独立を宣言する権利は、すべての国に与えられています。満州国にもです。 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

 

安永2年(1773年)12月、米国マサチューセッツ州ボストンで、イギリスの東インド会社が船で運んできた大量の紅茶を、愛国市民たち(自由の子供達)が不法投棄しました。(ボストン茶会事件)

 

当時の米国はイギリスの植民地であり、イギリスから輸入された紅茶に課税して植民地支配を維持しようとしました。

 

米国ボストンでは、税逃れのためオランダから紅茶を輸入していましたが、イギリスがそれを認めず、東インド会社に米国での販売独占権を与えました。

 

また、北米の植民地においてはイギリスから税金を徴収されながら、イギリス議会に議員を送ることが許されていませんでした。(代表なくして課税なし)。

 

安永3年(1774年)、イギリス議会で、イギリスの植民地であった北米に対する法律(耐え難き諸法)が制定しました。

 

この耐え難き諸法は、ボストン茶会事件をきっかけとして、植民地におけるイギリスの威信を取り戻すために制定された、米国に対する懲罰的な法律でした。

 

トーマス・ジェファーソン(独立後の第3代米国大統領)は、その耐え難き諸法に反対する決議書「イギリス領アメリカの権利に関する要約」を書き、北米の東海岸13州の代表が集まり、安永3年(1774年)に開催された大陸会議において公表されました。

 

この当時、米国が、イギリスから独立しようと考えていた人は、12人もいませんでした。

 

しかし、その2年後の安永5年(1776年)には、独立こそが米国13州の問題の唯一の解決策であると結論されました。

 

米国独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンは、次のように述べています。

 

「危険や破壊行為に対して、有事の備えができていないような国に対して、人は反乱を起こすものである。

 

したがって、権限を委譲されていた国の代表機関が倒壊すれば、権限は人民の手に戻り、人民は結集するか、代理を指名するか、適切と考えられる方法で、無制限にその権限を行使できる。

 

米国民がそうした状況に置かれ、大英帝国との関係を断ち切ることになっても、英国と決裂する権利やその有効性にあえて反対する者は誰もいない。」と。

 

米国の自由を築いた建国者たちが、横暴を極めたイギリスから分離独立する理由として定めた原則は、世界中で適用されるべきであります。

 

話を、昭和6年(1931年)中国東北部にある満州に変えます。

 

満州人民は、一度は北支那を支配していた軍閥の張作霖に満州地区の統治を委ねました。

 

しかし、張作霖は軍隊による圧力により人民を服従させ、高い税率の税金を徴収して、満州人民から搾取し続けていました。

 

張作霖が死亡した後、息子の張学良が後継者として満州を統治しましたが、昭和6年(1931年)9月、日本軍(関東軍)が満州国に進駐すると、あまり抵抗もせずに、北京に慌てて逃げて行きました。

(満州事変)

 

張学良から解放された満州人民たちは、自分たちの自由の権限を再び手にしました。

 

その自由の権限を再び他の軍閥に奪われないように、満州人民は最善の方法を考えました。

 

昭和7年2月18日、「党国政府と関係を脱離し東北省区は完全に独立せり」と、満洲の中国国民党政府からの分離独立が宣言されました。

 

その後、昭和7年(1934年)3月1日、満州民族である溥儀が皇帝として即位し、満洲国は帝政に移行しました。

 

昭和7年(1932年)3月にリットン調査団が、国際連盟から派遣され満州国に入りました。

 

そこで、3月から6月まで、多くの満州人民に対してインタビューがされました。

 

そして、その後、昭和7年9月に報告書がまとめられて、国際連盟に提出され、昭和8年(1933年)2月に国際連盟において総会が開催されました。

 

リットン報告書では「柳条湖事件における日本軍の活動は自衛とは認められず、また、満州国の独立も自発的とはいえない」と結論しました。

 

柳条湖事件とは、昭和6年(1931年)9月18日、日本軍が満州へ侵攻するきっかけとなった鉄道爆破事件です。

 

この柳条湖事件以前は、満州人民による独立の気配は全くなく、張学良軍閥政権からの分離を求める運動が起きたのは、その日の夜以降からだった、とリットンは報告しています。

 

しかし、独裁者である張学良を倒す企ては、それまであちこちで起きていましたが、いずれも残忍な手法により弾圧されて、全て押さえ込まれていました。

 

もし仮に、独立の気配がなかったという話が本当であったとしても、だからと言って、満州人民や政権内部の集団が、自らの安全が確保されると判断したその時に、独立を宣言する権利は奪わるものではありません。

 

ほとんどの独立革命の歴史がそれを証明しています。

 

(参考図書:「満州国建国は正当である」ジョージ・ブロンソン・レー著 PHP)