【売る難しさ、それって正解だと思う】

#営業
#セールス

してて難しいなと感じてるならば
ある意味それは、正解だと思っている。

 



人にモノを販売する行為は、
恋愛でいうと告白するのと
同じ
こと。


告白って簡単だよね〜
へっちゃらだよね〜



そんな風に思ってしまうのだとしたら
それは、

相手を軽くみていたり、
大切にしていなかったり、
振られないように考えている

からじゃないかな。

 


世の中にはね、
いるんだよ、
セールス得意なコントロールマンって。

これは事実。
売るのが得意って思ってる人ほど
やりがちなことだと思う。

 

 

ちなみにね、こういうことを書くと、

それって私ですか?

っていう声が聞かれる。

大体は違うけど、違うかどうかは

自分のセールスを客観的にフィードバックを受けるか、

自分で正解を見つけるかしかないから、

ここでは、言い切れないかな。


売ることが得意で

コントロール的なセールスを

する手法は、世の中では多いし、

それを不正解だとは言わないけど、
私自身は推奨してない。

 



売ることを難しいと思っているなら
まずは、何に対して難しいか書き出してみたら良いと思う。

漠然としている難しさが
具体的になって

具体的になったことは
課題となって、克服の道、
見えるからね^^

 

 

 

ファイト!

 

 

 

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結果ばかり追い求めてしまって、結果が出ていることを⭕️とするのは、なぜだろう?

 

 

目標があるのは良いことだけど、

目標と結果をセットで考えて、

 

結果が出ているのは⭕️

結果が出てないのは❌

 

こういう風に考えるパターンの人が

一定数いるなーと思う。

 

その思考は、どうして生まれたのだろうか・・?

 

 

「結果」と検索してみると、

こんなことが書いてあった。

 

・ある物事・行為から生じた状態(になること)

・植物が実を結ぶこと。その結んだ実。結実。

(Googleより)

 

プロセスを辿っていった「状態」に過ぎないはず。

ということがよくわかる。

 

 

ちょっと事例がてらに自分の小話をいうと。。

 

幼少期から習い事を結構本格的にやっていて、

そこで、指導者や親から言われていたのは、

 

「結果が出なければ意味がない」

「頑張っても、結果が出てない」

「頑張ったとは言わない」

 

個人的には小学校低学年から大人になるまで、

言われ続けてきた。

 

 

その事例から考えてみると、

要するに結果が出なかったと認識された時、

頑張ったことも意味がない

頑張るということは、日々の練習やプロセスであり、日常であるが、それすら意味なかったと言われる

生きていることすら意味がないと否定された気持ち

 

 

になってしまっていたのではないか、

と仮説を立てた。

 

しかも今となってわかることは、

「結果」というのものを図る基準が

かなり曖昧だったことも問題だった。

 

曖昧だったとは・・↓

・目標は大きすぎる(全国大会のような基準)

・小さな目標は曖昧に設定されている

・練習方法は、流行り廃りで方針が変わるから身を結んでいるかわからない

・どうして方針が変わったか理解できてない(大体、指導者の研修の後に、思いつきのように変わる)

 

 

このような事例は大小あるとは思うが、

多かれ少なかれ、経験している人が

多いように思う。

 

 

誰しも承認欲求があるし、

特に甘えたい願望がある幼少期に、

 

 

頑張ってきたことを認められず、

むしろ、「結果が出てないことは意味がない」と

とインプットされてしまった場合は、

 

 

なおさら

「結果」ばかり追い求めてしまうのではないだろうか。

 

 

誰かの「承認」により、

自分が生きていることを感じたいが故。無意識に。

 

 

時代もまた、

「結果」という目にみえるものの方がわかりやすかったということも影響していると思う。

 

結果を追うことが悪いというのでなく、

 

結果が出てないことを❌として

結果が出ていることを⭕️とすることで

苦しくなってしまうのであれば、別の考え方にするのも

一つではないかな・・と思った。

 

 

結果というのは、一つの状態であり、

その人本来を測るものではない。

プロセスを辿ってきた、その状態のことを言うだけである。

 

 

そう考えた時に、

プロセスにおいて、自分の価値観を一緒にセットできるかは、

その人の人生の「幸せ」に通ずるのではないだろうか。

 

仮説に過ぎない^^

 

 

結果が仮に出なくても、

〇〇ができたら良いよね!

といったものがプロセスに

組み込まれていると・・・想像したらどうだろうか照れ

 

 

では、また^^

 

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ブログを再開し始めたので、アウトプットに慣れるために、個人的な話も書き出していこうかなと。

 

インスタにも投稿したんだけど

畑始めて。

 

畑始めたいな〜ってふと思ったのが、

昨年の9月頃。

 

そこから、やっと始められたのが

4月。

ずいぶんかかったけど、理由は、

寒かったから。ただそれだけ。

 

とにかく寒いのが苦手だから、暖かくなるのを待って、

畑借りたいって、親戚にお願いして、畑を開始できた。

 

直接の知り合いや、職場の人は、

私と畑がイコールにならないほどに、

普段は仕事人間で。

 

PCが友達か?というほど

PCの前にずっといる。

 

で、どうして、畑やりたいなーって思ったかを

今日は書こうと思う。

 

昨年の9月頃、体調を崩した。

 

簡単にいうと、

「適応障害」とやらを診断されて、

ちょっと、参ってしまった時期が

あったんだよね。

 

 

詳細なことは書けないけど、

要するに、変わりゆくことや、

情報操作されている状況に混乱が

生じて、解決しきれなくなって、混乱

した結果。

 

 

これには、結構参ってしまって、

色々エゴばかりが湧いてきた、そんな時期

だった。

 

 

「せっかくここまで積み上げてきたのに」

「子育てとの両立のために、犠牲にしてきたことあったのに」

「こんなんで仕事が終わるなんて」

「このまま働けなくなったらどうしよう」

「(20代の時もやっていて、超迷惑かけたことがあるから)また、迷惑かけてしまったらどうしよう」

 

そういう、あれこれが、とにかくグルグル渦巻いて、

しんどかったんだよね。

 

 

 

その時に、色々、適応障害について

理解をしていき、自分とどうやって付き合って

いくのが良いのかなと向き合っていた時に、

 

食生活、私生活とのバランスが

私の心身の健康のバロメーターになるなーと

気がついた。

 

(まぁみんなそうだとは思うのだけど・・)

 

ふと、美味しくて安全な安心できる野菜を

食べたいときに食べられたらいいな〜

 

という漠然とした望みハイハイ

 

 

人の望みを叶えるため、貢献するために、

できること全てを振り絞り、

走り回る人生だったので、

 

ふとした自分の望みくらい

叶えてあげても良いよねと泣くうさぎ

畑を始めることにしたんだよね。

 

 

image

 

image

 

 

 

この「畑をやりたい」って、

エゴからしたら、「超生産性なくない?」

的なことも出てくる、めちゃくちゃ

面倒やことでもあって。

 

 

エゴともお話しし続けながら、

暖かくなるのを待って、

今の時期に、やっとこ始められたという

 

本当に、漠然とした「やってみたい」を

一つ叶えてあげるという、

 

私の中では、とても重要な体験うさぎのぬいぐるみ

 

こんな感じだけど、一歩ずつ、

自分の望みを叶えてあげよう〜って思っている花

 

 

 

では、また^^

 

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