子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい -85ページ目
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グリーンカードの取得方法

 グリーンカードを取得するためにはいろいろな方法があります。
その一つはアメリカ人と結婚することです。これは、結婚相手を見つける必要があります。もう一つは、アメリカに一定額を投資すること。この場合、ある程度の自己資金が必要になります。そして、抽選に当たる事。この抽選に当たる為の条件はただ一つ。それは応募することです。

毎年、10月ごろから12月下旬ごろにかけて応募の受付をしています。
自分は12月下旬にビザ取得を専門に扱っている弁護士事務所を通して応募しました。家族4人分です。準備するものは写真などでした。そして翌年の6月はじめに当選通知が届きました。
 
 この当選通知は多めに発行しており、実際に永住権を取得できるのはその内の半分くらいだそうです。理由は、書類不備などで失格となってしまう人がいるためです。

 当選通知が届いた後、書類をそろえる必要があります。戸籍謄本や学校の卒業証明書、警察署の渡航証明(犯罪暦証明)、銀行の残高証明書、写真などです。これらの書類はすべて英文になります。またやっかいなのは、予防接種です。

 大人の場合、おたふくや水疱瘡など子供の頃に一度かかり、抗体があれば問題ありません。しかし、小さい子供の場合はまだ抗体を持っていないため、予防接種を受ける必要があります。

 必要な予防接種は、はしか、おたふく、水疱瘡、B型肝炎などです。特にB型肝炎は2回接種する必要があり、また、一度打ってから4週間以上期間を開けなければなりません。もし、小さいお子さんがいるなら事前に近所のかかりつけの小児科の先生とスケジュールの確認をしたほうがいいです。なぜなら、小さい子供はよく突発的に風邪を引いたりしますので、予防接種がなかなか打てないことがあるからです。

 自分の場合、6才と2才の娘がいましたので、事前にかかりつけの小児科にスケジュールの確認をしました。予防接種する順番と接種できる予定日をあらかじめ確認しておいたのです。また、自分はすでにF-1ビザでアメリカに単身で滞在していましたので、日本に一時帰国した際に娘を連れて小児科に行き、予防接種を順番に接種していきました。11月に日本に帰国した時は、インフルエンザが猛威をふるっていました。保育園でもクラスで30人中25人がインフルエンザにかかり休んでいました。自分の子供は幸いにもインフルエンザにかかることなく、予防接種を打つことができました。子供に感謝です。

 12月のはじめに、ケンタッキー・カンシュラー・センターからアメリカ大使館での面接日の通知がきました。移民ビザの場合は、ケース番号(当選者の番号)により順番に大使館での面接日が設定されていきます。ちなみに自分が以前取得したF-1ビザの場合は、自分からアメリカ大使館に面接日の予約をしました。

 アメリカ大使館での面接日は1月4日でした。この通知は面接日の1ヶ月くらい前に届きます。この通知が届いてから、指定の病院にて健康診断を受けなければなりません。自分は12月4日に健康診断の予約をしました。朝8時30分までに病院に来るように言われました。自分の家は埼玉にあり、指定病院は東京の目白でした。平日の朝早く、小さい娘を2人連れて朝のラッシュアワーの電車で病院まで行きました。電車の中はマスクを付けた人がたくさんでした。その日は月曜日でした。人身事故で電車が遅れ、いつも以上に混雑していました。何とか時間内に病院に着くことができ、必要書類に記入し、まず自分からでした。実家から取り寄せた母子手帳を持参しました。自分が受けた予防接種は、ジフテリアと破傷風の2種混合だけでした。これは大人でも過去10年以内に接種していないといけないためです。

 次に娘の番です。この日までにほとんどの予防接種を近所の小児科で受けてきました。残りは、下の娘の水疱瘡だけでした。予防接種は大使館面接日までに接種すれば大丈夫なのです。この日、娘2人が受けたのは、ツベルクリンでした。以前はツベルクリン反応を見るのは条件に入っていなかったそうです。無事健康診断が終わり、病院内の食堂でランチをとって帰宅しました。

 2日後の水曜日にツベルクリン反応を見る為に、また目白の病院まで行きました。この時は朝早く行く必要はなかったので、ラッシュ時間を避けて電車で行きました。嫁は別の日に1人で健康診断を受けました。

