インター校からインター校への転校が必ず成功するわけではない。だから読んでおいてください。

 

インター校からインター校への転校は、よくある話です。
しかし、それが必ずしもスムーズにいくとは限りません。
大きく分けて2つのパターンがあります。

 1) 同じ都市に住み続けながらの転校
 2) 国や都市を変えての転校


それぞれに異なる課題があり、準備が必要です。

同じ都市内での転校:油断は禁物


同じ地域内で学校を変える場合、一見するとハードルは低そうに見えます。

学校見学がしやすい

評判や実情がわかりやすい

生活基盤が変わらない

知り合いがすでに通っていることも

これらの点は確かにメリットです。
しかし、転校後にこんな不満が生じることも少なくありません。

担任の教師との相性

期待していたカリキュラムとのギャップ

学校運営の方針への違和感

子供にとっても、新しいクラスメイトになじむのは簡単ではありません。
勉強面では、前の学校との学習内容の重複やずれがあり、予習・復習が負担になることも。

転校には常にリスクが伴います。
たとえ同じ地域内でも、簡単な決断ではないのです。

 

国を変える転校:特に「海外→日本」は注意


親にとってもストレスが大きい国を越えた転校は、子供にとってはさらに大きな変化です。
今回は特に、「海外のインター校から日本の学校へ」というパターンに焦点を当てて考えてみましょう。

日本の「インター校」は、海外と同じですか?


まず知っておくべきことは、日本のインター校は、たとえ名前が「インターナショナル」であっても、日本の学校であるということです。
例外は、以下のような環境の場合です。

生徒のほとんどが外国人
日本人でも帰国して2年程度の帰国子女が中心
在籍する日本人生徒も、数年後に海外へ転出するケースが多い


このような学校であれば、海外のインター校に近い環境と言えるでしょう。
しかし、そうでない場合は、日本の学校としての文化や友達付き合いを想定しておく必要があります。

 

学習スタイルのギャップ


日本のインター校が中高一貫校の場合、高校3年生の進学先を見ると、その学校の方向性がわかります。

多くの生徒が日本の大学を受験しているのであれば、その学校は日本の大学受験(特に一般入試)を見据えたカリキュラムを組んでいる可能性が高いのです。

「詰め込み学習」と聞くとネガティブに捉えがちですが、海外のインター校でも成績を維持するためには、一定量の知識の記憶は必要です。
特にサイエンス系科目では、学年が上がるにつれて覚える内容が増え、それが成績に直結します。

違いは、海外では「広く浅く多くのことを覚える」傾向が強いのに対し、日本では「深く正確に覚える」ことが求められる場合が多いことかもしれません。

 

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国立大学医学部を目指す君へ。共通テストの必須科目はこれ。

 

大学入学共通テストが終わり、いよいよ第2次試験に向けて動き出すこの時期。志望校を目指す受験生たちは、自分自身の手応えと、次の大きな壁である「第2次試験」の存在を強く意識していることでしょう。特に、最難関の一つである国立大学医学部医学科を志す皆さんにとって、この先の道のりは緊張感に満ちたものです。

合格への鍵は、何よりもまず共通テストで確実に得点を積み上げること。なぜなら、その結果が最初の関門「第1段階選抜(いわゆる足切り)」を突破するための絶対条件となるからです。では、その共通テストで、医学部受験生はいったいどのような科目に挑まなければならないのでしょうか。

基本は「6教科8科目」安定が求められる広範囲の学習


結論から言えば、国立大学医学部の共通テストでは、一般的に 「6教科8科目」 の受験が求められます。これは、幅広い学力と確かな基礎学力を備えているかどうかを測る、非常に重要な関門です。

 

 

新たな戦場「情報」の登場


2025年度入試以降、新たに加わったのが「情報」です。

 

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熱狂の陰で歪む子ども時代:中学受験が抱える「5つの歪み」と真の選択


第一志望校の合格率は約3割。残りの7割の子どもたちは「失敗者」なのだろうか。

首都圏では、小学生の約5人に1人が中学受験(受検)に挑みます。少子化が進むにもかかわらず、受験熱はむしろ過熱し、対策を始める年齢も小学4年時点から始めるのが一般的になり、それはさらに低下しています。

「中高一貫校に入れば、大学進学も安心」「いい環境で6年間を過ごさせたい」――多くの家庭が描くこの“青写真”の裏側で、子ども時代の時間が静かに侵食され、教育の本質が問われています。

 

 

