国際バカロレア卒業生の「自信なさ」の裏側:大学が高評価する本当の理由


IBDPを卒業したAさんは、日本の難関大学に入学したものの、「周りの学生の方が頭がいいのでは」と劣等感に悩んでいました。しかし3年後、彼女は学部で唯一の国際学会発表者に選ばれました。

大学がIBDP卒業生を高評価する理由
 

「IBDP卒業生は本当に大学で評価されているのか?」

この問いに対する答えは、多くの大学関係者にとって「YES」です。岡山大学をはじめ、多くの大学が国際バカロレア入試枠を設け、IBDP卒業生の積極的な受け入れを進めています。

大学がIBDP卒業生を高く評価する理由は、単なる学力の高さだけではありません:

自主的な学びの姿勢:IBDPのカリキュラムを通じて身につけた自己管理能力と探究心

批判的思考力:知識を暗記するだけでなく、分析し、応用する能力

多角的な視点:複雑な問題を多面的に捉え、バランスの取れた判断ができる力

これらの能力は、大学での学びや研究活動において、特に高い価値を発揮します。

 

 

「自分はたいしたことない」と感じる理由

IBDPを卒業し、大学で高い評価を受けているにもかかわらず、「自分はたいしたことない」 と感じる学生が少なくありません。この現象には、深い理由があります。

比較の基準が異なるからです。

IBDPの環境では、高い水準の課題に取り組み、優秀な同学年の生徒たちと切磋琢磨してきました。そのため、「優秀であること」の基準自体が高く設定されています。

日本の一般的な高校とIBDP校では、「できる」の定義が異なるのです。IBDPで求められるレベルを「普通」と感じてしまうため、大学入学後も自分を「特別に優秀」とは認識できなくなるのです。

 

ここで良く言われる「国際バカロレアは難しい」のか? という問題です。

国際バカロレアの高校2,3年相当学年におけるIBDPプログラムは2年間のカリキュラムで、確かに簡単ではありません。そもそも、やっている教育内容が日本の普通の教育内容とは異なることを先週から説明しています。

 

 

それは、つまり簡単ではないだけで、実際に入学して、それを指示され、考えて学習していくなかでは、それが難しいか簡単なのかは意味がありません。簡単と感じる場合は、もっと挑戦できるのが国際バカロレアです。難しいと感じるのは普通のことで、たとえ日本の普通科の高校に入学しても、偏差値的に上が常にあるため、簡単ではないでしょう。結局、同時に2つのカリキュラムを体験できないため、どちらが難しいのかが比較不可能です。

自信のないIBDP卒業生へ贈る言葉


もしあなたが今、「自分は周りよりも劣っている」 と感じているなら、それはあなたの基準が高いからに他なりません。

「知らないことを知らない」 段階から、「知らないことを知っている」 段階へと成長したことは、大きな進歩です。この「知の謙虚さ」 こそが、真の学びの始まりなのです。

大学での評価は、単なる「知識の量」 ではなく、「知識を活用する力」 も含まれています。あなたがIBDPで身につけた思考力や学習態度は、確実にあなたの強みとなっています。

 

 

現在IB校で頑張っている生徒へ


今、IBDPの課題に追われ、「自分にはできない」 と感じる日々かもしれません。しかし、この困難こそが、あなたを成長させています。

EE(Extended Essay) で培った研究スキル

TOK(Theory of Knowledge) で養った批判的思考

CAS(Creativity, Activity, Service) で学んだバランスの大切さ

これらの経験は、大学だけでなく、その先の社会でも必ず活きてきます。今の苦労は、将来の「当たり前」の基準を高くしているのです。

 

 

IB校を目指す生徒と保護者の方へ

国際バカロレアへの挑戦は、決して楽な道ではありません。しかし、その価値は計り知れません。

IBDPが提供するもの:

世界に通用する教育:国内外の大学進学の選択肢が広がります

単なる語学力以上の力:英語で考え、議論し、表現する能力が身につきます

自分らしい学びの形:暗記中心ではなく、探究型の学習を通じて、学ぶ楽しさを知ることができます

お子様がIB校への進学を検討されているなら、それは「将来への投資」 であると考えてください。多少の困難があっても、そこで得られる思考力と国際感覚は、お子様の一生の財産となります。