 レントゲン写真と健康診断書、警察署の渡航証明(犯罪暦証明)、銀行の残高証明、写真などの書類を持って、1月4日に家族4人でアメリカ大使館に行きました。嫁は以前から「グリーンカードなんていらない」と言っていましたが、この日は会社を休んでついてきました。

 この日は月曜日でした。毎週月曜日は移民ビザ申請者のみの受付日だそうで、ガラガラでした。以前、F-1ビザの為に大使館に行ったのは12月31日でした。そのときはたくさんの人がいたのを覚えています。

 大使館では申請手数料として一人約800ドルかかりました。家族4人で約30万円です。それ以外に健康診断で一人約3万円、予防接種はすべて実費で一本あたり5千円から1万円かかりました。さらに、自分の場合弁護士に手続きを依頼していましたので、弁護士費用が4人で50万円。合計で約100万円の経費がかかりました。

 大使館の面接は無事終了しました。朝8時30分に着き、終わったのが12時前でした。面接時に聞かれたのは、「いつアメリカに渡航する予定か」「どこに住む予定か」「アメリカではどのような職業につくのか」「なぜ、その仕事をするのか」などでした。面接は英語ですが、片言の英語しか話せない自分でも特に問題ありませんでした。ただ、嫁は日本で仕事をしばらく続けるので、「アメリカへの渡航予定が2年以上先になる」と嫁が答えてしまったときは、一瞬冷や汗がでました。

 大使館面接日から月曜日でパスポートと分厚い書類が自宅に届いたのがその週の木曜日でした。4人のパスポートには「immigrant VISA」が貼ってありました。健康診断書の有効期限が180日ですので、その期間内に一度アメリカに入国する必要があります。ただ、家族がそろって渡航する必要はなく、別々で構いません。

 自分は、パスポートが届いてすぐハワイに単身で入国しました。ホノルル空港での入国審査は通常の場所と違いました。大使館から届いた書類一式を持参し審査を受けました。その際、審査官からレントゲン写真が必要といわれました。アメリカ大使館でも弁護士事務所からも、レントゲン写真は必要ないといわれていたので、持参してきませんでした。でも、その後入国していいと言われたので、そのまま入国しました。

 一度入国審査を通過すると移民局に通知が行きます。そしてアメリカの住所に「permanent resident card」(グリーンカード)が届きます。通常4週間から12週間後と言われましたが、入国してから3週間位で届きました。アメリカでの住所は一度引き払ってしまったので、シアトルにある弁護士事務所のアドレスを使わせてもらいました。アメリカ入国後、住所が決まり、シアトルからハワイの住所に転送してもらいました。

 また、アメリカに滞在中に永住権の申請をする場合、アメリカ国内で面接を受ければ大丈夫です。わざわざ、日本のアメリカ大使館で面接を受ける必要はありません。ただ、自分の場合は家族が日本に滞在していたため、家族そろって面接をうけたほうがいいという弁護士のアドバイスに従い、日本で面接を受けました。

 これは2010年1月時点の情報です。毎年審査が厳しくなっていると聞きます。これから申請される方は、その都度、最新の情報を入手して手続きされることをお勧めします。


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 おやじは、時々自分に対し次のようなことを言いました。
「俺たちの時代は今の中国のようにみんながむしゃらに猪突猛進して生きてきた。だが、お前たちの世代はおとなしい人間が多くなってしまった」と。
 戦後日本は豊かになり、ハングリー精神や他人を押しのけて、猪突猛進するような日本人はいなくなってしまった、と時々聞きます。しかし、本当にそうでしょうか?
 野球やサッカーなどプロの世界で活躍しているスポーツ選手はみな、「俺が俺が」、というように我が強い人が多いです。また、芸能界で生き残って活躍している人たちも、同じように我が強く、カリスマ性も強い。実際、おとなしく、他人を押しのけて突き進むことができないような人間が、芸能界やプロスポーツの世界で生き残ることはできないでしょう。また、大企業でサラリーマンする道を選ばず、自分でベンチャー起業して多くの従業員を雇用する会社を創業した社長も、我が強くカリスマ性も備えています。
 豊かさとおとなしさには何も因果関係はありません。戦後の日本は、豊かになった、そして戦後の日本人はおとなしくなった。時期がかぶるので一見、因果関係があるように思えます。しかし、戦後日本が焼け野原であった時期、アメリカは無傷であり、世界で一番豊かな国になっていました。だからといって、アメリカ人がおとなしくなったかというと、答えはノーです。豊かさとおとなしさは何の因果関係もないのです。
 では、なぜ、戦後の日本人はおとなしくなってしまったのでしょうか?
その理由は2つあります。1つは、終戦後日本を約7年間占領した、マッカーサー率いる進駐軍の影響です。当時のマッカーサーの権力は絶大であり、戦前の天皇をしのぐものでした。戦前の日本の神は天皇であったが、戦後の日本の神(ゴット)はマッカーサーでした。(これは、それ位絶大な権力を持っていたという、あくまでも例え話です。)
 以下はマッカーサー回想録からの引用です。
 「私は、日本国民に対して事実上、無制限の権力を持っていた。歴史上いかなる植民地総統も征服者も総司令官も、私が日本国民に対して持ったほどの権力を持った事はなかった。私の権力は至上のものであった。」
以上引用終わり

