2019年9月16日
午前中家の用事をして、午後2時過ぎに自宅を出て午後4時過ぎに尾鷲市で今借りているマンションに戻った以外は、本を読んだりテレビ番組を観たり等して過ごしました。しかし、今日も色々やってしまいました。本当に気を付けないと…。
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フェリスベルト・エルナンデス「ギャングの哲学」「フアン・メンデス または考えの雑貨屋 またはわずかな日々の記」(『フィクションのエル・ドラード 案内係』(浜田和範訳、水声社)所収)を読みました。どちらの小説も小説と言われなければ別物だと思う人もいるだろうなと思いましたが、今日読んだ中では「フアン・メンデス または考えの雑貨屋 またはわずかな日々の記」の方がより面白かったです。ある架空の作家の日常を書いているのですが、読んでいて(彼の思想等)細かい部分まで書く事で面白さがどんどん増している様に感じ、同時に作家の面白がり方が半端じゃない気がしました。しかし、よく書いたし書けるなあ。凄い…。一方、「ギャングの哲学」は作家の思考の流れについて読むのが面白かったのは確かですが、もう少し長いと良いのにと感じました。ああ、一寸短すぎ…。
2019年9月15日
今日は午後四日市市に向かい、近鉄四日市駅前で買い物をした以外は、本を読んだり録画しておいたテレビ番組を観たり等して過ごしました。
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フェリスベルト・エルナンデス「クレメンテ・コリングのころ」(『フィクションのエル・ドラード 案内係』(浜田和範訳、水声社)所収)を読みました。クレメンテ・コリングと言う人物についての思い出が語られていく事で小説が進むのですが、時を問わずまた内容が変わっていようとお構いなしに彼に対する思い出が入り込んできて読んでいる間何度か戸惑いつつも、昨日読んだ「水に沈む家」と同様に他人を理解する困難さを改めて認識させられたと同時に謎は謎のまま残り「思い出の中で生長している」(255頁)と言う語り手の言葉に作家の思想を感じました。ああ、それで良いのですよね…。
2019年9月14日
この週末は家で過ごす事に決めていたので、午前中尾鷲市に今借りているマンションを出て自宅に帰った後墓参りに行き、午後叔父が家に来たので一緒に昼食を摂った以外は、本を読んだり録画しておいたテレビ番組を観たり等して過ごしました。
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フェリスベルト・エルナンデス「水に沈む家」(『フィクションのエル・ドラード 案内係』(浜田和範訳、水声社)所収)を読みました。昨日は無理矢理にでも「ルクレツィア」を理解しようとして失敗した気がしましたので、今日は「水に沈む家」を兎に角受け入れようと思い読みました。全体的に幻想的で、(マルガリータ夫人の話も含めて)主人公が感じた他人を理解する困難さが強く感じられました。しかし、マルガリータ夫人の水に対する(信仰に近い)思いはなかなか理解しにくかったです。おまけに、周囲の理解や誤解が入り交じっていては…。