 

 

最後に


IBDP卒業生が感じる「自信のなさ」 は、「能力の低さ」 ではなく、「視野の広さ」 の証です。

高い山に登れば登るほど、遠くまで見渡せるようになり、自分の小ささを実感するものです。しかし、それはあなたが高い場所に立っているからこそ感じる感覚なのです。

IBDPという経験は、あなたを高い山頂へと導いてくれました。そこから見える景色を楽しみながら、自信を持って次のステップへ進んでください。あなたのこれまでの努力と成長は、確実に実を結び始めているのですから。

 

国際バカロレアが育てる「問題解決のできる人材」:文学の読解から見えるIB教育の真価


あるIB卒業生は、広告分析の授業で「たった1枚のポスターから、文化、経済、社会心理学までも読み解く方法」を学びました。

「この詩の正解は何ですか?」と質問する日本の生徒と、「この詩から何を読み取り、どう考えるか」を問うIBの生徒。この「答えを探す教育」から「問いを探す教育」 への転換こそが、国際バカロレア(IB)と日本の一般的な学校教育の決定的な違いです。

文学の読解が象徴するもの
 

IBの文学読解では、「正解は一つではない」ことが前提です。しかし「なんでもあり」ではありません。文中の具体的な根拠に基づいて解釈を組み立てる力が求められます。

日本の教育では「作者の意図を答えよ」という問いが典型的ですが、IBでは「あなたはそのテキストから何を読み取り、どのように考えますか?」という問いが中心になります。この違いは、単なる教学方法の違いではなく、人間の知性に対する根本的な考え方の違いを反映しています。

高校からIB校に進学した生徒が気づく「違い」
 

高校から国際バカロレア校に進学した生徒たちは、最初の数ヶ月間、大きなカルチャーショックを経験します。

従来の教育からIBへの転換で直面する主な相違点

評価基準の違い:日本の学校教育では知識の量が評価される傾向が強いですが、IBでは批判的思考力と分析的思考力が重視されます。

授業の進め方:IBプログラムは、探究型学習モデルを通じて、生徒たちが批判的に考え、既存の前提に疑問を投げかけることを奨励します。

学習の目標:IBのプログラムは、生徒を高等教育に備え、グローバル化した世界で成功するために必要なスキルを身につけさせることが目的です。

この環境の変化は当初は困難をもたらしますが、約6ヶ月から1年を過ぎた頃から、生徒たちの思考プロセス自体が変容し始めます。そこからが国際バカロレアコースのだいご味となります。つまり、見えている社会が明らかに変わっていきます。それは、社会が変わったのではなく、社会に対する自分のアプローチが変化しているためです。

 

この変化は、親には理解できません。たとえ高校で勉強を並走していっても、国際バカロレア、特にIBDPにおける学習は、親が太刀打ちできるものではなくなります。

IBがもたらす思考の変容
 

IBの教育を2〜3年経験すると、生徒の考え方や発想そのものに目に見える変化が現れます。この変容は、IBの「学習者像」として具体化されている資質に如実に表れています。

探究する人:好奇心を育み、独自に学び、他の人々と共に学ぶ姿勢。

考える人:複雑な問題に対して、批判的かつ創造的に考えるスキル。

心を開く人:自己の文化と個人史を正しく受け止めつつ、他の人々の価値観や伝統の真価も認める態度。

これらの資質は、単なる学力ではなく、社会で実際に問題解決を行うために必要な人間力を育成するための基盤となります。

大学がIB入試枠を拡充する理由
 

世界中の多くの高等教育機関は、IBディプロマを優秀な成績の基準として認めており、IB卒業生を優遇したり、単位を付与したりするケースが多くあります。日本の大学も例外ではなく、国際バカロレア入試枠を拡充し、IB卒業生の獲得に積極的です。

IBDPの価値を理解している世界中の大学は、IBDPの卒業ができていれば、つまり認定書がもらえるのであれば得点は気にしないで入学許可をだす大学が多くあります。

大学がIB卒業生を重視する理由は明らかです。

IB修了生に期待される能力:

自主的な学び手:IBのカリキュラムは、自律的に学ぶ意欲を重視するため、大学の学びにスムーズに移行できます。

分析的思考力:IBDPを修了した生徒は、批判的思考力と問題解決能力を身につけており、大学教育の厳しい側面に備えるための準備がより整っている場合が多いです。

多角的視点:異なる意見や文化にも「それぞれに理があり得る」 と理解できるバランス感覚は、大学の多様な環境で不可欠です。

IBの真価は単なる点数ではなく、「諦めずに考え抜く力」を育てる点にあります。このような学生は、大学在学中のみならず、社会に出てからも自ら価値を創造できる人材として成長していくのです。

教育の選択肢としてのIB
 

IBは万能な教育プログラムではありません。しかし、グローバル化が進む世界で活躍するための素地を育てるには、非常に効果的な教育システムです。

「出る杭は打たれる」という考え方がまだ根強い環境とは異なり、IBの学習者像が目指すのは、多様性を尊重し、自ら考え、行動できる人間です。

もしあなたが、我が子に「正解のない問い」と向き合う勇気と力を身につけてほしいと願うなら、国際バカロレアという教育は、従来とは「違う」だけでなく、未来を生きる上で貴重な「違い」を育む選択肢となり得るのです。

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文学の正解は一つじゃない:IBで学ぶ「証拠に基づく読解」のやり方


あるIB生がシェイクスピアのハムレットを「母への復讐ではなく、自分自身との内面戦争を描いた作品」と解釈し、7点を獲得しました。その答案には、作品中の独白シーンからの具体的な引用がちりばめられていました。

「先生、この詩の正しい解釈を教えてください」—こんな質問をしたことはありませんか?

国際バカロレア(IB)の文学の授業では、この質問に対する答えは「正解は一つではなく、あなたの解釈が正解になることもある」というものです。ただし、そこには大切なルールがあります。

 

 

IB文学が求めるもの:自由な解釈と確かな証拠

IBの文学科目では、生徒は作品を自由に解釈して自分の読み方を示すことが奨励されています。 しかし、その解釈を支えるために、作品中の具体的な部分(文や表現など)を証拠として示す必要があります。

つまり、「私はこう思う」という主観的な感想ではなく、「作品中のここから、こういう解釈が導き出せる」という証拠に基づいた読解が求められるのです。

なぜ証拠が必要なのか?
 

IBの文学教育では、作品に「どう批判し、どう評価するか」が重視されます。 単に作者の意図を推測するだけでなく、テキストを「材料」として、自分なりの解釈や意見を構築することが目的です。

このとき、あなたの解釈が説得力を持つかどうかは、どれだけ作品の中にその根拠を見いだせるかにかかっています。

 

 

証拠に基づく読解の具体例

例えば、芥川龍之介の『羅生門』の冒頭が「ある日の暮方のことである」で始まることについて、以下の2つの解釈の仕方を比べてみましょう。

◯ 証拠のある解釈:
「この作品では『暮方』という時間設定が、主人公の倫理観が曖昧になる移行期を象徴している。作品中で下人が『しまつてある』と表現されているように、日が暮れることで、昼間の明確な倫理観が崩れ、夜の暗がりで盗みを働くという行為に移る過渡期となっている」

✕ 証拠のない解釈:
「この作品の『暮方』は、主人公の悲しい気持ちを表していると思う」

最初の解釈は、作品中の具体的な表現を引用しながら、その意味を論理的に説明しています。二つ目は単なる印象に過ぎません。

 

 

独創的な解釈でも正解になり得る理由

IBのルーブリック(評価基準)では、「作者の文学的選択の分析」や「理解と解釈」 が重要視されます。 これは、作者がなぜその表現技法を選んだのか、それが読者にどんな影響を与えるのかまで考察できているかが問われるということです。

したがって、一般的な解釈と違っていても、作品中の証拠に基づいて論理的に説明できれば、それは「正解」として評価されるのです。

証拠に基づく読解を深める3つのステップ


「どのように?」と「なぜ?」を問いかける
IB Literatureで7点を目指すには、表現技法を指摘するだけで終わらず、「なぜその技法を作者が選んだのか」「読者にどんな効果を与えるのか」まで掘り下げることが重要です。 作品を分析するときは、常に「作者はどのようにしてこの効果を生み出しているのか?」「なぜこの表現方法を選んだのか?」と自問しましょう。

