唯物論教育による精神的奇形児を生み出す憲法 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

 

 

唯物論教育を受けた、ある成績優秀の高校生が、弟を殺害した事件がありました。

 

少女の名はダイアナ。彼女の父親は慢性の胃潰瘍を患っていました。

 

いつも痛い痛いと言いながら、仕事に出かけて、夜帰宅すると、疲れたと言って、とても辛そうにしていました。

 

母親は、夫が病弱でいつ死ぬかわからなかったので、少しでも蓄えをしようと、働きに出て、夕方帰宅して夕飯の支度をするという多忙な日々を送っていました。

 

両親とも、辛い、疲れた、くたびれた、痛い、と言ってため息ばかりついていました。

 

唯物論の教育を受け、学校でも成績の良いダイアナは、両親のこのような状況をいつも見ていて、かわいそうでたまりませんでした。

 

ある時、”父母を救済しよう”、と考えました。

 

彼女は父親が健康な時に使っていた猟銃を取り出し、実弾を込めました。

 

これで”父母を救済しよう”と考えたのです。

 

彼女は父母が苦しんでいるのは、脳髄という組織が複雑に組織されているからだ。だから、その物質を銃殺によって破壊さえすれば、父母は苦しまなくてすむ、と考えたのです。

 

玄関にて帰りを待っていたら、弟が帰宅してきました。

ダイアナは、まず両親の前に弟を救済しようと、猟銃で射殺しました。

 

弟の遺体を毛布でくるみ隠しました。

次に母親が帰宅しました。

 

母親はいいました。

「さっき弟が帰ってきたはずだけど、どこにいるの?」

 

ダイアナは答えました。

「弟はいないよ」

 

母親は、そんなはずはない、さっき家の近くから弟が帰宅するのを見た、と言いました。

 

家の中を探すと、部屋の片隅に毛布が置いてあるのに気づきました。

 

その中を開けると血塗れになった弟の姿がありました。

全てを悟った母親の前に、ダイアナはひざまずき泣きました。

 

唯物論者が平気で残虐なことをするのは、物質としての人間は殺されてしまえば、それでそのひと自身は平和を得て救済されることになると考えるからです。

 

 

平成28年7月、相模原にある障害者施設にて19人を殺害する事件が起きました。

 

犯人は「重複障害者が生きていくのは不幸。不幸を減らすためやった」「障害者は不幸を作る」などと供述。

 

彼は、唯物論を学校で学んてきために、このような発想を持ってしまったのでしょう。

 

昭和34年(1959年)から、サリドマイドが入った薬を、つわり防止に妊婦が服用したために、腕が未発達の奇形児(サリドマイド児)が生まれてきました。

 

その製薬会社と、そのような薬剤を発売することを許可した厚生省(当時)の責任が問われました。

 

一方、終戦後、唯物論の学校教育を受けることで、精神的な奇形児(殺人事件を起こすような人)が生まれるようになりました。

 

その発生原因となっているのは、「学問の自由」(唯物論教育の自由)を規定している日本国憲法(占領憲法)であります。

 

このような憲法を、占領時に制定した当時の内閣閣僚及び国会議員は、19人殺人事件の被害者家族と、そのような精神的奇形児に教育させられてしまった両親に対して、賠償責任があるのではないでしょうか?

 

肉体的奇形児を生み出す物質的薬剤の害毒よりも、精神的奇形児を生み出し続けている、赤教育を放任している占領憲法(日本国憲法)の害毒は、

 

数百人の災害ではなく、国家を崩壊にまで導いてしまうほどの影響力があります。

 

「あなたたちは、両親の快楽の結果、副産物として生まれてきたのです。両親が快楽を満たすために、この辛く厳しい競争社会に生まれてきたのです。

 

したがって、あなたたちは被害者であり、両親を訴えても良いくらいなのです。」

 

などと、学校で教育している唯物論教師もいるそうです。

 

そのような赤教育を放任している、学問の自由を規定した占領基本法(日本国憲法)。

 

占領軍は、この憲法さえ日本に押し付けておけば、やがて日本民族は精神的及び生理的に敗退し、私利私欲を公(おおやけ)よりも優先させるだろう。

 

そして、内部闘争を次第に一層激化させて、ついに内部から自己崩壊するに違いない、と考えて憲法に仕組みました。

 

このような憲法は、占領者の定めた日本国崩壊法に過ぎないので、速やかに無効であると宣言して、明治憲法を復元した上で、現在の状況に合う形に補筆すれば大丈夫であります。

 

そうすれば、唯物論による学校教育によって、生み出されている精神的奇形児がいなくなり、凶悪な殺人事件も防止することができるでしょう。

 

(参考図書「国のいのち 人のいのち」、「いのちの革命」谷口雅春著 日本教文社)