親孝行は自分の身も助ける 〜 渡辺崋山
渡辺登は、田原藩(愛知県東部)の藩士で、号を崋山と言いました。
小さい時から素直な人物で、よく父母の言いつけを守り、父母に心配をかけるようなことは少しもありませんでした。
14歳の頃、家が貧しい上に、父親が病気にかかってしまったので、暮らしは一層苦しくなりました。
崋山は、父の背中をさすったり、薬を飲ませたりして、懸命に父を看病しました。
また、看病の看病の合間には、母親の手伝いをしました。それだけではありません。
崋山は、「何か仕事をして、家の暮らしを助け、父母を安心させたいものだ」と、いつも考えていました。
崋山は、最初学者になろうと思って、学問を熱心に行っていましたが、ある時、親しい人に訪ねて、身の上相談をしたところ、
「君は学問が好きなようだから、学者になろうと思うことは良いことだが、それでは、今すぐ生活の助けにはならない。君は絵が上手だから、絵を描くことを稽古した方が良くないか」
と、親切に勧められました。崋山は、それを聞いて、「なるほど、そうだ」と思って、すぐにある師匠について絵を学び始めました。
父の病気は長引いて、20年ばかりも床についていました。時にはたいそう苦しんで、何日も食事ができないようなこともありました。
崋山は、その長い間、生活を助けながら、全く看病を怠けることなく、一心に父の病気が治ることを祈っていました。
しかし、その甲斐もなく、父は亡くなってしまいました。
崋山の悲しみは例えようもありませんでした。崋山は、父を慕うあまりに、泣きながら絵筆をとって父の顔形を写しました。
お葬式が済んだ後も、崋山は朝晩、着物を整えて、謹んで父の絵姿に礼拝をしました。
孝行は、親を安んずるより、大いなる話。
(参考図書:尋常書学校 4年生 「修身書」)