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ドイツ愛とオペラ愛と食い意地 随時更新


必ずしもメジャーな観光名所というわけではないのですが、訪れてみると心に強く残った場所というのもありました。

ベルリンのお話が続いてきたので、最後に、3カ所ほどそういう場所について書いて、しめくくりにしたいと思います。

monument

 

 

 
 ブランデンブルク門から南に数分歩くと、公園のような広い場所があります。起伏のある丘で、そこに、コンクリートの四角い箱がただただ無数に並んでいる場所です。「ヨーロッパの殺害されたユダヤ人たちに捧げる記念碑」ということで、かなりの議論や反対の末にこのデザインが選ばれてここに造られたことは知っていました。

しかし、そうしたことを知らなくても多分、ここを訪れた人は、それぞれ、この不思議な場所からさまざまな印象や思いを感じるのではないだろうかと、思うものがありました。

コンクリートの四角い箱は、全部同じ形ではなく、縦長や横長の、様々な形をしており、そこに木々の影が映って揺れている。それが見はるかす遠くまで並び、無数の人の集まりにも、ビルディング街にも見える。

高さ3メートルほどもあるような縦長の箱が立ち並ぶ道筋があり、それは、古いヨーロッパの街並みで見かける、入り組んだ細い街路のようにも見える。籠をさげたおばあさんが向こうから歩いて来そうな。

横に長い箱が整然と横たわっているあたりは、教会の地下に並んでいる棺の列にも似ている。

起伏ある細い道は、谷底のようにくぼんだり峠のように上がっていったり。そこを人が三々五々歩いたり、立ち止まったり、座りこんで話したりしている。

往来する人の姿は、柱と柱の間から唐突に現れては消える。その一瞬の横顔に不意を突かれます。

特に何かを表した像というわけではありませんが、この場所でひと時を過ごしていると、歴史とか、街とか、人とか、時間とか、そういう想念のようなものが脳裏をゆききする、そういう不思議な場所です。




library



これは、フンボルト大学法学部の建物前の広場にある、やはり一種の記念碑のようなもので、ブランデンブルク門からも歩ける距離にあります。この地下に、書庫のような空間がしつらえてあり、その天井の一部をガラスにしてあって、このように中を覗きこむことができます。もう夕方近く、柔らかくなった陽が、白い空っぽの棚に射し込んでいるところです。

ここは、1933年に、ナチスとその支持者によっていわゆる「焚書」が行われた場所で、この、本が一冊もない「書庫」は、そのことを伝えたものということです。その説明が書かれた金属のプレートも、近くに設置されています。



実は、30年前に来た時に撮った写真がもう一枚あって、その場所を探しながら歩いていました。
 

Berlin1985c

 


ブランデンブルク門とは違って、写っているこの建物がどこなのか、すぐにはわからなかったのですが、ウンターデンリンデンを博物館島に向かって歩いていると、その道沿いに、この特徴ある建物がありました。壁や柱も修復されて綺麗になっていましたが、同じ建物だということがわかりました。Neue Wache というところでした。
 

neueWache

 


30年前に来た時には、上の写真のような物々しい状態だったので、近寄ろうという気持ちも起きませんでしたが、ここは、一体何だったのか。

ここは、元々は衛兵所だったということですが、壁に設置された説明 (日本語あり)を読むと、それがのちに転用されて、「戦争およびあらゆる暴力的支配の犠牲になったすべての人々に向けられた祈りの場所」とされた、ということがわかります。それは東西統一前から(上の写真のような状態だったころから)ずっとそうだったようです。入口中央の壁には、そうした、あらゆる犠牲を悼む詩も掲げられています。
その場所の前で、威圧的な衛兵の行進が行われていたというのも、皮肉といえば皮肉です。

この建物の内部は、広くはなく、豪華な陳列物が並んでいるわけでもありませんが、とても印象的で静謐な空間で、一条の光が射す場所となっています。今回の旅の中でも、心に残った場所の一つです。