 その、彼が日本の占領政策を取る上でのベースにしたものが、「日本人を、2度とアメリカに歯向うことができない民族にすること」でした。そのためにすべての日本システムを解体しました。また一方、税務会計システムをはじめいろいろなシステムをアメリカは教えてくれました。
 財閥、貴族の解体や公職追放を実行しました。公職追放令を出したのは、マッカーサー進駐軍の民政局で、その中心人物はケーディス大佐とハーバート・ノーマンという外交官でした。
 渡辺昇一氏は次のように述べています。
「左翼的な連中は戦前、日本に革命を起こし、皇室をつぶし、私有財産制度を廃止しようと考えていたわけですから、もちろん帝国大学にとどまる事はできませんでした。ところが戦後に入り、戦前、有力な地位に就いていた人たちが公職追放令によってその地位を負われると、彼らがそれに代わって、あたかも凱旋将軍のごとく学会や言論界に戻ってきたのです。」
「さらに、進駐軍の方針で新制大学が全国各地につくられるようになると、彼らはそこに自分の弟子たちを教授として送り込みました。そのため、日本のアカデミックな世界はあたかも進行性のがん細胞に侵されたごとく、あっという間に左傾化してしまいました。」
以上引用終わり
 
 今でも、このときの左翼言論人の弟子達が教育言論界の主要なポストにいて、日本人に自虐史観で洗脳し続けているのです。
 さらに、全国の小学校から二ノ宮金次郎の銅像を撤去しました。なぜ、わざわざ、全国の小学校から二ノ宮金次郎の銅像を撤去するようなことをしたのでしょうか?これが「日本人を、2度とアメリカに歯向かうことができない民族にすること」とどのような関係があるのでしょうか?
 それは、アメリカ人は日本の思想教育を一番恐れていたからです。二宮金次郎の思想や「教育勅語」、「修身」という道徳教育、「神道」について小学校で教えることを一切禁止しました。
 その他、歌舞伎座で「赤穂浪士」といった「忠臣」の思想が入った演目の上映も禁止しました。一時はすべての演目が中止されて、日本から「歌舞伎」というものが消滅する寸前のところまでいきました。この歌舞伎の消滅を救ったのは、マッカーサーの副官でフォービアン・バワーズという人物です。
 彼は、戦前の日本に、インドネシアへの放浪の旅の途中に立ち寄りました。そしてたまたま、「東京へ行って、銀ぶらしながら歌舞伎座に偶然入った。お寺かと思って」(「歌舞伎を救った男」集英社)そして、立ち見席でたまたま「忠臣蔵」を見て、歌舞伎に魅せられてしまいました。そして、チケットをキャンセルして日本に長期滞在しました。この青い目をした歌舞伎ファンの青年のおかげで、日本の歌舞伎は存続することができたのです。
 この「アメリカに敵意を持たないように」洗脳するプログラムで一番のメインイベントが「東京裁判」でした。この東京裁判でA級戦犯として処刑された人間は、東条英機ら高級軍人でした。しかし当時、天皇の戦争責任を追求するアメリカ世論は大多数でした。マッカーサーは途中で考えを改めたのです。それは、天皇のパワーについて知ったからです。
 昭和20年8月30日時点で日本には陸海軍合わせて約700万人の兵隊が残存していました。うち国内は約二百六十万人で残り四百四十万人が東南アジアやロシアなどに駐留していました。日本軍隊では、どんなに戦況が悪くても、「進め」「突撃」という上官からの命令はあっても、「武器を置いて撤退しろ」「降伏しろ」という命令はあまり出たことがありませんでした。それが、天皇からの停戦命令で「武器を置いて撤退しろ」「降伏しろ」という命令が日本軍の中に出たのです。東南アジア諸国に何百万人といた日本軍の武装解除が天皇の一言で何の混乱もなく速やかに行われ、本土に復員していったのです。決して降伏しない日本軍、という印象をもっていた連合国にとってこれは不思議な出来事でした。
 マッカーサーの副官にボナー・F・フェラーズという人がいました。彼は重要な任務がありました。それは。マッカーサーに天皇の戦争責任についての覚書を提出することでした。以下はその意見書の抜粋です。
 「無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を要求した。天皇の命令により、七百万の兵士が武力を放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置によって何百何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予定よりもはるかにはやく集結した。
 したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦争犯罪のかどにより彼を裁くならば、それは日本国民の目には背進に等しいものであろう。それのみならず、日本国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件降伏とは、天皇を含む国家機構の存続を意味するものと考えている。
 もしも、天皇が戦犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられないであろう。
 彼らは、武装解除されているにせよ、反乱と流血が起こるであろう。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば、日本国民を疎隔してしまうことになろう。
 米国の長期的国益のためには、相互の尊敬と信頼と理解にもとづいて東洋諸国との友好関係を保つ事が必要である。結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせない事が国家的に最も重要である。」
以上引用終わり 
 
