の手術後2カ月検診に行ってきた。

術後1カ月検診も実は11月にもあったのだが、そのときのことも合わせて以下。

受診はいずれも、近所の整形外科。大学病院の先生が予約無しで、待てば絶対に診察していただけるのはありがたい。


術後1カ月検診・・・

レントゲン撮影。

骨の状態はよろしい。

わたしからは、

足がちょっと痺れる。

手の痺れもまだ残っている。

ということを伝える。


これらわたしの今の状況に関しては、

1年待ってください。

もし治らなかったらあきらめてください。なる非情な宣告を受ける。


で、今日の2カ月検診・・・

レントゲン撮影は無し。

痛み、痺れに関する問診がいくつか。

ちなみに痛みはゼロ。痺れは日による。真面目に仕事をした翌日はやはり痺れる。足も同様。と、お伝えする。

とにかく、経過を見る。という基本的スタンスは変わらず。

先月と今月、何がちがうのか?と考えてみると、


痺れは治まっている感じはする。

ただ、まともに仕事をするとやはり疲れる。(最近は異動騒動もあり、これが響いたか?)


わたしなんかは、かすかな完治という希望を抱きつつも、ちょっと気をつければ日常生活には支障は無いこともあり、落ち着いて先生の話を聞いていられる。


最近は処方していただいたビタミン剤も以前よりは真面目に服用しているせいか、手術直後よりは明らかい痺れは少なくなってきているのも実感としてはある。


ただ、1年後ももし、今の状態の、「日常生活にぼんやりと影を落とす。」という状況を本当に受け入れなければならなくなったら・・・と思うとぞっとするのであった。





というわけで、翌日人材探しさすらい旅人のA部長、人事部長、わたし、で話し合いがもたれる。

仕事内容についての説明を受ける。

仕事内容については、わたしのお友達のランチタイムのグチネタ?等からわたしも大体は把握してたのだが、わたしのこれまでのキャリアとはちょっと路線がちがう仕事であることには間違いない。


この歳でキャリアを絶ってもよいのだろうか?

でも、新しいことが出来る最後のチャンスかも。とも、ちょっと思う。


異動する最大のメリットである転籍問題からの解放。今度行く部署ではまず、このようなことは起こらない。

転籍問題は、今後は仁義なき戦い?が部内で繰り広げられることが容易に想像がつく。

若いわけでもなく、中途半端なわたし位の年齢の者は、転籍がうまく進まないと、リストラ実施も否定はできない。


異動する最大のデメリットは、キャリアが分断されてしまう。

キャリアといっても、別にすごく好きな仕事でもなく、今の会社は2社目だけれども、まあ、なんとなくずっと同じ仕事を地味に続けてきた。という感じ。

そろそろ、細かい数字を目で追ったり、時間に追われる仕事はキツイな。と思うこのごろ。(老眼??)


と、良いこと。悪いこと。を自分の中でいろいろ妄想する。


そして、決定的な一言。がある。

「今のままだと、あなたには今後転籍問題を考えなければならない時が来ることは、わかってると思います。」

「わたし(=A部長)は、今のウチの会社に残ってほしい。と思っている人に、是非我が部に来てほしいと思っています。だから、あなたに声をかけました。」


惚れ惚れとする?ひとこと。があった。

とにかく、後任者が欲しくて、そう言ったのか、それとも、心からそう思って言ったのかは定かではないが、このひとこと。でわたしの心が異動する。ということに対し、傾いたのには間違いない。