3か所ともブランデンブルク門から徒歩圏内にあります。見学料などはいずれも不要です。

どんな都市も、足元にはそれぞれの歴史が地層のように埋まっているのだと思いますが、ベルリンという街は、とりわけそのことを思わずにはいられない場所です。
前回の記事で、旧東ベルリン地区は歴史的な見学スポットを西よりもはるかにたくさん擁していたのだという感想を書きましたが、今では、さらにそれに加えて、より近く重い記憶にまつわる史跡や展示も重要な見どころとなっており、ある意味、「観光資源」としても独特の強みとなっているようです。

たとえば、「チェックポイントチャーリー」。

なんかかわいい名前ですが、ここは、分断時代に西ベルリンから東ベルリンに入ったことのある人にはきっと強い印象が残る場所。みんな、ここで厳しい検問を受けた上、5000円分ぐらいだったでしょうか、強制的に東ドイツマルクに通貨を両替させられました。東ドイツマルク紙幣にはマルクスの肖像がついていて、「貨幣」になっちゃってるマルクスの顔になんだか妙な気持ちがしたもんです。

しかも、当時の東ドイツは大変に物価が安く、物はおいしくなく、売っているものの質もそれなりで、金を払って購入したいものがなかなか無く 両替した東ドイツマルクも使いようがありません(←この時、通貨のもつ力関係というものを体感的に理解したような気がしました)。
そして、やむなく使い残ったマルクは、帰りにこの検問で没収されるのです。ぼったくりだ


しかしそんな切ない思い出のある「チェックポイントチャーリー」も、
今ではこんな有様。

cpc

 
うーん。。。すっかり観光名所と化して、記念撮影に応じてくれちゃったりしている。背景にしっかりマックがあるのがまた・・。

戦後の東西分断にまつわる壁博物館。シュタージ。大戦期のホロコーストにまつわるベルリン近郊のザクセンハウゼン強制収容所。そうしたところにも足を運んでみました。それぞれの展示内容や、なによりもその場所自体のもつ空気感から、思うことはいろいろありましたが、それとは別にちょっと感心したのは、こうした、負の記憶――そう言っていいのでしょうけど――それをドイツの人たちは大切にして、よく勉強してるのだなあ、ということでした。

子どもたちを引率して見学に来ている先生もあちこちで見かけました。

壁博物館で見学していたら、ぞろぞろと集団で入ってきて解説に聞き入っていた大柄な一団は、Marineとあったから海軍さんでしょうか。

ザクセンハウゼン強制収容所の展示を見ていたら、そこに真っ黒な制服を来た見学の一団が入ってきましたが、背中にPOLIZEIと書いてあって、これは警察官の人たちです。この人たちも柄が大きくて、集団で入ってくるといっぺんに場所がふさがります。
見学していたものがものだけに、真っ黒で大柄なPOLIZEIの一群に出口をふさがれるというのは結構、こわかった。でも、なかなか陽気で気さくな人たちでした(というふうに見えました)

見学の人たちが来ると、私も耳をダンボにして一緒に説明を聞かせてもらうわけですが(ドイツ語だからろくにわかりませんが)、聞いている人たちもいろいろ質問したり感想を言ったりして、熱心なものでした。


Arbeitmachtfrie

 

 

思えば、ベルリンの壁が崩壊したのはもう四半世紀も前のことですから、今はもう「一つのベルリン」という感覚のほうが普通なのかもしれません。でも、実はまだ私の中では、かつて自分が見た「西ベルリン」「東ベルリン」という別々の街のままでした。

今回、ベルリンを初めて「一つの街」として体験することができて、改めて思ったことは、この街は、東西合わせてはじめて、パリやベルリンと同じような、ヨーロッパ的な一つの都市なんだなあ、という、いってみれば当たりまえのようなことでした。30年前に見たあの西ベルリンは、まさに都市の半身にすぎなかったのです。

いや、半身というよりも。

今回歩いてみて改めて思ったのは、ベルリンを代表するような歴史的・文化的建造物、
たとえばペルガモンを代表とする博物館群、

eastmuseum

 
 
大学、

univesitat

 大聖堂、

Dom

 シュターツオーパー、

staatopar

                                (工事中)