 この覚書により、「天皇に戦争責任を追求しない」ことにマッカーサーは考えを改めました。そして、4ヶ月後に米国政府に最終的な判断を報告しました。これにより、ワシントンの天皇の戦争責任論議は終結しました。
 ボナ・F・フェラーズはクエーカー教徒であり、同じクエーカー教徒で河井道という日本の友人がいました。彼女は、恵泉女学院を創設した人です。彼はこの覚書をマッカーサーに提出する前に、「日本人にとっての天皇感」について、河井に意見を求めました。
 後に、フェラーズは死ぬ直前のインタビューで次のようにコメントしています。
「私はあの覚書の内容について自身が持てなかった。あれはミチ カワイから授かったものだ。彼女は実に偉大な女性だった。彼女が私を助けてくれた。彼女は知らないだろうが。マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな影響を及ぼしたと想う。」
以上引用終わり。

 天皇に戦争責任を追求しないマッカーサーの方針に直接影響を与えたのが、副官のフェラーズですが、間接的に影響を与えたのが、日本人の河井道だったのです。

 約7年後、日本から進駐軍が撤退し、形式的には日本は独立国家となりました。(事実上は今現在でも日本はアメリカの保護国です。)この7年間のマッカーサーによる「日本人洗脳プログラム」は凄まじいものでした。このプログラムを小学生中学生の頃に、一番強烈に受けたおやじ世代は、いまでも「反米」という言葉を聞くとアレルギーを引き起こします。
 戦前の日本については、暗黒のイメージとして、語られることが多いです。これも左翼言論人による洗脳ですが。戦前戦中、国を追われていた左翼言論人にとっては、確かに暗黒の時代だったのでしょう。
 しかし、これは国家総動員法によって、戦況が悪化し始めた後の数年間の話です。それ以前の明治時代から続く近代国家の礎としての思想教育は決して暗黒の時代ではなかったのです。
 むしろ、江戸末期のクーデターから短期間のうちに急速に近代国家として奇跡的な成長をとげ、さらにロシアとの戦いで、有史以来初めて有色人種が白人を打ち負かすことができた日本にとって、この思想教育は完璧なシステムであったのです。
 この思想教育は、決して戦争を美化したり、奨励するものではありません。「志を持つ人間になる」ように育てるものでした。
 幕末期から明治維新にかけて、歴史に登場する人物はみなそろって陽明学を学んでいました。吉田松陰、西郷隆盛など数えきれないほどです。(この陽明学は革命思想として危険視する人がいます。陽明学には、おおきく分けて2種類あります。また、朱子学を学んだあとに陽明学を学べば、危険思想にはならずに済みます。)
 しかし、その奇跡の日本を支えた思想教育が、戦後、マッカーサーによる日本人洗脳プラグラムによって、すべて破壊されてしまいました。戦後の教育は教育勅語もタブー、神道もタブー、修身という道徳教育もタブーになってしまったのです。
 かつて日本の首相が「日本は神の国である」と言ってマスコミから徹底的に叩かれました。そのニュースを見て、戦前に教育を受けた義理の母は「あら、日本は神の国よ、何が間違っているの」と不思議がっていました。日本は「八百ろずの神」が住む国なのです。これは「古事記」や「日本書紀」に書かれています。すべて、マッカーサーによる「日本人を、2度とアメリカに歯向かうことができない民族にしよう」という、日本人洗脳プラグラムの賜物です。