メリットの裏側:中学受験の光と影を解剖する

中学受験には、確かに明確なメリットが存在します。しかし、そのほとんどが「表裏一体」の関係にあり、一つの側面だけを見ていると、思わぬ落とし穴にはまる危険性があります。

メリット(とされる点)⇒その裏側にある現実・代償

集中的な学力向上と知識習得⇒「小学生らしい時間」の喪失。遊び、友達との無邪気な関わり、家族でのんびり過ごす時間が大幅に削減される。経験・体験の喪失。


困難に打ち勝つ力の養成⇒過度な精神的負荷。小学生という発達段階では、耐えきれないストレスとなり、その後の勉強嫌いや自己肯定感の低下、自分で考えて行動することがなくなるリスクがある。
 

中高一貫教育による大学受験の準備⇒「燃え尽き」と画一化の危険。高校受験がないことで逆に目標を見失い、中学受験の「成功」の後に学ぶ意欲が急降下する生徒も少なくない。興味ある科目がない。

 

 

同じ学力・意識の高い仲間との環境⇒地元コミュニティからの断絶。地元の友人関係が希薄になり、多様な背景を持つ人と関わる機会が減る。コミュニケーション能力の減少。リーダーシップがない。

 

歪んだ選別:小学6年生の「何」を測っているのか
中学受験の最大の問題点は、その評価が「12歳の時点での、特定の種類の学力と試験テクニックに過度に依存している」ことです。

一部の難関校の入試問題は、論理的思考力が未成熟な小学生の多くにとって、過度に難しく設計されているとも指摘されます。これにより、長期的な可能性よりも「今、目の前の試験で点を取る能力」が過大評価され、受験産業もこの「競争」を煽る構造になっています。学力テストの不都合がなぜか今中学受験で取り入れられていると言われます。

本当に必要なのは、子どもの集中力、知的好奇心、そしてバランスよく全科目に取り組む持続力かもしれません。しかし、現行のシステムは詰め込まれた知識と、訓練されたパターン認識力を「優秀さ」と誤認する危険をはらんでいます。つまり従順な生徒が優秀とみなされます。

 

 

幻想としての「中高一貫校神話」


「中高一貫校に入れば安泰」という思い込みは、多くの家庭を盲目的に受験競争へと駆り立てます。しかし、この「神話」には大きな落とし穴があります。

まず、中高一貫校の生徒全員が同レベルで超優秀というわけではありません。合格は一つの通過点に過ぎず、特に先取り学習の進むカリキュラムでは、入学後についていけなくなる生徒も出てきます。もちろん中学校でそれぞれの科目で優劣がついていき、それを認めることが自己否定になることも。

また、「高校受験がないから大学受験に有利」という論理も、必ずしも全員に当てはまりません。中には高校受験という節目を経て、自らの進路を改めて真剣に考え、猛烈に努力して逆転する生徒もいます。

中学受験に成功した一部の生徒の「成功体験」が、中高一貫校全体のイメージを形作っている側面があるのです。

 

 

拡大する格差と、親子をむしばむ過度な競争


中学受験は「親の受験」とも言われます。経済的負担は大きく、私立中学の場合は公立に比べ卒業までの総費用が5倍以上にのぼるとの試算もあります。これは教育機会の格差を固定・拡大させる要因です。

さらに深刻なのは、この競争が「手段の目的化」を招いていることです。親は「志望校合格」という本来の目標を見失い、「塾の成績を上げること」「偏差値を上げること」自体に躍起になりがちです。

この過程で、親の目は子どもの「できないところ」ばかりに向き、親子関係がギクシャクする家庭も少なくありません。塾業界が過度な競争を煽る構造があり、大多数の子どもにとっては「不幸を感じる」受験になっていると言われます。

 

杉森くんを殺すには

 

変革の兆しと、家庭にできる「脱・偏差値至上主義」

こうした歪みに対し、変化の動きも始まっています。一部の学校では、知識偏重を脱し、探究力や思考力、主体性を測る「新タイプ入試」 を導入する動きが広がっています。STEAM入試など、多様な能力を評価する試みは、受験のあり方を根本から変える可能性を秘めていますが、まだ少数派で、まだその成否結果が出ていないと言われます。

家庭で最も大切なのは、「偏差値や大学進学実績だけで学校を選ぶ」から脱却することです。大切なのは、子どもの性格や成長のペースに合った環境を見極めることです。

教育ジャーナリストの提唱する「中学受験必“笑”法」は、第一志望合格を絶対目標とするのではなく、「どんな結果でも家族の成長の糧とし、体験できたことを喜び笑顔で終えること」を目指す考え方です。