文化の中枢の、その大半は東側にあったんやないか  ということです。西ベルリンにあったものといえば、動物園とか美しい大きな森とか・・・






確かにティアガルテンの森は美しい。

woods



でも、これを東京で例えてみれば、上野と明治神宮だけがかろうじて西側に残されていたようなもので・・・
あとのおおかたは東ベルリンが持って行ってたんですね。
なのにそれでいてあの東ベルリン時代の廃れよう・・

しかし! 統一をとりもどした上で、今まさしく生まれ変わりつつある
真ベルリンこれは、パリやロンドンに比肩するどころか優に超える、やっぱり物凄い都市なのではあるまいか! 
と 、ドイツ贔屓の私はついつい思うのでありました。

30年近く前に、一度ベルリンを訪れたことがあります。その時、「ブランデンブルク門」は、街の終わりの門でした。この封鎖された門を超えて反対側に行くためには、厳しい検問を通らねばならず、その門の両側、特に東側では厳戒が敷かれていて、東西に対照的な街の風景が広がっていました。

今回、東西統一後の初めてのドイツ訪問だったので、その後の様子を見ることができるのは、旅の楽しみのひとつでした。

宿を、前に泊まったのと同じZoo-gartenの近くにとったので、そこから、6月17日通りを通って、まずブランデンブルク門まで歩き、さらにそこから、ウンターデンリンデンを通って旧東ベルリンまで足を延ばしてみることにしました。

ツォー付近から門に至る大通り沿いには、動物園、戦勝記念塔や偉い人を顕彰する大きな像、美しいティアガルテンなどがあり、道草をしながら歩くと1時間前後かかります。これをてくてく歩いていくと、やがて遠くに、小さくブランデンブルク門が見えてきます。前に来たときは、そこがこの街の果てだったわけですが、今は人が普通に通り、「向こう側」につながっているのが遠くからでもわかる。

まず、そのことが感動的でした。


Berlin2014a 
  
一か月前には、ここで ここで、ワールドカップ決勝戦のパブリックビューイングがあり、またその後Weltmeisterの凱旋パレードがあったわけです  しみじみしながらそのあたりを歩いてみたり。

同じ位置から、前に来た時に撮った写真があります。画像がよくありませんが、手前に"Achtung"の立札があります。「注意! ここから先は西ベルリンじゃないですよ」という警告ですね。

brandenburgtor1 

この時から約30年の星霜ということです。ベルリンにも、私にもだ(笑)


反対(東)側からも。
Berlin2014b 
  

ここも、約30年前は柵で封鎖され、いろいろな国からやってきた見学客が門の向こう側を臨んでいました。こっち側にはさらに厳しい警戒が敷かれ、銃をもった警備の人がかなりの密度で立っていて、物凄い緊迫感があったものです。

  brandenburgtor2 
 

今はこちらも、カフェありカリーブルストの屋台あり、マックありスタバあり、ストリートパフォーマンスあり、親子連れありカップルありスケボありの平和でにぎやかな街の風景。こんな位置に腰かけて、遠くに門をながめながら、のんきに昼間からビールを飲めるなんて。
昔日の感とは本当にこのことです・・・。

currybrust
 

とある街で。

Schloß (城) というバス停で降りたら、目の前に立派な宮殿があったので、予定にはなかったけれど見学していくことにしました。

schloss2

 
宮殿の前には騎馬像が。
  schloss2
 
人がどんどん入口に向かっています。結構人気のあるスポットのようです。私も入ってみましょう。

しかし、なんとな~く雰囲気が違うような・・

schloss3 


入口を入ってみると、まず目に入るのは

starbacks 
  
スタバ。。



そして内部は、こういう展開となっております。

schloss4 
  
  schloss6 
 
・・・・びっくりした。なんと中は、ショッピングアーケードになっていました。土産物ショップですらない、普通の店ばかりです。入っていく人々は、旅行客・見学客ではなくて地元の買い物客なのでした。