 政治家も「一億総ざんげして、近隣諸国に謝罪しながら生きていかなくてはいけないのだ」と戦後生まれの日本の子供達に洗脳してきました。このような政治家によって、戦後日本人は罪悪感を植えつけられてしまいました。日本人としての自身と誇りが持てなくなってしまいました。
 2002年ワールドカップサッカーで日本が勝ち進んだ時期、街を歩いていると、日本中が元気になった実感がしました。また、野球で日本代表がWBC世界一になったときも大興奮でした。
 ある国に生まれて、生まれ育った国に対して、誇りと自身が持てるような事柄が起きると、自然と感情が高ぶり興奮するものです。
 日本に生まれその生まれ育った日本に対して、誇りと自身が持てるように子供達を育てるのが本当の教育です。これはどこの国でも同じです。
 アメリカでは、町を歩けばそこら中に星条旗がはためいています。野球の試合を見に行けば、観衆全員が起立して国家を斉唱します。
 そして、戦争したことに罪悪感を持っているアメリカ人はほとんどいません。今行われているイラクやアフガニスタンでの戦争をはじめ、かつてのベトナム戦争、朝鮮戦争、そして日本とドイツとの戦争について、ベトナム人や朝鮮人、ドイツ人、日本人に対して罪の意識を持っていないのです。
 以前、ナチスドイツをコケおろすような映画をアメリカの映画館で見ました。その映画を見ているアメリカ人はみんな拍手し大笑いしていました。アメリカ人はヒトラーをはじめナチス党をいまでも憎んでいます。ただ、他のアメリカ人に聞いたら、今のドイツ国やドイツ人に対しての憎しみはないと言っていました。あくまで、ヒトラーとナチス党に対しての憎しみだけです。
 自分のおじいちゃん世代は、家族を日本に残し、戦争にとられました。赤ん坊や小さい子供を日本に残してきた人はたくさんいました。嫁が妊娠中に戦地に赴任し、生まれた我が子の顔を見る事なく散っていった人もいました。それに比べ、自分は、小さい子供と毎日一緒に暮らす事が出来ます。戦争にとられたおじいちゃん世代の人たちに比べ、なんて幸せなのだろうとしみじみ感じています。 
 学校で子供達に「あなた達のおじいちゃんは犯罪者である」ように教育する人がいます。これは教育とはいえません。こんなことを学校で教えられた子供は、日本人であることに罪の意識を植え付けられてしまいます。子供に罪の意識を植え付ける事が教育ではありません。子供に志を持つように育てていく事が、真の教育です。
 マッカーサー進駐軍は約7年間日本を占領しました。その間、日本人洗脳プログラムを徹底的に行いました。そして、7年後日本を去っていきました。しかし、戦後60年以上たった今でも、日本人はこの洗脳プログラムから抜けることができずにいるのです。
 これが、戦後の日本人が自分の国に誇りと自身が持てず、そして、自分の主体性に罪の意識が植え付けられてしまった原因です。その結果、日本人はおとなしくなってしまったのです。 
 右脳教育で知られる七田真氏は次のように述べられています。
「個性の芽を摘み取る、目立つ事は悪いと教える、悪平等を推し進めるなど、これらの指針は、すべては二度と戦争を起こさせないようにするものでした。日本人が再び戦争を起こすことがないよう、羊になる教育をGHQが画策したのです。戦後60年過ぎた今、これを乗り越える事が、今の日本に求められているのだという気がしてなりません。
日本人の能力や活力を骨抜きにするこれらの政策を乗り越えて、個性を生かし、思いやりの心をもって、人の為に役立つ教育を取り戻す事が必要です。」(七田真著「七田式「魂の教育」」講談社) 
 
