あたなの肉眼で見えている世界は全てではありません。
五感のうちの目で見える世界は、一見するとこれが全てであり目で見えている世界しか無いと思いがちです。
しかし、それはたったの4%にすぎないようです。
残りの96%はあなたの顔に2つついている肉眼では見えないのです。
パーセンテージの根拠はよくわかりませんが、宇宙に存在する全ての物質は科学で解明されたと思われていたのが、たったの4%しか解明できていなかった、と言われています。
ですので、肉眼も一部分しか見えていないということでしょう。
私たちの体は神様によって設計され製造されました。
神様なんて信じないという無神論者の方は多いと思いますが、赤ちゃんを産んだことのある人ならわかると思います。
妊娠したと気づいたのはいつでしょうか?
受精した瞬間でしょうか?
たいていの人は妊娠して数週間後に体調の変化に気付き、もしかしてと検査した結果、妊娠したとわかります。
その間も、いろいろな臓器は形作られています。
また、妊娠したとわかった後も、今日は、心臓を作ろうとか足を作ろうとか目を作ろうとか、肺を作ろうなどと思ってお腹の中の赤ちゃんを作った人はいないはずです。
自然にお腹が大きくなって、いつの間にか人間の姿かたちに育っていきます。
これは神技です。
神様を信じない無神論者の方でも、人間の力ではとても作ることはできません。作り方を知っている人もこの世にいません。どんなに優秀な科学者でも、ノーベル賞を取るよ
うな人でも、医者でも、人間の作り方を知っている人はいません。
神様以外、作れないのです。
そして、人間は神様と似たように設計されています。
神様は完全体です。全知全能です。
その神様に似た姿形に設計された人間なのに、その肉眼は全てを見ることができないように設計されました。
一体何故でしょうか?
サッカーを見る人は多いです。
サッカーはどんなルールでしょうか?
手を使ってボールを触ってはいけません。
手を使ってゴールにボールを投げるとかすればいいのに、その便利な手を一切使ってはいけないことになっています。
これは人間が作ったルールです。
野球はどうでしょうか?
細いバットで小さなボールを打ち返します。
細いバットではなくテニスラケットのような広い面を使ったら、簡単にボールを打ち返すことができると思いますが、それはできません。
これも人間が作ったルールです。
その制限されたルールに従って、練習して技術を磨いて、試合という場でその磨いた技
術を披露します。
そして、その試合をたくさんの人が見て楽しみます。
これが制限されたルールがなく手を使ってもいいサッカーの試合とかテニスラケットのような広い面を持ったバットを使ってもいい野球とか、だったらどうでしょうか?
多くの人がその試合を楽しんで観戦するでしょうか?
制限されたルールがあり、そのルールに従って練習して技を磨くからこそ面白いのであって、わざわざ時間を割いてその試合を見るのです。そして、プレーする人もたくさんいるのです。
それと同じで、神様があなたの肉眼で見える世界に制限をしたからこそ、その制限された世界で真理を見つけようとし、魂を磨こうとするのではないでしょうか?
よくドラマや映画で、犯罪容疑者が取り調べを受けている部屋にマジックミラーがあります。そのマジックミラーは部屋の中から外は見ることできませんが、部屋の外から中の様子は見ることできます。
この肉眼で見えるほんの一部分の世界と、それ以外の世界の間にはマジックミラーがあり、肉眼で見える世界から外の世界は見えませんが、外の世界から肉眼で見える世界は丸見えとなっています。
外の世界には誰がいるのでしょうか?
魂たちがたくさんいます。ご先祖様だったり、亡くなった親戚や友人、飼っていたペットもいるかもしれません。
みんなあなたの事を見守っています。
あなたの成長を、あなたがこの世に生まれた時からずっと見守っているのです。
あなたは気づいてないかもしれません。
マジックミラーの外の世界は見えませんので、無理もありません。
そんなの信じられるか、肉眼で見える世界が全てであり、そんな肉眼で見えない魂のいる世界など、あるはずがない、という人がいるでしょう。
あなたは普通の人です。ご安心ください。
魂の世界が信じられる人はちょっとイっている人です。
でもこれは信じられると思います。
車を運転している時に窓を開けるとどうなるでしょう?
風の音がうるさくなり、後部座席に置いてあった紙やビニールなどが後ろに飛んでいったりするでしょう。
これはどういう現象でしょうか?
空気がありますけれど、高速で移動している車の中にいるあなたはその空気抵抗にあいます。窓を開けると空気の抵抗で摩擦の音が聞こえるからうるさくなるのです。
また空気が相対的に後ろに移動するので比較的軽い紙やビニールが後ろに飛んで行ったりします。
空気というのは肉眼で見ることできません。
でも存在しています。空っぽの気ではないのです。そこには物質があります。物質があるから抵抗を受けるのです。物が後ろに飛んでいくのです。
空気を触っても何も感じないかもしれませんが、「気を感じる」という言葉がありますように、何かがそこには存在しています。
これは神様を信じない無神論者の方でも、日常生活で経験していると思います。
あなたの肉眼で見える世界は全てではありません。
携帯でメールを送ると、瞬間的に相手の携帯端末にあなたが送ったメールの内容が受信されます。
目に見えない世界です。
電波に乗って情報が行き交っているのです。
ではなぜ、完全体である神さまに似せて設計された私たちの肉眼は、全て見えないのでしょうか?
可視光線という言葉があります。これは目で見えることができる光線の範囲を示しています。
ということは、目で見えない光線もあるということです。
例えば赤外線は機械を通して見ることできますが、肉眼で見ることできません。
トマトは赤色です。でも暗室の中で青色光線だけでトマトを見るとどんな色に見えるでしょうか?
肉眼で見て認識しているこの世界の色は、太陽光線を通して認識している色にすぎません。
台風一過の後に見る空が、とても鮮やかに見えたことはありませんか?
これは澄んだ空気を通して肉眼で認識した色が、鮮やかな景色として感じるからです。
五感の一つである肉眼で認識している世界は非常に制限された世界です。そして、空気や光線などの要素によって認識する色も変化します。
肉眼で見えない世界が存在します。そこには魂がいてあなたを見守っています。
人に見られてないからと行って、隠れてコソコソ何かをしたとしても、マジックミラーの外からは丸見えです。
人に見られているところで仕事や練習を一生懸命やれても、人に見られていないところでそれをやるには、とても自制心が必要です。
でも、マジックミラーの外でいつでも見られていると思うと、どうでしょうか?
あなたは、いつどんな時でも油断はできません。隠れてコソコソ悪いこともできません。逆に良いことをしても見られています。
人の見ていないところで徳を積むことを陰徳と言って尊ばれますが、肉眼では見えない世界からは丸見えです。
その意識を持って日常生活を過ごすと、徳積みが楽しくなるのではないでしょうか?