手紙が欲しい
陸軍薬剤中尉 有馬亮三郎の命 38歳
昭和20年7月10日ミンダナオ島にて戦死
「お父さんは只今、遠い暑いところで戦争をしています。
お母さんや順子に、通信して良いと許可が出た時は、嬉しくて4、5日ねれませんでした。
ここは暑くて、何にもないところです。
唯、椰子の木と美味しいバナナだけが生い茂る本渡町位の部落です。日本人は5、6人いました。島人は洋風化したおしゃれで、美しいが仲々気のよくない連中で、兵隊さんも用心しています。
皆んな、暑くて働かないから食物は肉も野菜も魚もありません。ですから、お父さん達は今から野菜も作り、魚も取り、家も住み良く改良し、道路も作って準備するわけです。
病気が多いけれど、お父さんも気をつけて元気にご奉公しますから、順子もお母さんの言う事をよく聞いて、親子仲良く健康に明るく生活してください。
そうすると、お父さんはどんな時でも元気が出ます。
お父さんは戦地でも、毎朝毎晩お母さんや順子が元気で幸福な様にと神仏にお祈りしています。
ここは慰安も、ラジオもない寂しいところですから、沢山お手紙を出してくれる様に皆んなに伝えて下さい。」
参考図書
「英霊の言乃葉」靖国神社