 もう一つの理由は、親の子供に対する過保護です。危ない事は極力させず、温室の中の無菌室でぬくぬく育てられた子供は、必然的に、ハングリー精神や「俺が、俺が」と猪突猛進に生きる事をしなくなる。親の期待に答え、そこそこの生活をすることで満足してしまう。あえて、リスクを負って危険な賭けにでることをしなくなる。親からは常に「危ないから○○してはだめ」と言われ続けて育てられた。「○○したい」と、夢を語っても「地に足をつけていきなさい」と親に諭されて生きてきた。その結果、おとなしい人間になってしまったのです。
 親は、子供にがむしゃらに猪突猛進に生きる事を求めるのであれば、温室で無菌室の中で育てる事をするべきではありません。かわいい子には旅をさせる必要があるのです。時には子供を谷に突き落として、そこから這い上がってくるように要求する事も必要です。「親がなくとも子は育つ」のです。長い年月、言われ続けている言葉は、物事の真理を言い当てている事が多い。親の過保護、過干渉が子供の成長を阻害するのです。「過保護な親がいると子は育たない」のです。子供は親のペットでも所有物でもありません。一人の社会人をして、子供と接してあげるべきなのです。

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 夫婦で言い争う事は、子供の前ではなるべく控えたいものです。夫婦喧嘩は子供の情緒を不安定にします。夫婦は血のつながりがない他人です。しかし、子供にとってパパもママも大好きな肉親なのです。そのパパとママが言い争っていると、子供は悲しくなります。また、離婚に発展することを恐れています。なぜなら、子供にとって家庭は、生きて行く上での安全な場所であってほしいのです。それが、両親が争ってばかりいると、安全に生活する場所ではなくなってしまいます。子供の前では、言い争う事は極力控えた方がいいです。
  
 知人で義理の母親と同居していた人がいました。仕事から帰り、本来くつろぐ場所であるはずの彼の家は、ストレスだらけでした。2世帯住宅ではないため、生活空間は義理の母と常に一緒でした。
 彼は、マイホームの購入と時期を同じくして、嫁の母親との同居生活が始まりました。それまでは、彼の嫁の両親は健在であり老夫婦2人で生活していました。しかし、引越中に彼の嫁の父親が亡くなりました。そして、彼の嫁の母親はショックのあまり情緒不安定となりました。以前から記憶はあいまいでしたが、日常生活は誰の助けもかりずに老夫婦で生活していました。新居と彼の嫁の実家までは車で1時間ほどの距離でした。
 彼は、義理の母1人で生活する事は、嫁にとって心配であろうと思い、「しばらく」仮住まいとして住んでもらうことにしました。今後どうするかは落ち着いてから決めればいい、と彼は嫁に話しました。彼にとって「しばらく」とは、せいぜい2、3ヶ月のつもりだったのですが、その後4年間も義理の母との同居生活が続いたそうです。
 彼の新居はもともと2世帯で住む予定で購入したわけではなかった。もちろん、2世帯住宅用の設計でもなかった。始めの2年間、食事も一緒にとり、週末子供と出かけるときも、義理の母親を連れて行きました。車の運転は彼で、助手席には義理の母が座りました。
 だがこのような生活は、彼にとってとてもしんどかったのです。彼は、心の底から「もうこんな生活いやだ」という声を聞いたそうです。
 彼は、嫁に何度も改善を訴えましたが、「わたしの親の面倒が何故できないのだ」とか「我慢しなさい」と言って、母親を守ろうと必死に抵抗してきました。
 彼の職場の上司からの次のようなアドバイスを受けました。「一緒に生活をしているからといって、同じ食卓で食事をする必要はない。」また、「週末出かけるときも、一緒に行動する必要はない。」と。
彼の嫁は抵抗しましたが、何とか聞き入れてもらいました。
 その後も、たびたび義理の母のことで、夫婦喧嘩になりました。そのたびに彼の嫁は次のように言ってきたそうです。
「母親1人で食事をさせてかわいそうと思わないのか!」「あんたは地獄に落ちるよ」と。
 義母の1人暮らしは可愛そうと思い、「しばらくの間一緒に住んでもらえば」と提案したのは彼だったのですが。

 自分の周りに起きる事柄は、自分自身で解決できる事しか起こりません。人はこの地球上に何度も生まれ変わってきます。いわゆる輪廻転生です。この生まれ変わりを通して、魂の波動はあがっていくのです。
 まだ、その人の魂の波動があまり高くない時期に、その人が越えられないような事柄は起きないようになっています。何度も生まれ変わりを経験して、魂の波動が十分にあがった時期になって、その人が乗り越えられるような事柄が起きるのです。
 また、人は生まれてくる前に、今回の人生で起きる出来事をあらかじめ、ある程度決めてきます。おそらく、この出来事もあらかじめ自分自身の魂が決めてきた事なのです。(全く覚えていませんが。)
 でも、本当に学びのために、あるいはこの状況を何とか解決するためにこの出来事がおきたのでしょうか?彼の心の底から湧き上る声は「もうこんな生活いやだ」と言っています。それでも、我慢してこのような生活を続ける必要があるのでしょうか? 長い間、彼はこのような心の葛藤があったそうです。