 

 

テキストと対話する

作品を読むときは、印象的な文章や特徴的な表現を見つけたら、線を引いたりメモを取ったりする習慣をつけましょう。 これはアノテーション(注釈付け) と呼ばれ、試験や小論文で引用する際に役立ちます。

解釈を裏付ける引用を蓄える


Paper 2(比較エッセイ)の対策として、作品中の引用(quotes)を暗記しておくことをお勧めします。 エッセイに引用があるかどうかで成績が大きく変わります。

 

 

より深い読解を目指して

IBの文学では、「正解はあなたの中にある」 という考え方があります。 ただし、その正解を形作るためには、作品そのものとの対話が不可欠です。

文学の解釈に絶対的な正解は一つではなく、作品中の証拠に基づいて説得力のある解釈を構築できたとき、それがあなたにとっての「正解」になります。IBの文学は、作品を通して自分自身の考えを表現する力を育む旅なのです。

* * *

IB文学で高得点を取るためには、ルーブリック(評価基準)を理解し、求められている要素を答案に盛り込むことも重要です。 例えば、評価基準では「分析の深さ」や「構成」などがチェックされます。 日頃からルーブリックを確認し、何が求められているかを把握しておきましょう。

 

文学の解釈、そのプロセスが変えるもの:国際バカロレアと日本の教育アプローチの比較


同じ作品から、なぜこれほどまでに異なる読み解きが生まれるのか。

2日前に記事にしましたが、長沢芦雪の「蹲る虎」を前に、国際バカロレア(IB)でアートを学ぶ生徒は、画家の意図や観客の反応、社会的文脈までをも読み解こうとしました。

 

この対照は、文学教育のアプローチの違いにも如実に表れています。国際バカロレアと日本の一般的な教育では、文学作品との向き合い方、授業の進め方にどのような違いがあるのでしょうか。

国際バカロレアの文学授業:批判的思考で「作品のその先へ」
 

国際バカロレアのディプロマプログラム(IBDP)における文学の授業は、単なる文学作品の「読解」を超えた「批判的探究」を核としています。

 

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多角的な分析を重視するカリキュラム

IBDPの「日本語A」の授業では、文学作品の分析に加え、広告やニュース記事などの非文学テクストも分析対象とします。このアプローチは、言語がどのようにコミュニケーションを形成し、アイデンティティや文化に影響を与えるかを考察することを目的としています。

文学作品の分析においても、登場人物の描写、テーマ、象徴、語りの視点など作者の表現技法を理解することはもちろん、それらがどのようにメッセージを伝えているかに焦点を当てます。

評価方法が反映する「思考のプロセス」
 

IBの評価は、知識の暗記や再生ではなく、思考力の応用を重視します。内部評価(IA)では、自分でリサーチクエスチョンを設定し、調査・分析・考察を行うプロセスが評価されます。

例えば、科目の英語において、文学に関連する課題では、「『ハムレット』と『マクベス』における女性キャラクターの描写を通じて、シェイクスピアの女性観はどのように変化したか」といった、比較と深い分析を要する問いに取り組みます。(英語なので全て英語です)

これは、答えが「はい」「いいえ」で終わらない、複数の視点と解釈が可能な設問です。

日本の一般的な文学教育:規範的な読解と情感の共有
 

日本の国語科における文学教材の意義は、一般的に「虚構の世界を生きる楽しさを感じる」「自分の感性を磨く」「人間としての生き方を豊かにする」ことにあるとされています。授業では、作品の内容理解と情感の共有、人間理解の深化が重視される傾向があります。そして、用意された答えにたどり着く方法を学びます。

系統立てられた指導過程
 

日本の小学校国語科では、文学作品の指導に「六段階の指導過程」が提唱されてきました。

教材を調べる:作品を読み通し、わからない言葉を調べる

文意を想定する:読む目標を設定する

各部分を精読する:読みの目標に向かって詳細に読む

要旨を概括する:内容の要点をつかむ

内容について批評する:作品の価値などについて意見を述べる

表現に役立てる:読んだことを表現に生かす


この過程は、誰でも一定の効果が得られる指導法として開発され、特に「うら読み」の技術(書かれていることを根拠に、書かれていないことを読み取る)が重視されます。

 