 

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中学受験の目的は、単なる「学校合格」ではなく、目標に向かって努力するプロセスそのもの、そしてその経験を通じた親子の成長にあるのです。

結局のところ、中学受験は「悪」でも「万能薬」でもありません。一つの選択肢に過ぎません。

問われるのは、わが子の10~12歳という多感な時期の貴重な時間を、何と引き換えにしようとしているのかという、私たち親自身の覚悟と教育観です。教室の窓の外で過ぎていく「普通の小学生時代」のかけがえなさを、今一度、心の天秤にかけてみる必要があるのではないでしょうか。

 

なぜ「成績が良いのに推薦がもらえない」のか?高校の推薦基準の真実と「戦略的に残される」生徒の現実


はじめに:「推薦がもらえる子」「もらえない子」の分かれ道


高校3年生の秋。進路指導室の前に貼り出される「指定校推薦枠」の一覧。その紙を前に、複雑な思いを抱える生徒は少なくありません。評定平均4.0以上をキープしているのに推薦の話が来ない。一方で、自分より成績が下の友人が推薦で大学を決めていく。「なんであの子が選ばれて、私は選ばれないの?」

この記事では、高校から大学受験をする際に生まれる「推薦組」と「一般入試組」の分岐点について、現場の実情を踏まえながら解説します。特に「成績がある程度良いのに推薦してもらえない」現象の背景にある、高校側の戦略と推薦制度の本質に迫ります。

そもそも推薦入試には3種類あることを理解していますか?


推薦入試といっても、実は大きく3つのタイプに分かれます。この違いを理解しないまま「推薦」という言葉でひとくくりにしてしまうと、混乱の原因になります。

 

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アメリカの教育省で約2,000人の職員が削減されたというニュースがありました。今回は、この「2,000人」の内訳を詳しく掘り下げるとともに、この改革がアメリカ国内だけでなく、イギリス、そして日本の教育にどのような影響を及ぼすのかを考察します。

📊 削減された2,000人の内訳:誰が、どんな仕事をしていたのか

教育省で削減された約2,000人の職員は、単なる「事務職」ではありませんでした。彼らは連邦教育政策を実行するための専門知識を持つキャリア公務員です。その内訳は以下の通りです 。

 

職種・担当分野具体的な業務内容
公民権調査官(弁護士) 学校における人種、性別、障害に基づく差別の申し立てを調査。特に障害のある生徒への支援不足の相談が多数。
助成金管理スペシャリスト 低所得層向け学校への連邦資金(タイトルI資金)の適切な申請・使用を監視・指導。
高等教育政策アナリスト 連邦学生ローンのデータを収集・分析し、プログラムの効果を評価。
法務官(弁護士) 障害者教育法(IDEA)などの改正案を作成し、学区に法的義務を伝達。
連邦学生援助(FSA)担当者 1.6兆ドルもの連邦学生ローンの相談対応や債務管理。

 

特に注目すべきは公民権局(OCR)の縮小です。12あった地域事務所のうち7つが閉鎖され、シカゴ、ニューヨーク、ボストンなどの拠点がなくなりました 。2025年3月にはOCR職員の約半数に人員整理通知が出され、裁判闘争の末に復職するまで約9ヶ月間、299人の職員が有給休職状態となり、納税者に最大3,800万ドルのコストが発生しました 。

 

また、高等教育プログラム部門の職員40~50人は労働省へ異動。しかし「仕事内容は変わらず、単に場所が変わるだけ」という状況で、駐車場も用意されず、教育省と労働省を往復するシャトルバスでの通勤を余儀なくされている職員もいます 。

アメリカの教育で何が起こるか:5つの影響

この人員削減は、アメリカの教育現場に以下のような影響を及ぼすと予想されます。

1. 公民権保護の後退

OCRの機能縮小により、差別の申し立て調査が大幅に遅延します。2025年3月から9月の間にOCRが受け付けた9,000件以上の申し立てのうち、90%が調査前の却下で終了しました 。障害のある子どもたちへの適切な教育機会の保証が危うくなる可能性があります。

2. 連邦資金配分の混乱

労働省に移管される低所得層向け学校への資金(タイトルI資金)は、労働省にとって不慣れな業務です。ITインフラも整っておらず、資金が適切に届かず、学校現場が混乱する可能性があります 。