人事部長の話は続く。

「産休に入られる方(わたしのお友達)の空きポジションへの異動はどうですか?」

というのがその内容なのだが、

ウソか真実かは定かではないのだが、

「条件に当てはまる色々な方を、アサインしてまいりましたが、ことごとく、A部長(=人探しをしている部長)の条件に合わず却下されまして・・・」


ちなみに、条件とはいろいろあったが、一言でまとめると、

機転が利き、折衝が出来る人。

残業が出来る人。


まあ、人事部長的には、普通な人を、お求め、とのこと。

噂ではそのA部長はかなりキビシメなお方と聞く。普通のレベルが高いんであろう。たぶん。


「わたし(=人事部長)のほうでダメモトで(なんじゃそりゃ?)あなたの名前をだしたところ、話を進めてくれ。ということになりまして・・・」


オイオイ・・・わたしは9月に今の課に来て、しかも途中一カ月休んで、現在仕事をまた思い出している状態なんだよ。


「数か月前に今のところに異動されて、またの異動。プラス体調の問題。ということもあり、事前に意思を確認させていただきました。」


「いきなり、こんな話を持ち出されて、さぞかし驚きだと思います。仕事内容も把握されてからのご判断でかまいませんので、明日、あなた(=わたし)、A部長、自分(=人事部長)で、ちょっと話し合い持ちたいと思うので。よろしくお願いします。」


それまで無言だった、今の部長(=B部長)が口を開く。

「決めるのは、あなた次第。本音としてはもちろん、行ってほしくないんですよね。でも、またとない機会だとは思うので。」


そうなのだ。これはある意味、またとない機会、であることは事実である。

実は一年以内には、今の部署は消滅(正確に言うと、外部に委託される)することが決定している。

この消滅の事実を認めたうえで、わたしは9月に今の部署に来た。

消滅、といっても、外部の委託先への転籍、などで雇用は確保されるし、今の会社に管理者として残る道も残されている。(人数は厳選なんでしょうが)

転籍、をする気は無く、管理者として今の会社に残りたい。というのが、わたしのスタンス。


いま、どうですか?と言われている部署に移れば、この転籍問題からは解放される。


しかし、安易に受けてしまってもよいのだろうか?











なんと、病み上がり?で復帰してから、数日経過後、所属部長より

「ちょっと話あるから、来て。」と。

まず、アタマに浮かんだのは、入院&療養の約一カ月の休みについてのお小言。お小言で済めばよいが、評価急落、減給・・・と悪い想像。


別室に呼ばれ、部長が目の前に座る。そうすると、開口一発、

「「人事部長も来るから、ちょっと待ってよう。」

もちろん、今回の入院騒動は人事部も知っている。人事部長登場とはお小言では済まない状況か・・・と思って待っていると、人事部長登場。


「どう?体調?」

「ほとんど通常通り働いています。みなさまに本当に感謝しております。」

等々の世間話が続く。

話題はわたしの体調、今の仕事のことが多い。何を言いたいのだ・・・


ウチの会社は普段は人に優しいとてもいい会社だ。

働きやすい会社である。


ただ、一度ハシゴをはずされると、ものすごい報復人事が待ち受けている。

一カ月の休み、にかこつけて、見せしめ人事???


はやく本題に入らんか・・・



「で、今日ここにきていただいたのは、実は異動の内示なんです。あなたが、現在あまり体調が万全でないことはわかっています。本来異動、というのは、本人の事前意思確認は基本的にナシですが、今回は特例、ということで。」


意味が判らん・・・続く。


・・・突然ですが、プレイバック入院生活をしばし・・・


わたしが入院していた病院には、枕もとに二つのナースコールがあった。

一つは、ただ押すだけのもの。

もうひとつは、押すと、マイクがついていて、看護師さんと話ができるもの。

やたらと感度がよろしく、ちょっと、床に落としただけでも、呼び出しコールが鳴ってしまう。

一度夜中に、落としてしまい、看護師さんがあわてて駆けつけてきてくださったことがある。

(まだ寝たきり時代だったため、拾うことができなかった・・・)


