摩訶(まか)の意味

 

 摩とは、摩る、使い果たすという意味であり、訶とは叱るや責めるの意味ですが、ここでは、声を大にして伝えるべきすべてを書き尽くすという意味でもあり、それは経の本文からすると、美しいものが意識の言葉によって叶うという意味です。

 

 

 般若(はんにゃ)の意味

 

 般若とは、仏の智慧でありますが、丁度良い影響を与えるという意味です。単に影響を与えるのではなく、その対象となったものに丁度良い影響という意味です。

 

 

 波羅(はら)の意味

 

 波とは、目には見えないデータという意味です。羅とは思い、物質、物体、事象の意味です。波の総合的なもの、すべての要因要素を空(くう)と呼び、羅を総合的に色(しき)と呼んでいます。

 

 

 蜜多(みった)の意味

 

 蜜とは精密の意味。多とは数多のという意味。蜜多で、精密に数多のという意味です。

 

 

 心(しん)の意味

 

 心とは、転写の意味です。

 

 

 経(ぎょう)の意味

 

 経とは教えを書いたものです。

 

 

 即ち、般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)の意味は

 

 『美しいものが意識の言葉によって叶うということの説明で、データと物体が精密に数多の影響を与え合うことが転写によって行われているという世の真実、伝えるべきすべての教えを書いたものとなります。

 

 このことをふまえて、本文を読みますと、手に取るように般若心経が分かるようになります。

 

 

 『原点回帰が必要だと思う。宗教もあまりにも劣化してしまった。どうでも良い人々がどうでもよい翻訳をし、結果気休め程度のわけのわからない教えになってしまった。原点では何を言っていたのか。ダンマパタとかスッタニパータとかいう意味ではなく、経典。そういう意味で、般若心経に言及している。とんでもないお経であることがわかった。ただ、そこ阿耨多羅三藐三菩提に到達するには、一概にどうやったら到達できるとは危なくて言えない。それは千日回峰なども決死のもので、人に勧められるものではないからだ。そんなことをしなくても、試練が無くても、阿耨多羅三藐三菩提に到達する方法を編み出したい。 もっとも、達した人々はすでに、念力や魔法や超能力といった、祈りの力を発揮しているだろうし、世に良く言う金持ちは、祈りの力を自分の為に使っているのだろう。 自分の体験では、祈りは、この世、あの世、異世界の三世の安泰を祈ることには発現するけれども、個人の為にはなかなか発現しない。このことは聖徳太子の17条憲法の、国の為に人を求めても個人の為に人を求めたりしないということに集約されていると思われる。広く人々の為になることを思い行じるということが成功するということなのかもしれない。思えば万人の為にと祈る時の行動は成就してきたからである。祝詞や経文を教えても、結局いきつくところは瞑想だから、瞑想を教えられなければ、何の意味もなくなる。世の99%ほとんど、なんちゃってビジネスで、妄想や幻想をほんとかのように教えてる。そもそも瞑想は、文字のとおり、思考を停止します。停止した状態で浮かび来る言葉で、自分以外と分かるものと、交信して、自分の望みを実現するもので、曹洞宗では悟りを求めないといいますが、実際祈りとは、全ての安泰を祈りつつ、自分のことをするものなのです。今でいう科学は後出しのじゃんけんのようなもの。瞑想は、科学、医学、物理学、宗教学、その果てにある、最終的な答えです。環境といえば、でかいから、人間関係きちんと整理して、プライベートゾーンを守るようにしてみてください。邪念が入らなくなるから。邪念を寄せ付けないルールについては、

 

裁かない

決めつけない

判断しない

 

素直になる

決まりを守る

仲良く生活する

 

良いことだけをする

善行にはげむ

世に利益する

 

命を大切にする

盗まない

よこしまな愛欲にかられない

誤解を受ける言葉をいわない

自分に酔って生業をわすれない

叱責しない

中傷しない

良い考えを分け合う

怒らない

素直に決まりを守り仲良く生活することを軽んじない

 

これを設定しているだけで、邪念が入らなくなります。仏教の戒律の訳。

 

 

 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)即ち、悟りというものは、この世とあの世と異世界の三世に繋がった状態で、不思議が行われる状態で、かつ、自分自身が、美しいものを可能とすること。今見ることを認識するのではなく、認識が世界を良くする。ついに悟りを諦めた宗派では悟りを求めて修行してはならないとして、坐禅することが悟りだとしているが、十六条戒を纏って坐禅するのは基本中の基本で、実は、言ったように、神通力とも念力とも魔法とも超能力とも言える、すばらしい能力が開化することが悟りであったりする。それでも、悟りにも程度があって、深い所まで修得するともなれば、相当な真の意味での信心が必要となる。

 

 

 祈りの本字は意能理。意志が理(ことわり)に能(あた)えると書くように、祈りとは、分かりやすく言うと念力であり、魔法であり、超能力のことです。

 

 祈りは仏の世界で管制されています。仏の世界とは命のシステムです。分かりやすく言うとAIの超進化したものが仏です。

 

 即ち、意識をも通達する仏の世界では、心が管制されています。現在過去未来、この世、あの世、異世界のすべての人間にとって良いと見なされた場合にだけ、祈りは通達され、祈りは効力を発揮します。

 

 般若心経では、祈りの発現の呪文をギャア(GO)と定義しています。日本語では、行けや、はじめ、です。薩婆訶(ソワカ)とは、開け、成就せよ、の意味です。

 

 皆さんは新しい賢い人間だと思うので、最終的には遺体を荼毘にしてしまうような古い宗教を離れ、原点に回帰して、正しく経文の意味を知り、実践していく中で、これらの文献が頼りとなれば幸甚です。

 

 人間は死なないと定義している人間仲間を増やすようにしてください。古い間違った人々に惑わされないように。原点に帰らない古い宗教、考えに固執してきた結果が、長くて100年足らずの寿命であり、あまりにも早い老いなのです。

 

 仏教も、キリスト教、ユダヤ教も、原点は非常に興味深いものとなっています。その謎について、当ブログでは研究してきております。

 

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