3. 学生ローン処理の遅延

連邦学生援助(FSA)の人員削減で、1.6兆ドルのローン返済に関する相談対応が滞り、借り手が適切な情報を得られない事態が懸念されます。

4. 州による格差の拡大

連邦政府の役割縮小に伴い、教育政策の権限が州に移譲される流れが加速します 。現在、連邦資金はK-12教育費の約10%を占めるに過ぎませんが、この残り10%の使われ方が州によって大きく異なれば、教育格差はさらに広がるでしょう。

5. 障害者教育法(IDEA)の執行弱体化

特殊教育を担当する職員の多くが削減対象となり、障害のある何百万人もの子どもたちへの支援体制に不安が生じています。

イギリスの大学教育への影響

アメリカの教育省削減は、遠くイギリスの大学にも波紋を広げます。

留学生獲得競争の激化

アメリカで教育行政が混乱し、学問的自由への懸念が強まれば、留学生がイギリスをはじめとする他の英語圏に流れる可能性があります。LSEのエリック・ノイマイヤー副学長は、アメリカの大学への「学問的自由への脅威」が留学生の目的地選択に影響すると指摘しています 。

しかし、イギリスも楽観できません。英国の大学は深刻な財政危機に直面しています。国内学生の授業料は2017年から£9,250に凍結され、実質価値は30%以上低下。現在、大学収入の約24%を留学生に依存しており、インドからの留学生が単一最大の送り出し国となっています 。

アメリカの「前例」が世界に波及するリスク

ノイマイヤー副学長は、アメリカの政策転換が「世界的な手本」になる危険性を指摘します。「政府が嫌う言論に対して罰則を科すという手法は、世界中の権威主義的政権にとって『これが大学を統制する方法だ』という手本を示すことになる」 と警鐘を鳴らしています 。

研究資金の減少と国際共同研究への打撃

アメリカの研究費削減は、イギリスの大学との共同研究にも影響します。アメリカの大学ランキング低下(62校が順位を下げた)は、長期的には国際的な研究ネットワークの再編を促すでしょう 。

 

 

 

日本の教育への影響

では、これらの連鎖は日本に何をもたらすのでしょうか。

日本の大学の相対的地位低下

最新のTHE世界大学ランキング2026では、東京大学が26位にとどまり、トップ10は米英で独占されています 。しかし、アジアでは中国が急伸。清華大学12位、北京大学13位と、トップ15に肉薄しています 。

分野別ランキングでは日本の厳しさがより鮮明です。11分野すべてで日本の大学はトップ20に入っておらず、物理学の東大24位が最高。中国はコンピューター科学、工学、物理学でトップ10入りを果たしています 。

留学生獲得競争における日本のポジション

アメリカの魅力低下は、日本の大学にとって留学生獲得のチャンスとも言えます。しかし、日本の大学の国際競争力が相対的に低下している現状では、そのチャンスを活かせるかは疑問です。

「追い風」を活かせない日本の構造的問題

皮肉なことに、アメリカの教育省削減による混乱は、日本の大学に「追い風」をもたらす可能性があります。優秀な研究者がアメリカから日本に流入する、あるいは留学生が日本を選ぶといったシナリオです。

しかし、現状の日本はその風を受ける準備ができていません。「プレステージ(威信)による評価」では高い日本の大学も、研究力や教育の質の客観的指標では低迷しています 。東京大学が26位というのは、日本の国際競争力の低迷を如実に示しています。

世界の教育地図が変わる

アメリカの教育省削減は、単なる行政改革ではありません。それは「教育における連邦政府の役割」そのものを問い直す歴史的な転換点です。

この転換は、アメリカ国内の教育格差拡大という直接的な影響に加え、イギリスの大学財政を直撃し、さらに日本の大学の国際的な立ち位置にも影響を及ぼします。

注目すべきは、アメリカとイギリスという伝統的な教育大国が相対的に地位を低下させる一方、中国やシンガポールなどアジアの大学が急速に存在感を増していることです 。

日本の大学がこの新たな地政学的な教育秩序の中で生き残るためには、従来の「プレステージ」に頼るのではなく、研究力や国際性の客観的な向上に本気で取り組む必要があるでしょう。

 

 

 

「追い風」を活かせない日本の大学:言語の壁と「ガラパゴス化」の構造

「日本の大学は国際的な追い風を活かせない構造的問題を抱えている」と述べましたが、ご指摘の通り、教育制度の充実不足日本語のみの授業は、その中核的な原因の一つです。学術研究の知見を交えながら、この問題を深掘りします。

