昭和13年(1938年)11月と12月に近衛内閣は「東亜新秩序」という考えを発表しました。
この東亜新秩序とは、抗日政策をとる国民党政府を叩き、日本と満州と中華民国の3国により共産国から防衛して、新しいブロック経済を作るという構想でした。
この構想について、尾崎秀実は「中央公論」昭和14年1月号に投稿しています。
これからの戦いの究極の目的を「東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり」と規定し、そのための戦いを「聖戦」と言い、
「一身を投げ打って国家の犠牲となった人々は絶対に何らかの代償を要求して尊い血を流したのではないと確信する。平和をもたらすために東亜新秩序の人柱となることは、この人々の望むところであるに違いない。」と言い切っています。
蒋介石国民党軍と戦いを継続する大義名分とするために、近衛内閣のブレーン達は「東亜新秩序」なる構想を作り、言論界や世論をリードしていきました。
一体、この東亜新秩序なる理想を、真面目に信じて戦って死んでいった人たちは、どれくらいいたのでしょうか?
実はそれは嘘で、本当の目的はコミンテルンのために共産革命を起こすための戦争だったんだと知ったら、あの世でどう思うでしょうか?