毎日毎日、100%目標を達成している人を想像してみてください。
今日も目標をすべて達成した。
また明日も目標を達成できるだろう。
この人は、非常に達成感や満足感に満ちた生活をしているとイメージできます。
モチベーションも容易に維持できています。
娘は毎日、七田のプリントをやらされています。
娘は、テレビを見たいときは必ず「テレビ見ていい?」と母親に聞きます。
すると母親は、「プリントやったの?プリントやってないのにテレビなんか見ちゃだめ。プリント3枚やったら10分だけテレビみていい」
という会話が毎日繰り返されています。
七田アカデミーの宿題プリントをやったら、ご褒美にテレビをみていい。
テレビを見たいのなら、その前に宿題というノルマを達成しなさい。
という、考え方で娘の母親(自分の嫁)は教育しています。
一見すると、あめを与える前にノルマを達成させる、という考え方は理にかなっていると思います。
しかし、潜在意識の世界からみると、必ずしも理にかなったやり方とは思えません。
テレビを見たいという動機がまずあります。
そのために、宿題のプリントをやらなければならない、のです。
「やらなければならない」です。
宿題のプリントをやらなければ、テレビが見れないのです。
だから、しかたなく、いやいや、やりたくもない宿題のプリントをやっているのです。
娘の目的は、テレビを見ることです。
娘にとって、宿題のプリントなんてどうでもいいのです。
はたして、こんな気持ちで宿題をやっていて、勉強が身に付くのでしょうか?
自分から自発的にやりたくてやる、という気持ちがないと、身に付かないのではないでしょうか?
ノルマをクリアする事は、達成感があり、満足感があります。
モチベーションも維持できます。
しかし、そのノルマというのが、人から押し付けられたノルマだとどうでしょうか?
娘が通っている保育園では、柔道教室があります。
5歳になると、保育園児は男女問わず、柔道を習います。
そして、先日県大会に出場しました。
結果は、負けてしまいましたが、娘本人は悔しくて仕方がなかったようです。
その後の保育園の柔道教室で、娘の取り組む姿勢はどうなったでしょうか?
容易にイメージできます。
もし、娘が「テレビみていい?」と母親に聞いたときに、母親が「テレビ見たいのなら、柔道の練習を15分しなさい。そしたら、テレビを10分みていい。」
と言っていたら、どうなっているでしょう。
娘にとって、テレビを見るためには柔道の練習をしなければならない。
柔道の練習は、テレビを見るためにしかたなく、いやいやるもの、というふうになっていたでしょう。
ノルマは自分で決めるもの。
そしてその自分で決めたノルマを達成して初めて、達成感や満足感が得られるものと思います。
ここで、また注意が必要です。
その自分でノルマを決めるというのはわかりましたが、ノルマの決め方がとんでもないと、問題が生じてしまいます。
たとえば、柔道で強くなるために、毎日腕立て1,000回やる、と自分でノルマを決めたとします。
初日はなんとかクリアできるかもしれません。
(自分はとても無理です。)
しかし、2日目はちょっとしんどくなり、700回でもういいや、となりました。
3日は筋肉痛で腕が動かなくなってしまいました。
それでも根性で100回腕立てやりました。
どうでしょう。
目標達成できたのは初日だけです。
2日目、3日目は目標達成出来ずに、達成感どころか、挫折感が感じられてしまいました。
モチベーションも下がってしまい、4日目はもう腕立てをやろうという気持ちになりませんでした。
これを、仮に、毎日腕立て100回ノルマと設定したとしましょう。
1日目は余裕です。物足りないくらいです。
2日目も余裕です。
3日目も筋肉痛になることもなく、余裕で100回クリアできました。
今回は、毎日目標達成することができ、達成感と満足感で充実した日々を過ごせました。
挫折感も味わうことなく、モチベーションも維持できています。
4日目以降も、引き続き達成感を味わい続けています。
あまりに無謀な目標を設定してしまうと、かえって逆効果となってしまいます。
目標設定は、自分の意思で決める。
目標設定は、毎日目をつぶっても簡単にできてしまうような気楽な設定にする。
これを守れば、潜在意識は「自分で決めた目標は達成できる」という情報としてインプットします。
娘がもし、「テレビを見るために」、ではなく自発的に「宿題プリントを毎日3枚やる」と決めることができれば、「自分で決めた目標は達成できる」という情報を、潜在意識に入れることができます。
そして、1度潜在意識に「自分で決めた目標は達成できる」という情報が入ってしまうと、その後の人生は簡単にイメージできてしまいます。
毎日、腕立て100回試してみますか?
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