コリオレイナス@Globe thatre | 日々是好日

シェークスピア劇で知られるGlobe thatreでただ今開催中のGlobe to Globe 37 Languages 37 playsの日本語版上演 コリオレイナス(地点)を観て来ました。


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Globe theatre、tate modernの隣にあって、なにげに気にはなっていたし、大昔、通学中に車窓から東京グローブ座(今、ジャニーズの傘下なのですね)も、なにげに気になってはいたのですが、全く訪れる機会がありませんでした。その劇場構造自体を見られるのも楽しみ。(ちなみに、天井無な上に、アリーナ部分は立ち見でしたが、PROMSで立ち見は懲りているので、今回は桟敷席を購入しました。いきなり、余談ですが、上演中、立ち見ゾーンで貧血で倒れる人とかいたので、やはり敬遠したい気持ちが高まりました。


さて、コリオレイナス。数年前に、バービカンで蜷川版を見たのが初めての出会い。その時は、その大仰な舞台設備とか、豪華な俳優陣(コリオレイナスは唐沢寿明でした)、特に白石加代子氏のモンスターっぷりが圧巻で衝撃的だったとかを今でも懐かしく思い出します。


でも、先日観た、野田秀樹氏のThe Beeの小劇場っぷりも良かったし、今回の地点による舞台もシンプル、ミニマムな予感がして、期待度が高まります。休憩挟んで2時間20分1本勝負、いざ。


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                    ※青空天井&立ち見ゾーンアリです。

、、、と、結論から先に言うと、(演劇についてほとんど知らない僕の乱暴な感想で恐縮ですが)

全く、自分には合いませんでした。


冒頭。まるで、”たま”の”さよなら人類”のような、ラッパだかピアニカだかの音を背に5人ばかりの役者が登場。残念ながら、僕は、いきなり掴まれ、、、ませんでした。


その後、橋田須賀子バリの長セリフを見せつけられるのですが、現代日本語でしゃべっているのに、全然、ついていけません。驚いたのは、壁面にある電光掲示板の英語訳が、逐語訳ではなく、そのシーンの状況説明だったということ。”こんなの初めて”な僕でしたが、演劇の世界ではよくあることなのでしょうか。蜷川版でも、歌舞伎でも、細かく訳されていて、時には英語字幕を見た方が分かり易かったりしたのに。今回は、「母親がコリオレイナスを説得しています」とかずっと表示されていたりして、そんな英文だけ見せられて、訳のわからない抑揚の大きなセリフのやりとりを見せつけられて、原住民はどう感じたのでしょう。


「いつか掴まれる時が来るかもしれない」、と粘って見るものの、だんだんと、「もぅ波は来ない気がする」という気分が濃くなって、なんだか体調も不調ぎみになりつつ、それでも最後に何かが変わるかもしれないという薄い期待を胸に、板張り(大家さんに、クッションとか要るよ、グローブ座は、って言われてました)の椅子でじっと堪えていました。結局、僕に向けての波は最後まで来なかったのですが。。。


それにしても、なんだか不可解です。僕の観る力が足りなかったせいも大きいと思うのですが。

コリオレイナスで描かれるであろう、”衆愚”についてとか、”母親とのマザコンな空気”とか、コリオレイナス自身のプライドの高さと並行するブレみたいな悲劇部分とか、そういうのが全然読み取れませんでした。


コリオレイナス自身が、なんだか、饒舌で、調子が良くて、お調子者で、ピエロのようで、短気なヒステリーに見えました。そんな男に、悲劇だとか、マザコンでローマを許してしまう部分とか、全然沸いてこないので、観る方としても、共感とか思いやるとか、わが身を振り返るとか、そんな展開が、全然無かったです。


後半戦は、もぅ俯瞰の境地だったのですが、遠くから眺めれば眺めるほど、なんだか日本人が欧州人に持たれがちな、”幼さ”みたいなのが、浮き上がってきて、寒気がしました。


いやいや、観客は、ところどころで笑いが起きていたので、英語を母国語とする人々も多くが付いてきていたのかもしれません。でも、芝居に時々盛り込まれがちな、ストーリーとは関係ない、滑稽な動作とかジョークのような擬音的セリフとか部分で笑いが起きること自体、なんだか切なくもありました。


そういえば、日本人観客も結構多かったです。幕間に前列のおばさま3人連れが、

「これ、喜劇?悲劇?なに?」とか

「やっぱりねぇ~(登場人物の)名前が覚えられないから、話についていけないわ」とか

「もぅ、ビール飲まなきゃ観てらんないわ」とか

「日本語版といっても、集中しないと分からないわね」とか

言いたい放題なのが、むしろウケました。

、、、う~ん、なんだか、(良いとか悪いとかではなくて)僕には、よく分かりませんでした。


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蜷川版を観た余韻が、芝居というよりは、規模が大きすぎて、もう別世界ものだな、とか思ったりもしたのですが、今思えば、ストーリー自体よく盛り込まれていたし、それに加えて蜷川氏の解釈というかアイデアも練り込まれていて、随分リッチなものだったのだな、と思います。

野田氏のThe Beeだって、かなりシンプルな役者、小さい劇場だったにも関わらず、文化の違う人が観ても、なんだか巻き込まれる感がありました。

いつでも、なんでも、そういう刺激を求めてしまうのが贅沢なのかもしれません。数日したら、いろんなレビューが出てきて、僕の気付かなかった発見が沢山でてくるかもしれません。


でも、直後の余韻としては、なんだか僕には合いませんでした。う~ん。