英語による授業(EMI)導入の現状と課題

日本の大学でも「英語による授業(English Medium Instruction, EMI)」は増加傾向にあります。文部科学省の調査では、2023年時点で何らかの形で外国語による授業を実施する大学は全体の約4割に上ります。
しかし、その「質」と「浸透度」には深刻な課題があります。

「出島(デジマ)」化する英語教育

学術研究では、日本の大学におけるEMIの実態を「出島(Dejima)」や「飛び地(enclave)」に例える指摘があります。これは、大学のごく一部に「英語で学ぶコース」を設けても、それが大学全体の国際化につながらず、周辺的な存在に留まっている現象を指します。

近藤佐知彦氏(Taylor & Francis掲載論文)は、日本の大学の国際化改革について「中核メンバーによって実施されるのではなく、単なる付加的なもの、あるいは飛び地(出島)的な改革に過ぎない」と批判しています。つまり、英語による授業を導入しても、それが大学の主流ではなく「特別な例外」として扱われ、組織全体の変革には至っていないのです。

「英語化=国際化」という短絡的発想

さらに深刻なのは、「国際化=英語化」という矮小化された理解です。早稲田大学の研究では、EMIを通じた国際化には「学術的帝国主義(academic imperialism)」としての側面もあり、単に英語で教えれば国際化が達成されるわけではないと指摘されています。

近藤氏は、日本で考えられている国際化は「多様性を高めるための国際化ではなく、実際には英語化以外の何物でもない」と厳しく指摘します。本来の国際化とは、多様な価値観や文化を取り入れ、教育研究の質を高めることのはずですが、それが「英語で授業を行うこと」と短絡的に結びつけられている現状があります。

 

 

 

🎓 東京大学の事例:トップ大学でさえ「今、始まった」改革

この問題を象徴するのが、東京大学工学系研究科の最近の取り組みです。

2025年7月の報道によると、東大工学系研究科は大学院授業の大幅な英語化方針を打ち出しました。現在約4割の英語授業を、2025年度中に6割、2026年度には8割まで引き上げる計画です。

この背景には、世界大学ランキング28位への転落という強い危機感があります。研究の質や国際性の指標で評価が伸び悩む中、工学分野の国際共通語が英語である現実に対応しようとしているのです。

しかし注目すべきは、日本を代表する東京大学でさえ、2026年になってようやく本格的な英語化に着手するという事実です。東大工学系研究科の津本浩平教授は、日本の学生について「英語の読解や文章作成には長けているが、口頭コミュニケーション訓練が不足している」と指摘します。これは、英語で「学ぶ」「議論する」「発表する」という能動的な言語使用の訓練が、これまでの日本の教育に欠けていたことを示しています。

学生と教員の双方が直面する「言語の壁」

学術研究は、EMI導入に伴う具体的な困難も明らかにしています。
ユ・チンラン氏(トリノ大学)の研究によると、日本の大学におけるEMIには以下の3つの主要な課題があります:

  1. 言語の壁(language barrier):母語でない英語での学習には大きな負荷がかかる

  2. 文化の壁(cultural barriers):異なる言語での学習は文化的環境への統合を難しくする

  3. 教授スタイルの多様性:教員の指導スタイルが母語での授業と異なり、学習の障壁となりうる

また、中国の教育メディア「神州学人」の記事では、櫻美林大学の熊澤雅子教授(英語教育学)の懸念が紹介されています:

「母語以外の言語で高度な内容を学んでも、完全に理解することは難しく、学習の質が低下するリスクがある。教員自身の英語力が不十分ならなおさら深刻だ。」

明治期以来、日本は専門用語の日本語訳を整備し、「日本語で高度な高等教育を受けられる」稀有な国としての教育体系を構築してきました。これは誇るべき文化的成果である一方、国際的な人材流動性という観点では大きなハンディキャップとなっています。

国際競争における日本のポジション

文部科学省の推計では、国内の大学進学者数は現在約60万人から、2040年には46万人に減少すると見込まれています。リクルート進学総合研究所の小林浩所長は、この状況を「国内市場は頭打ちだが、高等教育はグローバルに見れば成長領域」と分析し、「授業の英語化によって優秀な留学生を獲得し、国際競争を生き残る必要がある」と指摘します。

しかし、現状の日本の大学は、留学生にとって「学びやすい環境」とは言えません。多くの授業が日本語で行われ、英語で学位を取得できるコースは限られています。たとえ英語コースがあっても、それが「出島」的に孤立していれば、キャンパスライフ全体での国際的な刺激は限定的です。

