この宇宙には、目に見える世界と目に見えない世界があります。
目に見える世界とはあなたの顔の前に2つ付いている肉眼で見ることができる世界。
目に見えない世界とは、その肉眼を通して認識することができない世界です。
今の日本は物質的にはとても豊かです。世界中のものでも、簡単に手に入れることができます。飲食店でもミシュランの5星の評価をもらっている店がたくさんあります。
安全で、物が溢れていて、便利で、これほど豊かな時代を経験した時代は、2600年の歴史で初めてではないでしょうか?
しかし、目に見えない世界である精神世界はどうでしょうか?
毎年、自殺する人が後を絶ちません。その数は3万人と言われていますが、自殺認定を受けるには、遺書がないといけないので、実際の数字はその10倍とも言われています。
なぜ、目に見える世界では有史以来初めてと経験しているというほどの、豊かな世界を実現しているのに、目に見えない世界では、自殺するような人が増えてしまっているような、まずしい世界になってしまったのでしょうか?
目に見える世界と目に見えない世界は繋がっています。両方が豊かになって初めて、幸せな生活を送ることができます。
心も満たされ、体も満たされ、物心両面を豊かにしていくことが必要なのです。
しかし、戦後の日本は、物質面だけの豊かさを追求し、精神面の豊かさをないがしろにしてきました。
学校教育がその典型例です。
小学校に入ると、国語、算数、理科、社会、体育、図工、家庭科などと科目別に授業のカリキュラムが組まれ、それに沿ってそれぞれの科目を学びます。
そして、人によっては算数は得意だけども、国語が苦手とか、社会が得意だけども、理科が苦手とか、いう人がいます。
すると、苦手科目を平均点まで引き上げるようにと、指導されます。
大学まで行く人はかなり多いです。
高校へはほとんどの人が進学します。
このようなすべての科目を平均的に勉強して行く学校システムが戦後の教育システムでした。
このシステムは、いい部分もありますが、弊害も多いです。
中でも一番の弊害は道徳の授業です。
戦前の道徳といえば、「修身」と言って日本の偉人や、古典、神話の世界をたくさん学びました。
忠孝といったご先祖様を敬う、両親を敬う心を育んで行きました。
家族を大切にする心を育てる、という社会のシステムで一番の根幹をなす家族制度を大変重視しました。
3世代、4世代の大家族の中で生活するという経験を通して、おじいちゃんおばちゃん、ご先祖様を敬う心が自然と育まれて行きました。
サザエさんという漫画が国民的人気ですが、その理由は昔の日本の家庭を姿を表現しているからだと思います。
戦後の家庭はほとんどが核家族です。
日本国憲法にも個人の尊厳ということが強調されています。
その個人の尊厳ばかりを強調して行くと、どうなるかと思いますか?
一見、民主主義のいい部分かと思いがちですが、本当にそうでしょうか?
親から経済的に援助してもらって大学まで行かしてもらったのに、老後は親の面倒を見ないとか、親を殺す、兄弟を殺す、子供を殺すといった事件も決して珍しくありません。
このような個人の尊厳ばかりを強調して行くと、心は貧しくなって行きます。
ご先祖様、両親がいてくれたおかげで、あなたが今、ここに行きているのです。
その御恩をすっかり忘れてしまって、自分さえよければいいというような心が、目に見えない世界を貧しくして行くのです。
「忠孝」というような話をすると、封建的だ、とか時代錯誤だとか、軍国主義だ、右翼だ、という人がいます。
戦前の道徳教科書の「修身」には、このような忠孝をテーマにした物語がたくさん出てきます。
日本は、かつて、ロシアと清という超大国を相手に戦いました。
それまで鎖国政策により、近代的な軍事力や工業生産力など、数百年遅れていましたが、そのハンディキャップを見事に克服し、勝利しました。
人口もわずか3千万人という国力でです。
一方、当時のシナは6億人、ロシアは3億人の人口でした。
なぜ、このような奇跡的とも言える勝利を収めることができたのでしょうか?
「主権在民」という考え方があります。
国民主権と言ったりしますが、主権は国民一人一人にあり、国家というものは、国民の意思を反映して、設立運営される機関である、というものになります。
明治憲法にはこの主権という言葉はなく、日本国憲法になって、この言葉が取り入れられました。
あなたは、この国民主権を、いい考え方と思いますか?
個人単位だけで考えれば、都合のいい考え方かもしれません。
でも、国や民族単位で考えると、果たしてそうでしょうか?
ミツバチがいます。
はちみつを作ってくれるとてもありがたい昆虫です。
ミツバチの世界では嬢王蜂がいてその体は他のはちと比較しても巨大です。
蜂の世界では、その女王蜂を中心として、社会を構成しています。
そして、外敵から攻撃を受ければ、お尻についている針を相手に一刺しして、自分も死にます。
このようにして社会を守ろうとします。
日本はどうでしょう?
天皇を中心とした国体を形成しています。
そして、外から攻撃を受けたら、刀を使って相手と戦いました。
また、主君に対して、辱めを受けるような事態を招いてしまったら、刀を自らの腹に向けて刺し、死にます(切腹)。
このような天皇を中心とした社会を構成し、「武士道」といった精神世界を持っていました。
もし、ミツバチに女王蜂がいなくなってしまったらどうなるでしょうか?
もし、日本に天皇がいなくなってしまったらどうなるでしょうか?
おそらく、烏合の衆となり、バラバラに分裂して、外からあっという間に侵略を受け、日本という国は消滅してしまうでしょう。
明治の時代、超大国のロシアや清を相手に勝利を収めたかつての日本。
天皇を中心とした国体を有し、忠孝という目に見えない精神世界が、一般大衆の隅々にまで浸透していたために、そのようなありえないような勝利を収め、そして外からの侵略を防ぐことができたのです。
個人主義、自由主義、物質主義だけを追求するのではなく、徳を積み、ご先祖様を敬い尊ぶ精神世界を追求して行きたいです。
そうすれば、物質的豊かさと同様、世界が羨ましがるほどの精神的に豊かな国に変わっていくことでしょう。