35周年という事で、初心に戻ろうと色々と振り返っています。
前回はプロの厳しさを痛感したデビュー曲のレコーディングのお話でした。
その後の私は「コロムビアのニューシンデレラ」となんとも嬉しくなるようなキャッチフレーズをつけて頂き(当時デビューする人は皆つけていた)信じられないでしょうが、仙台駅構内のイベントにピンチヒッターで歌っているところを認められ、国鉄と東北6県がタイアップした「まるごと自然―東北」のイメージソング・イメージガール2代目に!(ちなみに1代目は女優の叶和貴子さん)
そしてデビュー4ヶ月後にはなんと国鉄のポスターや時刻表の顔に
しかしこの顔でよく起用してくれましたね・・・(笑)
また、キャンペーンで訪れた福島のあるお菓子工場は、デビュー曲と同じ名前のチョコレートを発売してくださり、
コロムビアレコードの翌年のカレンダーにも起用され、同じく新人の段田男くんと 尊敬する石川さゆりさんと一緒に撮影。
順風満帆 まさに天にも昇る夢心地の私でした
しかし、まもなく、またしても奈落の底に落ちたのです・・・
ある日突然、国鉄側の担当者の方が移動に・・・そして計画されていたイベントが白紙に・・・
そう、ちょうどこの頃、国鉄からJRへと分割・民営化が具体的になった時期なのです。
コロムビアも国鉄とのタイアップに、新たな曲の準備もしていたのに、突然の出来事になすすべもなく、私のスケジュール帳はほとんど真っ白になった。
短大を無事卒業し、一人暮らしを始め、いよいよ社会人として歌手に専念出来ると張り切っていたのに・・・
2枚目のシングル発売の話も消え、ただ希望もなく、たまにある仕事をこなすだけ。
「私は運が悪い。やっぱり芸能界は私には向いていない世界なのかな?」と自信喪失の日々を過ごしていました
でもそんな中、数は少ないけれど支えてくれた人達もいました。
そして、私が出した結論は「石の上にも3年!」
コロムビアのレッスン生になってデビューが決まるまでに3年。あの石川さゆりさんもデビュー当時には相当苦労したらしい。どんな境遇であろうと、せっかくなれた憧れの歌手。
半年であきらめるのは早い。とにかく、3年は頑張ろうと・・・
そんな私のひたむきな願いを拾う神様がいたのか?
1年半後にようやくチャンスが訪れたのです