一旦外に出て、城を二度見。

schloss1 
  
気を取り直して、あたりを探しなおすと、端っこのほうに「MUSEUM」という表示があって、そこを入ったところが展示区画になっています。受付の人は親切で、「城に見学に入ったら中がショッピングセンターだったので腰が抜けた」と言ったら笑ってました。入場料には音声ガイド(英語あり)も含まれていて、それで説明を聞くことができます。

面白かった説明は、ある絵の前でガイドのボタンを押すと、
「はい、そこから窓の外を見てください。像がたってますよね。その人がこの絵のモデルで、この城を発展させた人です」いう内容。

ここは、このあたりを根拠地としていた公家の居城になっていたところで、一度解体されたあと、わりと最近になって復元されたものだそうです。内部には、当時使われていた調度を、往時と同じ位置に配置して、様子を再現してあります。いちばん奥にはこんな玉座も。これらの調度品も、当時のものだということです。
 
 schloss7 
 
こんな、洋ゲーに出てくるみたいな玉座玉座した玉座、あまりみたことない。

すわってみたい・・・・。



 
ドイツのとある旧い街にて。
 
これも昔の話ですが、まだ「ソ連」と言っていたころ、2月のレニングラード(今のサンクトペテルブルグ)に行ったことがあります。当然、ものすごく寒く、道も雪や氷で覆われているわけです。そんな寒さの中でも、街頭に立って物を売っているひとがいます。何を売っているのかなと思って近寄ってみたら、それがなんと、
アイスクリーム なのです
それをまた買って、その場で食べている人もいます
信じられない光景でした。

そのことを思い出したのですが、ドイツの人もなかなかのアイスクリーム好きのようです。
街や駅構内ではアイスの宣伝が目につき

eis3 
  
アイスクリームショップも多く
eis1 
 
ケースには、色とりどりの、ややケバケバしいともいえるいろんなアイスが並んでいます。
  
eis2 

もう8月下旬、ドイツは肌寒さを感じる季節でしたが、
子どもだけでなく、大人たちも、御髪のあたりが肌寒くなってきた中高年のおじさんたちまでが、輪になってしゃべりながら、あるい1人で、街頭でアイスを無邪気にぱくついている光景というのは、なかなかほほえましいものがありました。

フランクフルトで。(というか、ドイツのいたるところで)
ドイツで、「ずりずり靴下」といえば、思い出すのはミュラー@バイエルンミュンヘンのあれ(笑)ですが、とある街角で、とても懐かしいものを見かけました。

Strümpfe

 アップ

Strümpfe2

こんな感じで定着していたんですねえ。
ドイツのJKという感じの5~6人グループでしたが、集団で履いて闊歩しているわけではなくて、ルーズソックスはこの子ひとりだけでした。しかも黒。なかなかおしゃれでいい感じでしたよ。

ミュンスターにて。
 
少し箸休めを・・

街角のパフォーマーの皆さんが素敵でした。
クラシック系が多いようです。

ストパ1 
ストパ2 


そして圧巻だったのはこの方々

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バイオリン、2アコーディオン、チューバ、バラライカの5人で
曲はバッハやビバルディ。
背後の博物館の中にまで、音色が美しく響きわたっていました。

ケルン、ローマ・ゲルマン博物館前にて。
  行ったことある世界遺産 ブログネタ:行ったことある世界遺産 参加中

ドイツ近代の産業史にもちょびっとだけ触れていこうと思い、途中エッセンにも寄り道して来ました。
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「クルップコンツェルン」。昔、世界史の授業に出てきたドイツ近代の鉄鋼大財閥の名前は、私の記憶にも残っています。見てきたのは、その大財閥の財の源となった大炭鉱「ツォルフェライン炭鉱群跡」(世界遺産)、それとその財力で贅をつくしたクルップ一族の邸宅「ヴィラ・フューゲル」です。
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炭鉱群跡は、エッセンHbh(中央駅)から地下鉄に乗って20分ほど、駅を降りるとすぐ目の前です。