入院するときに、どっち使えばいいんですか?と聞いたら、どっちでもいいです。と言われたので、マイクがついているほうをわたしは使った。

といっても、使うのは、おひとりさまトイレができないときの「トイレに行きたいんですけど。」ということのみ。


何か用事があるときは、定例の血圧や体温チェックのときに、「痛み止めください。」みたいなことをお願いしていたので、ナースコールしたのは、トイレのときのみ。


・・・このナースコール、濫用が激しいんじゃないか。と、入院している間、何度も思った。

この濫用、で、肝心の医療行為行為に影響がでるんじゃないのか?と心配になるくらい。


「カーテン開けて」

「窓開けて」

「テレビつけて」

「ベッド下げて(電動ベッドなので、これは、リモコンさえ押すことができれば、自分でできる)」

「布団掛けて」

「ごはんがマズい」(→ありえませんが、こういうことを言っている方も)

等々・・・

ナースコールが深刻な危機的状況で使われることはほとんどない。

先に、ナースコールは押すだけのものと、しゃべれるものの二つがある。と書いたけれども、この手のリクエストは、当然押すだけ方式、で看護師さんは呼ばれる。

看護師さんも呼ばれて、初めて対応すべき内容を把握する。


マイクがついているナースコールが使われるのは、トイレのときのみ。

もしかして、ちゃんと使い分けてる???(考えすぎか?)


看護師さんも呼ばれて、自分できるじゃ~ん。」等と言いつつ、文句一つ言わず、お世話している。

病院には、看護師さん、ヘルパーさん、様々な職責の方がいらっしゃったのだが、医療行為に直接関係のないことは、ヘルパーさんがお世話してくれることが多いのだが、ヘルパーさんも不在中のことも多く、(リハビリ室への送迎とかの付添)結構、医療行為に直接関係のないことで、看護師さんが対応していた。


病棟の張り紙に、

「当院は日中は患者8人に対して、一名の看護師、夜間は患者15人に対して、一名の看護師の態勢で看護にあたっています。」みたいなことが書いてあった。(数字はウロ覚えですが)


まあ、この張り紙の意図する真意はわたしにはわからないけれども、

「節度ある、病院生活を。」ということなんじゃないかなあ。と。





12月2日。いよいよ本番の朝。

5時くらいに目覚める。ipodで音を確認しつつ、部屋の加湿器を前回にし、お風呂にお湯を張る。部屋の窓ガラスが曇るくらいに、湿気がこもってくる。

ま、最後の悪あがきでございます。声帯に潤いを。


リハーサルが始まる。

大阪城ホールには、司会の小倉智明さんが登場。仙台からの中継で平原綾香さん、がスクリーン越しにリハーサル。つなぎのトーク部分もリハーサルが行われる。


その後、ゲストの辻井伸行さん登場。ラフマニノフのピアノ協奏曲が披露される。

わたしはピアノの単独リサイタル。というのは聴きに行ったことがなくて、ピアノの演奏というのはCDでしか聴いたことがない。

この日は、スクリーンに、辻井さんの指の動きが映し出される。

見たことのない弾き方なのだ。

強い音のときは、指がほぼ立っている。

流れるメロディのときは、体も流れる。

いちばんの驚きは、佐渡さんが辻井さんのほうを向いて、指揮棒を振っているときは、辻井さんも佐渡さんのほうを向いているのだ。

とても、目に障害がある人とは思えない・・・

心が揺さぶられた。


いよいよ、オーケストラの登場。いわゆる合唱のだいく。は第四楽章の約17分なのだが、公演当日リハーサルは、第一楽章から、通しで行われる。

オーケストラに対しても、佐渡さんから、チェックが入る。遠くからだから良く聞こえなかったけれども日本語では言語でのチェックであった。(オーケストラも多国籍で構成されていました)