ジョー・ガーナー氏(マラヤ大学)の研究は、日本の政府主導の国際化政策について、「真のカリキュラム変革を望まない大学が、EMIを周辺的なものとして扱うことを可能にしている」と批判します。つまり、トップダウンの政策があっても、現場が本気で変わらなければ、形だけの「英語の島」が作られるに過ぎないのです。

言語の壁を越えられない日本の大学

ご指摘の通り、日本語だけで完結する教育体系と、英語で高度な教育を提供する体制の未整備は、日本の大学が国際的な人材獲得競争で後れを取る最大の要因の一つです。

  • 東京大学でさえ、2026年になってようやく大学院授業の8割英語化に踏み切る「対応の遅れ」

  • 導入された英語授業が「出島」化し、大学全体の国際化に結びつかない「構造的問題」

  • 学生・教員双方の英語コミュニケーション能力不足という「人材育成の課題」

  • 「国際化=英語化」という短絡的理解にとどまる「理念の矮小化」

アメリカの教育省削減による「追い風」(優秀な研究者や留学生の流入可能性)を活かすには、これらの構造的問題を直視し、「日本語でしか教育できない」状態から脱却するための本格的な改革が不可欠です。単なる「英語コースの設置」ではなく、大学全体の教育言語戦略の再構築が問われています。

AI時代に英語は不要か?「日本語だけ」ではなぜダメなのか

「日本語教育の充実で世界的地位を確立できるのではないか」という問い。これに対し、「英語はAIで十分では?」という反論。確かに、AI翻訳の進化は目覚ましく、「英語を学ぶ意味」そのものが問い直されているのも事実です。

引き続き「AIがあれば英語は不要」という意見を整理した上で、それでも日本の大学に英語が必要な理由を考えます。

「AIで十分」という意見の整理

まず、AI時代に英語教育の必要性を疑問視する声には、以下のような論理があります。

1. 翻訳精度の飛躍的向上

ChatGPTをはじめとする大規模言語モデルの登場で、AI翻訳の精度は劇的に向上しました。2024年には、あるプラットフォームでAI翻訳作品が2000作品以上追加され、前年比20倍に達しています。Microsoftの研究では、翻訳・通訳者が「AIに最も代替されやすい職業」の第1位にランクされました。

2. 世界の多くの大学言語関連学部閉鎖

近年、世界中の大学で言語関連学部の再編・閉鎖が加速しています。アメリカでは過去5年間で外国語学科の閉鎖が相次ぎ、全体で数百に上るプログラムが廃止されました。イギリスでも同様に、多くの大学で言語学科の統廃合が進み、学生数の減少を理由に40近い言語学科が過去数年で閉鎖されています。この背景には、AI翻訳技術の進歩による需要減に加え、人文系学部全体への予算削圧力が強まっていることがあります。最大の原因は、AI翻訳の台頭による志願者の急減と財務悪化です。

3. 翻訳業界の賃金崩壊

AI翻訳の普及は、翻訳者の収入を直撃しています。業界では「AI初訳+人間による校正(MTPE)」が主流になり、校正作業の報酬は従来の翻訳の4分の1にまで下がっています。そもそも、その校正作業依頼すら減少しています。

4. 中国でも止まらない外国語学部の縮小

中国でも英語・日本語など伝統的な外国語専攻の縮小が相次いでいます。東南大学はロシア語・スペイン語の修士募集を停止、河北大学は英語通訳・日本語通訳専攻を募集停止しました。背景には、AI時代に「単なる言葉の変換ができる人材」の需要が急減していることがあります。

これらの現実を見ると、「英語なんてAIで十分」という意見にも一理あるように思えます。

しかし、AIでは代替できない「言語の本質」

ところが、言語学の専門家は口を揃えてこう言います。「AIは『言葉の意味』を理解しているわけではない」と。

1. 言語は「確率計算」ではなく「公理系」

澳門科技大学の張洪明院長は、AIと人間の言語処理の本質的違いをこう説明します。「言語の本質は確率的出力ではなく、人間の脳の生物学的構造に基づく公理的な演算認知システムである」。

AIは膨大なテキストデータから「この単語の次には、この単語が来る確率が高い」と計算しているにすぎません。つまり、AIは「意味」を理解しているのではなく、「確率」を計算しているだけなのです。