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ここは、何しろ面積広大で、そしてガイドツアーに参加する時間が(諸般の事情のおかげで )無くなってしまったので、博物館部分を見学し、屋上まで登って展望するのみ。
ここのシンボルとなっている正面タワーや鉄骨柱群がかもしだす無機質でリズミカルな感じに「綺麗なもんだなあ」とか思いつつ、しかし、技術方面にも、またモダン建築についても全然造詣が深くない私には、正直、「豚に真珠」の感じは否めませんでした やっぱりガイドも聞きたかったなあ。

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「ヴィラ・フューゲル」のほうは、エッセンHbhからみると炭鉱とは反対の方角にあります。こちらも最寄駅から歩いて数分で行けるところなのですが、実は説明によると、今年の6月にこの一帯は大変な暴風雨被害に見舞われたということで、敷地内は大荒れ。庭園のかなりの部分はまだ立ち入り禁止が続いており、邸宅自体も修復工事でシートに覆われた状態でした。

建物内部の見学は可能で、まずは翼廊のようなところから入ると、白亜の瀟洒な佇まいの室内が広がります。窓の外に広がる広大な緑が白い柱や壁に映えて、夢のように素敵です。

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しかし、私はこれをみてちょっと内心思った。「クルップコンツェルン」ってどんなのかと思っていたけど、この程度なら意外と、日本の明治の大財閥、たとえば「龍馬伝」に出てきた岩崎弥太郎みたいな、そういう財閥も負けてないかもしれない・・・・。

ところがどっこい 

その部分をいったん出て、隣にある本館のようなところに入って驚いた。 

こ、これはまるで城 
王侯貴族のそれとは違う、木質の、ものすごく質実剛健な感じのする、しかし大変に広く贅を極めた建築物です。 

Huegel3

 
  

huegel2

これは本館の2階の一角にある、執務室。この重量感。いやはや本当に豪華なものでした。

今回のドイツ旅行で、意外だったこともあります。

ドイツというと、なんとなく「几帳面」「プンクトリッヒ」なイメージがあったので、交通機関もきっと時刻表通りに正確に運行しているのだろう、という先入観がありました。

実際は、かなり違った。

昨日、列車遅延を知らせる掲示板を紹介しましたが、実際、列車の遅れというのはかなり頻繁にあるようです。今回利用した主な駅は、ベルリン、ミュンスター、ドルトムント、ケルン、エッセン、フランクフルトなどですが、そのすべての駅で、列車の遅延、番線変更、もしくはその両方が発生しているのを見かけました。

「Verspätung ca.30」などという表示を、「うわ~気の毒ぅ~」と他人事のように見た翌日、自分が乗る列車がこの始末
           ↓

spet50

 
ご、50分。 ・・・・・

そんなにあっさり言ってくれるなよ~~と思いますが、周りの人も例によって、慌てず騒がず大人の対応をしています。

これとは別の日にも、乗りたかった列車が15分遅延したために乗り継ぎ計画が狂った上、その代替に考えていた列車の、今度は発着番線が変わっていて乗り損ない、ついに代替経路も尽きて、結局、目的地までタクシーで大枚を使う羽目になったりしました。

もちろん鉄道側の原因だけでなく、こっちも日程が進むにつれて疲れや油断が出てくるから、昨日書いたような大ポカをすることもあって、なかなか当初のもくろみ通りには進みません。

そんなこんなの失敗から悟った、鉄道旅行の心構えは
 ・思い通りにならなかったからと言って凹まない。完全に計画どおり行ったらそれは奇跡。70%達成できたら花丸だ
 ・これが最終、という経路はとらない。せめてそれより一つ早い経路で移動するのが吉
 ・捨てるものの優先順位を考える。いろんなものにこだわって、一番見たかったものを見られなかったらあとあとまで悔いが残るから、どちらかといえばあきらめよく判断していって、肝心なものだけは絶対に落とさない

といったところでしょうか。

あと、昨日紹介したDBahnのサイトでは座席予約もでき、私も1つだけ予約を押さえて行きましたが、基本的には座席予約は不要だと思いました
2等でもたいてい座るところはあるし、なにより遅延で予定が狂うことが多いですから、予約したって逆にそれに縛られるだけのような気がします。(私は予約の方を放棄しました)