おはようございます。

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ありがとうございます♪


私は、世界の片隅のちっぽけなただの主婦かもしれないけれど

それでも真剣に日々生きて、感情も心も体も一杯動かして、たくさんいろんなことを感じて

地球での日々を過ごしています。

この中で、どんなにちいさくたって、きっと届く
誰かが見てる 
始めないと どうせ誰も聞かないなんて諦めないで
たとえそれでも それでも
発すると発しないじゃ全然違う。
百匹目の猿という現象があります。
百分の一となるために いえ
百匹集めるには
それでも一匹一匹、積み重ねなければ
58匹でも79匹でも99匹でも まだあとほんの一匹足りないだけで届かないなら
最後の一匹として 私が声をあげましょう

そんな思いで 怖いけれど、今日は書きます。



北朝鮮が頭おかしいとか 悪の根源だとか 酷いとか言うけれど

ガンという病気も目の敵にするけれど

なんでそれが出て来たのか

どうしてこうなったのか

よく考えてみたら

問題は別の場所にあって

それに気づけよ、気づいたくれよというサインとして

こういうことが現象として起こっていると

気づいて  そこから改めなければ

どうにもならない たとえ北朝鮮やガンがどうにか解決したとしても  すぐまた次の、同じようなことが 起きてくるはずです。

一見悪いことも、必要悪というか
悪かろうがなんだろうが、今必要だから起こっているのたと思います。

核の抑止力とかいって

やったらやるからな、と

怖いものをお互い持って 恐怖を振りかざして

恐怖を恐怖で抑え合って ピリピリの緊張の中で生きてる

今まで弱かったけれど ちょっと力をつけてきて
自分も核を持てるようになったから
俺も恐怖合戦に参戦するぞと レースに入れろと
言ってきたものに
お前はあとから入ってくんな
おまえの要求に答える余裕なんかないぞ、黙っておれ、お前なんか今まで通りすっこんでおれ、のび太のくせに、とでも言わんばかり

俺たちは核持って抑え合いしててもいいけどお前はダメ、なんて

北朝鮮が怒るのも無理ないと思いますが?

北朝鮮は、怖くて怖くて仕方がないのだと思います。
私達もどの国も、世界中そうなのだと思います。

恐怖のレースに参戦しなかったら、地球で、金(カネ)の文化で、取り残される いつまでも、原始人みたいに未開のまま、貧乏なままだ、なんて


シンプルに考えすぎと言う人もいるかもしれませんが

逆に複雑に考える必要だってありますか?


結局はそこでしょう。

シンプルっていうけど 

結局はそれが基本、根底でしょう?

シンプルに考えて何が悪いのかな?


おかしい。

恐怖で地球をつつんでる。

金金金で

贅沢な生活

大地から  菌から  自然から離れた生活だけが

そんなに 人を殺してまでも 欲しいのかな?

自然の恵みに感謝すること(自然の恵みとは、寿命が来ることや死も含めます。)限りあるなかで、必死に生きることの、ハラハラする楽しさ。怖さと(この怖さとは、人に脅迫されるとか、悪意に基づく怖さではなく、自然や神の偉大な力の前に感じる、畏怖、畏れ多さ、のことです)隣り合わせで、真剣に、文字通り命懸けで、工夫して生き延びることの、充実感、生きている手応え。

これは

お金をかけた贅沢で楽でセレブな生活に

決してひけをとらないどころか、負けずとも劣ることのないどころか、

比べ物にならない 至福なのではないだろうか?


人を殺してまで

自分も殺されるかもしれないなんて

お互いを脅かしながら 人工的な恐れに、びくびく怯えながら緊張しながら生きるなんて

神や自然が、宇宙の調和と秩序を保つために、法としてこの世に君臨させる畏怖と

人間同士が、波長の低いエゴから作る、自分の都合さえ良ければ、を通すために、他の人間をコントロールするために脅かすために振りかざす恐怖とは

次元が違うと思います。


いつまでお金のレースを続けるのかな?


経済発展とか

科学技術の発展とか

生きる時間とか

いつまで  どこまで伸ばすつもり?

いつまで生きてるつもり?

そんなに死にたくない?

そりゃできるだけ生きた方がいいかもしれない、地球で経験積んで、魂を成長させて煌めかせていくチャンスをもっと持ちたいとか言うなら

でも

誤解を承知で正直言わせてもらうと

何しに生きてんの?  って

聞きたくなるときがある。自他共に。

死も、ガンも、北朝鮮(というか、戦争の機運)も

自分達の都合に合わないから悪と見なして排除、ではなく、

なぜそれが起こっているのか

何を言わんとして、神は、自分達の作った世界は、自然は、何を私達に気づいてほしくて、その現象を起こしているのか

私たちは、どうなりたいから、ほんとうはなに望んでいるから、それが問題だと感じるのか?
魂が望んでいることを実現するためには、ほんとうは何が問題だから、それに気づかせるために現象が起こっているのか

それを見なければ  

自分のこととして 真剣に 今そう感じています。


私一人には、大した影響力もないだろうし、国会議員でも一国の代表でもないし、私がここで一人で何言ったって、アメリカや北朝鮮の代表者に直接影響しないかもしれないけれど、でも、それでも、私達だって地球に、日本に住んでいるんだから、やれること、やるべきことはある。

