GHQ日本弱体化政策は、ソ連スパイのハーバート・ノーマンと野坂参三の洗脳工作に基づいていました | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

GHQ日本弱体化政策は、ソ連スパイのとの洗脳工作に基づいていました

 

 

 

 

 

カナダの外交官だったエドガートン・ハーバート・ノーマンは、「日本における兵士と農民」を1943年IPR(太平洋問題調査会)から出版しました。

 

この本が、GHQの日本弱体化政策のための参考にされました。

 

1945年9月にマッカーサーは、ハーバート・ノーマンをGHQに呼び、対敵諜報部調査分析課長として、日本の占領政策に協力させました。

 

このハーバート・ノーマンは、コミンテルンのスパイだったのです。

 

昭和21年(1946年)にGHQは、戦前の日本の政党の活動を禁止しましたが、日本共産党だけは活動禁止を受けませんでした。これは、ハーバート・ノーマンが助言したためです。

 

終戦まで、日本共産党は非合法な組織とされ、常に憲兵から目をつけられていましたが、そのような政党を戦後に唯一活動を許したのです。

 

1944年11月に、GHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官だった米国の外交官、ジョン・エマーソンは、米軍事視察団の戦時情報局(OWI)要員として中国の延安を訪問した際、中国共産党指導の元に、日本軍捕虜の思想改造に成功した話を聞きました。

 

野坂参三(延安では岡野進と称した)日本共産党元議長が、中国共産党軍(八路軍)の捕虜となった、日本軍人に対する思想改造に成功しました。

 

野坂参三は、戦時中に日本の憲兵隊から逃れるために、中国に潜伏していたのです。戦時中、日本の憲兵隊は、共産主義者を徹底的に検挙したので、日本共産党は壊滅状態でした。

 

この野坂参三と日本人民解放連盟が行った活動の経験と業績を参考にして、日本占領政策を行なっていくことにしました。

 

日本軍捕虜たちが、反軍国主義や反戦活動に喜んで参加するまで、洗脳工作に成功したので、野坂参三の成果は、GHQの占領政策に大いに生かされたのです。

 

マッカーサーは、野坂参三を中国から日本に呼び寄せ、戦時中に日本の憲兵隊に拘束されていた共産主義者を解放しました。

 

そして、WGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)が、野坂参三による日本軍捕虜に対する、思想改造の成果に基づいて作られました。

 

プレスコードを定めて言論統制をしたり、NHKラジオに「真相箱」という番組を作らせ、軍国主義者がいかに悪いことをしてきたかというプロパガンダを放送させました。

 

それは、軍国主義者と日本国民を区別し、軍国主義者への批判と日本国民への同情を兵士に呼びかける「二分法」によるプロパガンダ(宣伝)だったのです。

 

残虐非道を行なってきた軍国主義者と、大本営発表に騙された日本国民という2極対峙させ、鬼畜米英と日本との戦い、というそれまでの固定観念から、軍国主義者と日本国民との戦い、という固定観念にすり替えました。

 

日本共産党の野坂参三と中国共産党による日本軍人捕虜に対する思想改造の成功を参考にしたので、戦後のGHQによる日本弱体化占領政策が成功しました。

 

また、中国共産党は、戦時中の反戦日本兵への思想革命の成功を通じて、徐々に贖罪意識を強め、やがて日本人全体を精神的捕虜にする野心を持っています。

 

そのためのプロ集団を日本国内のいたるところに潜伏させています。中国共産党による洗脳工作、GHQによる洗脳工作、ソ連からの洗脳工作から身を守らなくてはなりません。