2. ニュアンス・含意・文化的文脈は読めない

北京第二外国語学院の呉建設院長は、AIの限界をこう指摘します。「外交辞令の行間、文学作品の歴史的典故、皮肉や反語、強い個人スタイルのある文学的創作は、AIは人間のような機微と深みにはまだ及ばない」。
例えば「中国式現代化」をAIは正確に翻訳できても、その背景にある歴史的脈絡や哲学的含意を説明することはできません。「字面の意味」と「伝えたい意味」のズレを読み取るのは、人間にしかできないのです。

3. AIは「言葉の奥行き」に弱い

北京大学の寧一中教授は、AI時代の多様な情報手段(マルチモーダル)活用について語る中で、AIの「使いすぎ」と「過度の依存」のリスクを警告しています。テクノロジーは目標を達成するための手段に過ぎず、教育の本質を見失ってはいけないと訴えます。

しかし、それらの意見は1年前のAIの実力をベースにした物です。つまり、毎月進化しているAIをもとに意見を言っても、それが発表され浸透するころには古い意見となっている現実があります。「正解」が「進化の速度」についていけないことを理解していかなくてはなりません。

なぜ日本の大学に「英語」が必要か

以上の議論を踏まえ、日本の大学が英語教育を軽視できない理由を整理します。

1. 英語は「翻訳のため」ではなく「思考のため」

AI翻訳がどれだけ進化しても、英語で直接考え、英語で議論し、英語で共創できる人材の価値は変わりません。現代の言語教育は「AIツールの操作」と「英語での専門的な思考力」を組み合わせる方向に進んでいます。AI時代に求められるのは「AIを使いこなせる人間」、つまり「人文素養+AI技術能力」の結合体です。

しかし、その意見も現時点のAIをもとにした意見に過ぎないとも言えます。

2. 世界の研究の「一次情報」にアクセスするには

自然科学から社会科学まで、世界の最先端研究の大半は英語で発表されます。AI翻訳で「結果」を知ることはできても、研究の前提、議論のプロセス、査読者の批判、著者のニュアンスを理解するには、原語で読む能力が不可欠です。

現時点で必要であると考えられる場合は、それをなくす選択肢を教育機関や大学が行うことには無理があります。

3. 「選ばれる大学」になるための条件

世界大学ランキングでは、外国人教員比率や外国人留学生比率、国際共著論文数といった「国際性」の指標が一定のウェイトを占めます。日本語だけの大学は、これらの指標で大幅に点数を失います。

ランキングを気にする必要はないという意見も多いですが、ランキングの内容で、本来日本の中の大学も「そうあるべき」であるという内容であれば、順位を注視するより、その内容ごとの評価は参照すべきです。

つまり、無視するより参照するべきことが多くあると言えます。ランキングをあげることに努力している国や大学もありますが、日本の大学は必要な変革が追い付いていないとう現実をランキングから知ることができます。

4. 留学生にとっての「学びやすさ」

日本の大学に留学を検討する学生にとって、卒業後のキャリアを考えれば、英語で学位を取得できるコースがあることは大きな魅力です。「日本語でしか学べない」大学は、一部の日本研究者以外にとっては「入り口が狭い」大学に映ります。

5. 「英語+日本語」の二刀流こそ強み

前回も述べたように、ドイツの哲学・神学部がドイツ語という「哲学の言語」のブランドを維持しながらも、国際的な研究者との交流には英語を使うように、「日本語で深く考える力」と「英語で世界とつながる力」の両立こそが、日本の大学の生き残る道です。

 

 

 

AIは「英語学習不要」の理由にならない

AI翻訳の進化は、「単なる言葉の変換ができる人材」の需要を確かに破壊しました。モントレー国際大学院の閉鎖は、その象徴的な出来事です。
しかし、それは「英語学習の終わり」ではなく、「英語学習の質的転換」を迫るものです。つまり、

  • 単なる文法訳読式の英語教育

  • AIで代替できる「低認知負荷の言語変換スキル」

は不要になります。しかし、

  • 英語で思考し、交渉し、共創する力

  • AIの出力を批判的に評価し、修正する力

  • 文化的文脈を理解した上での高度なコミュニケーション能力

への需要はむしろ高まっています。

日本の大学が目指すべきは、「日本語だけのガラパゴス」でも「英語だけの植民地」でもありません。日本語で深く考え、英語で世界とつながる「二刀流」の人材を育てること。そして、そのための教育言語戦略を、分野ごとに明確に設計することではないでしょうか。