私達一般ぴーぽーの個人にもできること、それは、

自分の生きる範囲で、自分の身の回りだけでいいから
いえ
自分の回り(あなたや私、個人の担当領域、守備範囲)で

自分の都合に合わないことを即「悪」と見なして潰そうとするのではなく、なぜそれが生じたのか?なぜそれを、私は不都合と感じるのか?自分の中に、何が起こっているのか?自然の在り方とは何か?自然って何か?自然なら、宇宙の営みなら、どういう選択をするのか?そこから、人間である今ここの私はどれだけ離れているのか?またはどれだけ一致しているのか?どこが欲なのか?どんな欲なのか?自分自身のことも悪とは見なさず、自他ともにすべての言い分を聴く、そしてすべてを否定せず、ああそうなんだねと、賛成とか反対とかイイとか悪いとか判断しないで、とりあえず聴く。言い分(いいぶん)を聴くこと、です。

そして、すべてに感謝すること。

目の前のスマホに。それをさわる指に。これを読む目に。今日食べたすべての食べ物に。それを目の前まで運んで用意してくれた、すべての人や条件に。今座っている椅子に。座らせてくれているお尻に、脚に。
それは、無かったかもしれない。
あることが、有難いことかもしれない。


とりあえずそこまでやってみれば、

怒りや、それに伴う不安は、消えるのではないでしょうか。

今日からとりあえずしばらく、何日かでもいいから、
この「言い分を聴く」作業を、自分にも周りにも、やってみてください。

もちろん私もやってみて、何かわかれば報告しますが。

人によってわかること感じることは違うから、是非、ここを読まれた方、お一人お一人、やってみてください。
私達だけでも、草の根から、気づいて生きましょう。
小さくてもちっぽけでも、始めなければ始まりません

北朝鮮や、ガンや、核や恐怖や難民や貧富の差や

地球どうなる?ってことを、他人事に思っていてはなりません。私達の星です。


朝から熱く書いてすみませんでしたが

朝でも夜でも関係なく、ずっと思っていたことです、
今日はとうとう書きました。

必要な方に届き
必要なことが起こりますように。
(「ように」っていうか起こるけどね(笑)) 










私は政治のこととか 社会規範のこととか
難しい論客を相手に議論するのは嫌いです。
屁理屈の埒のあかない頭の痛くなる合戦は嫌いです。

何か聞いたら

それに同意できない自分を発見したら

私に言わないで、自分の中で自分はどうするか考えて自分で解決してください。

相手を打ち負かし言い負かし改心させて 
一人でも 自分の意見と違う意見の持ち主は叩き消しておこう という考えがあるとしたら

それが地球の 宇宙の「多様性」を否定することになると 気づいてほしいと思います。

目の前の一人を打ち負かすことに躍起になってどうします?

自分の考えに同意しない相手を変えようなんて、おこがましく無駄なことに時間を割く暇があったら

自分は 自分の中に起こったことを 自分の道として 体現していけばいいだけだし

違う正義の人に出会ったとき 違う正義の人と共存しなければならないとき どうすればいいのか どう擦り合わせるのか どう上手く棲み分けるのか それは現時点では私にもわからないし、難題かもしれないけれど

多様性を否定したら 互いの存在を消し合うようなことをしたら

お話にならない

世界が存在しない

ことになってしまうではありませんか。

どうしたらいいかは今はわからないけど

とりあえず、消し合い、殺し合いだけはしちゃだめだ。

きっと答えは見つかります。


まず、自分の担当分野、自分の守備範囲で、正しいと思うことを実行しましょう。それが現実における「祈り」ということではないでしょうか。


くりかえします

自分の都合に合わないことを即「悪」と見なして潰そうとするのではなく、なぜそれが生じたのか?なぜそれを、私は不都合と感じるのか?自分の中に、何が起こっているのか?自然の在り方とは何か?自然って何か?自然なら、宇宙の営みなら、どういう選択をするのか?そこから、人間である今ここの私はどれだけ離れているのか?またはどれだけ一致しているのか?どこが欲なのか?どんな欲なのか?自分自身のことも悪とは見なさず、自他ともにすべての言い分を聴く、そしてすべてを否定せず、ああそうなんだねと、賛成とか反対とかイイとか悪いとか判断しないで、とりあえず聴く。言い分(いいぶん)を聴くこと、です。

そして、すべてに感謝すること。

目の前のスマホに。それをさわる指に。これを読む目に。今日食べたすべての食べ物に。それを目の前まで運んで用意してくれた、すべての人や条件に。今座っている椅子に。座らせてくれているお尻に、脚に。
それは、無かったかもしれない。
あることが、有難いことかもしれない。

とりあえずそこまでやってみれば、

怒りや、それに伴う不安は、消えるのではないでしょうか。

今日からとりあえずしばらく、何日かでもいいから、
この「言い分を聴く」作業を、自分にも周りにも、やってみてください。



北朝鮮の行動も、その原因は、不安と怒りと恐れです。
これをもし消せたら、彼らが(私達も)怖がらなくていいとわかり、安心に包まれれば、今毎日ニュースでやっている、一国の代表同士が子供じみた口汚いののしりあいをする様も、収まるのではないでしょうか。


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