シャボン家の和室に
旦那ブルの
お父さんとお母さんの仏壇があります。
そこにお供えをする
そこに手を合わせる
掃除する
それらの事をするシャボンですが
今、長男次郎が和室を自分の部屋のように使ってまして
シャボンは
和室に入る事が減りました。
お供えする事や
手を合わせる事や
掃除する事
それらは
シャボンの中で
『しないといけないこと』
だったように思います。
仏壇に手を合わせても
むしろ
仏壇を見たときは逆に
モヤモヤする感じが
ずっとありました。
でも
そのモヤモヤもまた
向き合うことなくスルーしまくってた。
神社の鳥居の夢を見
神社に行って色々思い
帰ってきて
はじめは
なんとなく、でした
モヤモヤ。
自分のモヤモヤを眺めるように
1つ1つ向き合ったのは。
シャボンは確か
23才で結婚し、24才で娘のひよりを産んでるんですね
普通なら
そこから育児、なわけでしょう?
しかし、です。
結婚した相手の両親は
その時点でシャボンから見ると
『お爺ちゃん、と、お婆ちゃん』でした。
確か
70才だったと思います。
そうなんですよね
ブルは両親が40才回ってから産まれた子供だったんです。
そして
加えて病弱でした。
育児だけでも初めてで
右も左も!の時
既に
介護にも足を突っ込んでいたんです。
かなり
泣きました。
育児も介護方面も
全てが分からないことばかりでした。
そして
シャボンは当時、車の免許を持ってなく
病弱であるお母さんの病院など
連れてく事も出来ませんでした
喘息などの発作で
小さいひよりを抱えて
お母さんの家に駆けつけると
「なにやってんの、遅いやないの!」
それは
シャボンの事を良いように思わない近所のオバサマたちが
今だ!くらいに寄ってきては言うのでした
子供を抱えての事。
それは
シャボンにしたら
辛くたまらない事ばかりでした。
お父さんが
ガンになり
入院の時期があり
半身不随のお母さん
ガンで入院で痩せ続けていくお父さん
泣きわめき
言うことを聞かない
小さいひより
そして
忘れてはいけない
自分のオカンの事
これらを
まだ20代の
世の中知りませ~~ん!の若いヤツが
走り回るのです。
そら
知りませ~~ん……
泣きもして当然です。
お母さんの近所のオバサマからは
刺さるほど冷たい視線
「あれもしてあげたの?
それは、こうするんやで、普通。
あーもうええわ
これだけ しといたるわ!」
もうね?
こんなときの関西弁ったら
ないですよ
きつく聞こえるったら
ありません
出来ない嫁
自分の中でそう思うのに
時間はかかりませんでした。
ごめんなさい
それは
お父さんが亡くなったときに思いました
私がもっと
色々してあげれたら
きっともっと
してほしかっただろうに
お父さんは私に
なにも言わなかった
言えなかったんだ
お母さんが亡くなったとき
ごめんなさい
本当は私らと一緒に暮らしたかったんよな
もっと一緒にブルとおりたかったんよな
ごめんなさい
「すぐ迎えに来るよ♪」
嘘をついてホームに入れてごめんなさい
施設にはいきたくなかったよな
本当に…
ごめんなさい…
それは
亡くなった後も
ずっと胸の奥の奥で
思っていたのでしょう
でもね
そうするしかなかった
そうする選択しか
知らなかった
そんな事ばっかりだったんですよ
当時の若い若いブルとシャボンは。
それは
『そうするしか選択を知らなかった』
と言う事で
思うことで
『自分を守っていた』のかもしれなく
それらの色々な感情を
その時
自ら蓋をしてしまった。
忘れよう
と、していたのだと思う。
ベッドで横になり
そのモヤモヤの1つ1つに向き合う。
それは
その当時の自分に会いにいく
そんな感じ。
上から。
監視カメラのような
そんな感じ。
あの頃の1つ1つの自分の行動を
上から。見る。
それだけ
のつもりだった。
続く