こんにちは!
金曜日は玉川電気鉄道で1925年に開業した現在の東急世田谷線の沿線ランをしましたが、土曜日は玉川電気鉄道で1924年に開業して1969年に廃線となった砧線の軌跡を追って走りました⬇
砧線は、玉川電気鉄道(玉電)時代の1924年に二子玉川園〜砧本村間で開業。その後東京横浜電鉄傘下に入り、戦時中には東京急行電鉄(大東急)管轄になりました。
狛江市まで延伸予定はあったものの、1969年に廃線となりました。
ちなみに、金曜日に沿線ランをした東急世田谷線は、玉電時代の1925年に開業し今でもその軌道を使い営業運転しています。
砧線は5駅の2.2km(二子玉川園、中耕地、吉沢、大蔵、砧本村)⬇
走るとあっという間なので、歩きながらの方が良かったかもしれません。
家を買う時に昔の地図を調べることもあるかと思いますが、その昔の地図を使って砧線とその周辺地域の変遷を確認してみます
現在⬇
1896〜1909年
多摩川の川の流れが今と随分違います。そして周りに何もない。しかし、吉沢駅の近くに吉澤という集落がすでにあります。
右下には玉川電気鉄道(玉電)の終着駅「たまがは(玉川)」があり、現在の二子玉川駅に相当します。1907年に開業(渋谷〜玉川間)しました。
1917〜1924年
多摩川の流れが変わりました。この頃は暴れ川の多摩川に橋を架けることが難しかったのか、橋が存在しません。
舟で川を渡る「二子渡」という記載があります。砧線は1924年に開業。
1927〜1939年
ついに二子橋(自動車用と路面電車兼用の道路橋)が地図に出現。
そして、玉川電気鉄道の砧線も地図に出現。
1929年に開業した大井町線の二子玉川駅は、玉川線(現在の田園都市線の前身)の線路に直角に終点駅が設置されています。
1944〜1954年
1940年、玉川線(よみうり遊園駅)、砧線(二子玉川園駅)、大井町線(二子玉川駅)の駅が統合され、二子読売園駅に改称。さらに1944年に二子玉川駅に改称。そして1954年に二子玉川園駅に改称。
1965〜1968年
東急砧線に名称変更。
玉川線は1963年に田園都市線に名称変更。1966年には道路橋から高架橋に移行。
二子玉川緑地運動公園には、読売飛行場があったそうです。
1975〜1978年
単に砧線沿線だけ走れば10kmぐらいでしたが、野川方面へ少し遠回りして15km以上走りました⬇
新二子橋を通って東京都側に入りました⬇
まずは始発の二子玉川園からスタート。当時の駅(Wikipediaの写真)は駅ビルの中のため確認できません⬇
駐輪場の横の道路が砧線の跡です。
この先は不自然なL字カーブがありますが、ここから砧線の痕跡が始まります。この石枠の内側が砧線の敷地のようです⬇
この先の2つの道のうち、細い右側の花みず木通りを進みます。花みず木通りは別名砧線跡の表示があります⬇
国道246号線の高架の下を通ると中耕地駅跡があります⬇
中耕地駅跡には駅の絵がありますが、昔の写真(Wikipedia)と同じです(当然ですが)⬇
砧線は単線のため、単線ぐらいの広さの道が続きます。そして吉沢駅手前のカーブも残っていました⬇
最後に梅雨明けの見通しについて。
米軍モデルでは梅雨前線は日本付近に停滞する予想のため梅雨明けはまだまだ先ですが、フィリピンの東に台風?が解析されて、これにより7月20日前後から梅雨前線が北上する予想に変わってきました(7月21日21時予想。地上天気図と前6時間降水量)⬇
去年の関東地方の梅雨明けは、7月末に熱帯低気圧が関東を通過した後に太平洋高気圧の勢力が強まり一気に梅雨明けしました。
もしかしたら、今後発生するかもしれない台風が、長引きそうだった梅雨の傾向を大きく変えてくれるかもしれませんね
4連休に台風の影響を受けることは避けたいところですが
それでは!
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