そもそも、留学生は「必要なのか」日本の大学・大学院の存在意義を問い直す

「専門用語は英語だし、研究室内では英語が通じる。それなら留学生は不要ではないか」

この問いは、日本の大学の国際化戦略の根幹を突いています。確かに、理工系の研究室では英語が共通語として機能し、日本語ができなくても研究は成立するかもしれません。しかし、大学を「研究の場」としてだけ見るならともかく、「教育の場」「社会の基盤」として見たとき、留学生の存在意義はまったく別の次元で現れてきます。

同質性のリスク

日本語だけの研究室、日本人だけの研究室は、コミュニケーションは円滑かもしれません。しかし、それは同時に「同じ文化的背景」「同じ思考パターン」の人々が集まることを意味します。

イノベーションの歴史が示すのは、画期的な発見は「異質な視点の衝突」から生まれるということです。例えば:

  • ノーベル賞受賞者を多数輩出したキャヴェンディッシュ研究所は、世界中から若手研究者を集めた

  • 戦後の日本企業のイノベーションも、海外技術の導入と日本人技術者の留学に負うところが大きい

研究室が「日本語で通じる」ことは効率的ですが、「効率」と「創造性」は必ずしも一致しません。

競争環境の欠如

国際的なトップジャーナルに論文を掲載するには、世界標準の研究水準が求められます。しかし、日本人だけの閉じた環境では、その「世界標準」が何かを実感する機会が限られます。留学生の存在は、「当たり前」を疑う契機を提供します。

留学生がもたらす「見えない価値」

1. ネットワーク効果
留学生は、卒業後に母国で日本の大学の「顔」となります。例えば:

  • タイに帰国した元留学生が、日本の企業進出を支援する

  • 中国の大学教員になった元留学生が、日本の研究を紹介する

  • ベトナム政府で働く元留学生が、日本のODA事業を円滑に進める

こうした「人材のネットワーク」は、外交文書や貿易統計には表れない日本の「ソフトパワー」です。

2. 教育の質の向上
日本人学生にとって、留学生との交流は:

  • 英語でのコミュニケーション機会の増加

  • 異文化理解の実践の場

  • 「当たり前」を相対化する視点の獲得

につながります。これは、教員が意図的に設計しなくても、日常のキャンパスライフで自然に育まれる「体験的教育」です。

3. 財政的貢献
留学生の授業料は、国立大学にとって貴重な財源です。少子化で18歳人口が減少する中、留学生の受け入れは大学経営の安定化に直結します。

 

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留学生を受け入れない「リスク」

もし日本の大学が「日本語ができないと入れない」方針を取れば、以下のリスクが生じます。

研究力の相対的低下

世界のトップ大学は、優秀な人材を世界中から集めています。日本がその流れから外れれば、優秀な研究者も「世界で戦える人材」も育たなくなるでしょう。

国際共同研究の縮小

留学生や外国人研究者の存在は、国際共同研究のパイプラインです。彼らがいなければ、日本の大学は国際的な研究ネットワークから取り残される可能性があります。

「英語で通じる」の先にあるもの

「研究室内では英語が通じる」というのは事実です。 しかし、それは留学生が「研究だけしていればいい」存在であることを意味しません。

留学生が日本の大学に来るのは、単に研究環境を求めてだけではありません。彼らは:

  • 日本の文化や社会を学びたい

  • 日本語を習得したい

  • 日本人学生と交流したい

という多様な動機を持っています。そして、その「交流」こそが、長期的には日本の大学、ひいては日本の社会全体にとっての財産となるのです。

「留学生は必要か」という問いの答えは、「日本の大学が世界の中でどんな存在でありたいか」という問いに重なります。

  • 閉じたコミュニティで効率的に研究するだけの場なのか

  • それとも、世界とつながり、世界をリードする人材を育てる場なのか

留学生の受け入れは、単なる「親切」でも「国際貢献」でもありません。日本の大学が自らの存在意義を高めるための、戦略的な投資なのです。

「研究室内で英語が通じる」で終わらせないために

ご指摘の通り、理工系の研究室では英語が通じる環境が整いつつあります。しかし、それは留学生が「日本語ができなくても研究できる」というだけであって、「留学生が日本の大学に来る意味」のすべてではありません。

本当に重要なのは:

  1. 留学生が研究以外の面でも日本で学び、成長できる環境を整えること

  2. 日本人学生が留学生との交流を通じて、国際的な視野を獲得すること

  3. 卒業後のネットワークを、日本の大学(ひいては日本社会)の財産として活かすこと

「英語で通じる」は必要条件であって十分条件ではありません。その先にある「共に学び、共に成長する場」としての大学を、どうデザインするか。それが、これからの日本の大学に問われているのです。