中国建国の真実 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

日華事変の後、日本軍(関東軍)と蒋介石軍との戦いは圧倒的に日本軍に優勢でしたが、日本の連合国に対する無条件降伏により、蒋介石国民党軍は棚ぼた勝利を勝ち取りました。

 

その棚ぼた勝利もつかの間、蒋介石国民党軍は毛沢東共産党軍(八路軍)と再び戦争状態となります。日本軍との戦争で、常に前線にて戦ってきた蒋介石国民党軍はかなり戦力を消耗していました。

 

それに対し毛沢東共産党軍(八路軍)は、ほとんど前線にて日本軍と対峙したことはなく、主に後方の補給路などに対して、便衣兵(民間人を装って、相手の油断のすきをついて武力攻撃をする軍人)としてゲリラ戦に終始していました。

 

また、国民党軍は抗日戦線においては米国から十分な軍事物資の援助を受けていたのですが、日本降伏後、米国から中国全権特使に任命されたマーシャル将軍は、米国からの軍事支援物資の実施を意図的に遅らせるなどして、米国からの援助が事実上なくなってしまいました。

 

その一方、共産党軍(八路軍)は、日本軍の武装解除により、ソ連軍が日本軍から奪った武器弾薬を横流しで受けとっていたので、国民党軍との戦力差は開いてしまいました。

さらに、中国残留日本人のうち、軍人や医師、看護師らがソ連軍により強制連行され、毛沢東共産党軍(八路軍)のために、軍事戦略や飛行機の操縦技術、医療など技術指導しました。

 

それまで、毛沢東共産党軍(八路軍)は、航空隊や戦車を持ったことがなく、全て日本軍の武装解除後、ソ連軍が日本軍(関東軍)から接収したものでした。

 

また、空軍を持ったことがないので、林弥一郎少佐以下の関東軍で第二航空隊第四錬成飛行部隊を送り込み、東北民主連軍航空学校を設立して航空部隊を養成しました。

 

また、共産党軍(八路軍)は、正規の砲兵隊がなかったので、日向勝を筆頭とした日本人教官の元で、砲兵学校を設立して養成しました。

医師や衛生兵や看護師など、戦争に必要な技術を持つ人は日本に帰国させず、国共内戦で勝利した後も長期にわたって徴用しました。

 

その結果、毛沢東共産党軍(八路軍)は航空隊や砲兵隊、医療班をもつ近代的軍隊となったので、蒋介石国民党軍に勝利することができ、中華人民共和国を建国することができました。

 

正規軍だった蒋介石国民党軍は、国共合作以前の時、共産匪賊という非合法のゲリラ部隊にすぎなかった毛沢東共産党軍(八路軍)を圧倒的に優位に戦いを進めていました。

 

しかし、蒋介石国民党軍は、常に前線で日本軍と戦ったため戦力を消耗し、一方、毛沢東共産党軍(八路軍)は、ソ連に連行された日本軍や医師からの技術指導と、日本軍(関東軍)から略奪した武器弾薬などのおかげで、正規軍である蒋介石国民党軍に勝利することができたのです。

 

これは、コミンテルンのシナリオ(資本主義国同士を戦わせ、消耗させ、敗戦後に共産革命を行う)に忠実に従った結果、勝ち取った勝利となります。

 

中国共産党は、このような経緯で建国することができたわけですが、いつの間にか、「抗日戦に勝利して建国した」と、全世界に宣伝しています。

 

このように宣伝(プロパガンダ)することで、戦後賠償の代わりとして、日本からのODAや円借款を受け取る口実にしているのでしょうか?