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新課程国語における文学の位置づけ

2022年から本格実施された新課程国語では、「論理国語」が新設され、文学教材の比重が相対的に低下しました。その理由は、「文学教材の読解で身につく資質が、『論理国語』の目指すそれとは異質なものだから」という見解があります。

新課程においても「現代の国語」「論理国語」で文学教材を扱うことは「条件付きで可能」ですが、授業時間の10%程度が目安とされ、「ゴリゴリの文学鑑賞授業」はほぼ不可能とされています。

核心的な違い: 「答え」へのアプローチ
 

この二つのアプローチの違いは、文学に対する根本的な問いかけに現れています。

国際バカロレアでは、「この作品は何を伝えているのか」だけでなく、「このテクストはどのようにして意味を生成しているのか」「異なる文脈でこの作品はどう読まれ得るか」が問われます。そこでは複数の解釈が許容され、むしろ対立する視点をどう調整するかが評価されます。

 

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一方、日本の伝統的な文学教育では、作品の「正しい読み」を指導し、共有する傾向が強く見られます。例えば志賀直哉『暗夜行路』の指導例では、生徒の大多数が「母の子に対する愛情」という主題を読み取るのに対し、教師は作品の細部に基づいて「母の愛に対する無意識の迷い・疑い」というより深い読みへと導きます。この場合、教師側に用意された「正解」に向かっての指導という色合いが強まります。

それは、「唯一の正解」なのでしょうか?

それぞれの価値と現代社会への意義

国際バカロレアのアプローチは、情報が溢れ、多様な解釈が衝突する現代社会において、複雑なテクストを批判的に読み解く力を養います。これはPISAの読解力調査が求める、実用的な文章を理解し、評価し、利用する能力にも通じるものです。

日本の文学教育で培われる情感を通した他者理解や、深い「うら読み」の技術も、人間理解の基盤として重要な意味を持ちます。例えば、物語文を学ぶことで「登場人物の体験していることを、自身の心の中でも体験する」経験は、共感力や想像力を育むのに役立つと指摘されています。

 

 

融合の可能性

理想的な文学教育は、これらのアプローチの長所を組み合わせることにあるかもしれません。作品への情感的な共感と批判的な分析、深い読みと多様な解釈の許容— これらのバランスをどう取るかが、これからの文学教育の課題と言えるでしょう。

国際バカロレアと日本の教育は、文学を通じて「どのような読み手」を育てようとしているのでしょうか。どちらが優れているというよりも、異なる読者像を提示しているのです。

私たちが文学作品と向き合うとき、ただ「感じる」のでも、ただ「批判する」のでもなく、感受性と批判的思考のバランスの中で、自分なりの意味を見出し、それを言葉にしていくプロセスそのものに、教育の本質があるのかもしれません。

1つ分かりやすい例をお話ししましょう。

 

国際バカロレアにおいて、文学の読解内容は自由です。生徒は自由に解釈を明示できます。しかし、正解となるにはその読解の証拠、つまり文中のどの部分からそれを導き出せるかを明示する必要があります。

 

ただ、「そう思った」「そう感じた」ではなく、文中のどの文、表現がそれを導くのかが必要です。その結果、説得力ある理由で解釈を導き出した場合は、一般的な解釈ではなくても正解になります。

 

なぜ理系こそアートが必要なのか - 国際バカロレアが示す「創造的思考」の核心

 

前日の話しの続きです。

 

国際バカロレア(IB)におけるアート教育の本質は、「作品を作る技術」そのものにはありません。前回の長沢芦雪の分析にも見えたように、IBが育むのは「物事を多角的に捉え、既存の枠組みを疑い、新たな意味を構築する力」です。これは、まさに現代の科学技術や工学が最も必要としている能力そのものなのです。

 

 

1. 「TOK(知の理論)」が繋ぐアートと科学の共通基盤

IBディプロマプログラム(IBDP)の核心には「TOK(知の理論)」があります。ここでは、

「科学的知識」はどのようにして「正しい」と認められるのか?