 人が、人生で起きた出来事から学び解決するために、その時期にその出来事がおきるのではありません。その出来事からどのようなリアクションを返すかということをするために、今回の人生を生きているのです。もし、そうでなければ、我慢に我慢を重ね辛い人生を送らなければならない事になります。
 「自分の身の回りに起きた出来事は、今回の人生で乗り越えられるから起きたのだ。だから、我慢してその問題解決のために必死になって乗り越えなければならないのである。」という発想だと、辛く息苦しくなります。
 だけど、その出来事が起きたとき、どのようなリアクションを示すのかと言う事にフォーカスを当てると、心が軽くなります。その際、親や周りの反応を気にする必要はありません。自分に起きた辛い状況を回避しようとするべきです。
 また、積極的に逃げたほうがいいこともあります。親は、「逃げてはいけない」といいます。でも、その親も都合が悪い事が起きると逃げるのです。親が言う事を真に受ける必要はありません。
 身の回りに起きた出来事で、乗り越えられないような事が起きたら、我慢して乗り越えようとしてはいけません。どのようにリアクションをするかと考えるのです。積極的に逃げる事も時には重要なのです。
 このように考え方を改めると、夫婦で言い争う事は極端に減ります。そして、子供の情緒も安定します。家庭の中に嵐や吹雪が吹かなくなり、暖かいぽかぽか陽気の中で、子供が過ごす事が出来るようになります。

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 子供が学校から成績表を持ってきました。その評価が悪かったとき、がっくり肩を落として落ち込む親がいます。
 子供は、自分の成績を見て、一度落ち込んでいます。そして、親の落ち込んだ態度を見て、さらに落ち込むのです。親のそのような態度を見たとき、子供の潜在意識には、劣等感が植え付けられてしまいます。

 自分が小学校1,2年生のころ、英語教室に通いました。当時の月謝は決して安くはありませんでした。それでも、高い月謝を払って英語教室に通わせてくれました。
 あるとき、その教室で受けたミニテストを、おやじが見つけてしまいました。そのテストの結果は、100点満点中たったの5点だったのです。恥ずかしくて、親には見せていなかったのですが、おやじが見つけてしまいました。そして、そのテストを見たとき、おやじはがっくり肩を落として落ち込んでいました。このときの映像は、今でもはっきり思い出すことが出来ます。
 その教室は自宅からバスか自動車を使わないとちょっと遠かった。まだ、6,7歳くらいだったので、親が教室まで送り迎えしてくれました。ある日、教室に行く途中おやじがこんなことを言いました。
「英語教室つまらないようなら、もう行かなくていいぞ」
 このとき、「続けたい」とは言えませんでした。なぜなら、限られた収入の中でやりくりして高い月謝を払っていたのを、子供ながらに知っていたからです。
 自分の中では、英語教室に通うのは特にいやではありませんでした。小学校の帰りに友達と遊ぼうと誘われても、「今日は英語教室に行く日だから遊べない」、と断ったりしていました。親に「もう行きたくない」、というような事を言った記憶もありません。しかし、おやじから「英語教室つまらないようなら、もう行かなくていいぞ」と言われ、駅前までの送り迎えもなくなると、もう英語教室に通うことはなくなりました。
 おやじは、ミニテストの結果だけを見て「このまま続けても金の無駄遣いだ」と思ってしまったのです。
 その後、近所の友達が英語教室を続けて、英語がぺらぺらしゃべれるようになった話を聞き、母親が次のように言いました。
「あのまま、続けていればよかったのに、何でやめたのだろう。もったいない」
 おやじのがっくり落ち込んだ姿と、英語教室に行くのをやめさせた事が、自分に劣等感を与えてしまったのです。
 子供の成績を見て、一喜一憂してはいけません。それは、あくまでも途中経過であり、いいときもあれば、悪いときもあるのです。続けていれば、必ず成績が伸びる時がきます。それまで、圧力をかけず期待せず、ただ見守ってあげればいいのです。

ヒプノセラピー/潜在意識への扉
あなたについてる事が津波のように押し寄せますように






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