で、肝心の第九の合唱部分なのだが、佐渡さんを超ガン見で歌った。

が、昨日よりマトモになったとはいえ、やはりバラバラ感は残るのだ。これは合唱の指導の先生からも、最後の指導が入る。


佐渡さんからは、「昨日よりは随分よくなりました。いいものにしましょう。」

のコメント。

リハーサルは13時半くらいに終了し、その後、15時よりコンサートが始まる・・・












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12月1日。一万人の第九前日リハーサルの日だ。


「ズレる・・・」


自分はちゃんと歌っているつもりだが、実は私を含めた各自が指揮をみてなかったり、いつもの東京での練習と本番の佐渡裕さんの指揮でテンポやタイミングが異なるところを、さらっといつも通りに各自が勝手に歌うと、それが一万人分重なると、ものすごいズレとなって、反響する。


佐渡さん指導の前に、合唱の先生からの指導があったのだが、このズレズレなところは、何度も指摘を受けた。

実際に、「じゃ、ソプラノここ歌ってみて。」なんて他のパートだけで単独で歌ってるのを聞くと、本当にズレまくりなのだ。ばらばら・・・


「じゃ、アルトやってみて。」ということでわたしたちも歌うと、ザワザワ・・・というざわめき・・・が他のパートから聞こえてくる。

ズレズレ、なのが、お互いによくわかるのだ。


楽譜覚えるというのが、参加の必須条件だったのだが、その真意は、「指揮を見る。」ということにあったのだ。ということに初めて気づく。


他にも長い間奏の後の歌いだしもズレる。というか、バラバラ・・・と、歌い出す感じが素人目にも感じる。


これは、普段の練習では、ラスト4小節だけの前奏から、歌う。なんていう練習しかしてなかったので、オーケストラの間奏を初めてフルで聴く。という参加者の場合は、ホントにわからないと思う。


ズレる要因は、指揮を見ていない+人の声を聴いてから歌う。ということなんでしょうが、その要因のひとつを自分も作ってるんじゃないか?と思い、休憩時間も最後の悪あがきで、ガチでCDを聴いて復習なぞをしてしまった。


悪いことばかりではない。

一万人の声の集合、は、思いのほか大迫力。

本番で声でないとやだな~。と思い、それでも控え目にわたしは歌っていたのつもりだったのが、結構楽しくて、声をだしてしまった。


佐渡さんの指導も熱血であった。

良いものにしたい。という想いが伝わってきた。

最後の注意事項に、「ビートを効かせてください。」という最もシンプルな注意事項があった。

ビートを効かせる。イコール、手を結んで、開いて、をしながら歌うイメージとのこと。

確かに意識して、リズム良く歌うと、揃ってくる感じもする。


さ、本番はどうなるんだろ?


写真は大阪城のてっぺんから撮影の大阪城ホールでございます。







で、肝心のお支払い、なのだが、

診療期間10/22-10/31 保険  1,299,000 保険(食事)17,090

負担額   90,420 負担額    6,760



診療期間11/2-11/6 保険  165,300 保険(食事)10,540

負担額   45,590 負担額    4,160


負担額の合計額166,680円を、カードで支払ったのであった。

(ATMも近くにあったけど、ま、マイルもたまるし・・・)



保険部分のメインイベントである手術?のあった10月分の約130万円のうち、内訳は、手術に約83万、麻酔に約14万円、な感じでありました。


ちなみに、カードのお客様控えには、


お大事に。

お気をつけてお帰りください。

という、注意書き?が印字されていた。


・・・健康保険証や、高額医療用の保険証があったからこそ、の軽減された医療費である。

定価でのお支払いだと、140万円近くかかった今回の入院。

命はお金には替えられないし、大昔は、MRIとかもなくって、首をバッサリいってから、さて、どうしようかね?だったと思われる今回の手術。医療技術の進歩の恩恵を今回はすごく受けたので、高いの。という感覚は全くない。


でも、お金は稼げばまた元に戻るけれども、わたしの体のちょっとだけ不自由な部分は、一年後に戻らなかったら、「あきらめてください。」という宣告を受けているのだ。


最近はこの不自由な部分、は、段々と解消されつつあるけれども、やはり不自由な部分、は残っているのだ。


失われた健康は戻らない。

あたりまえのことだけれども、今回の入院騒動での一番の教訓。



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