「美的理解」は「科学的証明」と何が根本的に違うのか?

一つの現象を、データで説明するのと、芸術で表現するのでは、何が得られ何が失われるか?

といった問いを深く掘り下げます。この学びを通じて、理系生徒は「科学は絶対的な真理ではなく、ある文脈における最も説得力のある『解釈』である」という本質を理解します。アートが多様な解釈を許容することを学ぶことで、科学理論もまた一つの「世界の見方」に過ぎず、常に更新される可能性があることを腹落ちできるようになる。これは、既存のパラダイムに挑戦する真のイノベーターに必要な姿勢です。

 

 

2. 目に見えない関係性を「可視化」する力

理系の課題は、数式やデータとして抽象化されて提示されることがほとんどです。しかし、複雑な環境問題や生体システムを理解し、解決策を提案するには、これらの要素を「視覚的」に理解し、表現する力が不可欠です。

生物学:タンパク質の立体構造や細胞内の代謝経路を理解するには、2次元の図を3次元の動きとして頭の中でイメージする「視覚的思考」が必要です。

工学・デザイン:ユーザー中心の製品を開発するには、機能だけでなく、人の感情や行動に寄り添った「デザイン思考」が求められます。これは、アートで培われる「他者の視点に立つ共感力」そのものです。

IBのアートでは、コンセプトを形にする過程で、無形のアイデアをどのようにビジュアルや形に落とし込むかを常に考えます。この「可視化する思考プロセス」は、複雑なデータを統合し、本質を抽出する理系の能力と完全に一致しています。

 

 

3. 失敗と偶然を「創造の素材」に変えるレジリエンス

科学実験では、想定外の結果(失敗)が頻繁に起こります。従来の教育ではこの「失敗」をネガティブに捉えがちですが、IBのアート制作プロセスでは、この「偶然」を積極的に作品に取り入れ、新たな可能性として開花させる訓練を積みます。

絵の具が思わぬ方向に垂れた、予想外の化学反応が起きた——。アートの生徒はこれを「失敗」ではなく、「新しい表現の種」として捉え直します。この「問題を転換する発想」は、実験の失敗から画期的な発見が生まれることが多々ある科学研究において、極めて重要なマインドセットです。

4. 「CAS(創造性・活動・奉仕)」が求める統合的なアプローチ
 

IBDPには「CAS」という必修要素があり、ここでは「創造性」が明確に位置づけられています。理系専攻の生徒が、例えば「プログラミングで地域の課題を解決するアプリを開発する」というプロジェクトに取り組む時、それは単なるコードの記述ではなく、技術(活動)と、ユーザーインターフェースのデザイン(創造性)と、社会的意義(奉仕) が統合された活動となります。ここでは、技術だけでは解決できない「人間の感情や行動」への深い洞察が求められ、まさにアート的思考がその核をなすのです。

 

 

まとめ:イノベーションを生むのは「T字型人材」

IBの教育が目指すのは、専門分野に深く掘り下げる垂直の軸(科学技術)と、他分野と自由に行き来する水平の軸(人文的・芸術的素養)を併せ持つ「T字型人材」です。

アートは、理系学生に以下のものを提供します:

批判的思考力:物事を盲信せず、自ら問いを立てる力。

比喩的思考力:異なる領域を結びつけるアナロジーの力。

視覚的伝達力:複雑な概念を明確に提示する力。

創造的レジリエンス:失敗や偶然を糧にするしなやかさ。

データや論理だけでは解けない複雑な現代社会の課題に対して、アート的思考は「もう一つの言語」を与えてくれます。理系の深い専門性に、アートが育む創造的で人間味あふれる視点を融合させること——それこそが、IBの教育が理系学生に約束する、真のイノベーションへの道なのです。


日本の学校でのアート教育を考えてしまうと、なぜアートが理系に必要なのか理解できません。そもそも、日本のアート教育では、考えることを主体に教えていません。記憶するための教育は、アートとは異なります。その為、日本人にSTEM教育からSTEAM教育への変化を話すとき、なぜアートが大切なのか、なかなか理解できなくなります。

 

アートとう言葉の日本語訳が間違っているとも言われていますね。