(ブログネタ)いじめがでたクラスの担任は減給というワタミ会長の提案どう思う?
ブログネタ:いじめがでたクラスの担任は減給というワタミ会長の提案どう思う? 参加中
何かをしたら罰を与える・・・という発想は好きじゃない。
というより、申し訳ないケド、経営者の発想としてはあまりにも貧困な考え方だと思うのは自分だけじゃないと思うんだけど、どうかな?
結局、そういう罰則があるからこそ、その罰則から逃れるために「隠ぺい」ということが行われてる可能性があるわけだから、そういった風潮をさらに助長してしまうようにも思うんだよね。
昔はPCや携帯電話とかそういうものがなかったから、いじめも表立ったものがほとんどだったけれど、今はメールやSNS、BBSなどでのいじめもあるようだから、クラス担任だけでどうこうできるような問題ではなくなってるように思う。
学校という1つの組織で、どうあるべきか、どう対処すべきか・・・ということを明確にして、教職員の意識を相応のレベルにしておくことの方が遥かに重要じゃないかな。
いろいろな問題が起きるたびに、学校や教職員の意識が一般世間と乖離しているように感じるだけに、本気で改革すべき・・・となれば、まずは教育委員会の在り方や教育制度、学校組織の在り方、教員の育成方法など、現状の体制を見直さないといけないのでは?
そうしない限り、あまり効果がないような気がするな。
『成るものは』
個人レベルで言うならば、「分からないものは分からないとハッキリ言う」のようなニュアンスになるのかな?
よくありがちな話で、会話の中で「そうですよね」の一言で済むところを、「自分もそう思っていた」とか、「ちょうど同じことを考えていた」と言う人がいる。
傍から見ると、誤魔化しているようにしか見えず、宿題をやりなさいと言われた子供が、「今やろうと思ってた」というのと同じようなレベルなのかな・・・と(苦笑)
誤魔化している理由は本人のみぞ知る・・・だけど、ほとんどの場合が自分を大きく(よく)見せたいのかな?と思っていて、場合によっては、それが不誠実さという印象を与えかねないように思う。
採用の仕事をしていた頃、面接でこのような表現を使う人を何度も見てきたけれど、こういう人には安心して仕事を任せられないし、それ以上に、顧客対応で不誠実さがあってはならないので、不採用とせざるを得なかった。
松下幸之助さんが、「ムリもいらない。思案もいらない。策もいらない。ただ素直な精進が大事なのである。」とおっしゃっているように、分からないものは分からないと素直に意志表示をし、教えを乞い、自ら努力するって大切なこと。
そして、その繰り返しが成長につながるための最短経路になる気がするな。
(ブログネタ)夏でも鍋、あり?なし?
ブログネタ:夏でも鍋、あり?なし? 参加中
私はあり 派!
わが家では、年中、おでんが食卓に登場する。
手軽にできること、野菜をきちんと摂れること、子供も一緒に食べれること、そして、1~2日は食事の準備がラクになる・・・というメリットがあるからね(笑)
最近はコンビニでも、夏におでんの販売がスタートすることも珍しくなく、数日前、近くのコンビニでも「おでん始めました」みたいな貼り紙がしてあったような・・・。
(ブログネタ)道に迷ったら、人に聞く?自力でどうにかする?
ブログネタ:道に迷ったら、人に聞く?自力でどうにかする? 参加中
私は人に聞く派!
行動パターンによりけり・・・なんだけど、自分だけで行動してる時は聞くことはないんだけど、自分以外に人と行動してる時は聞くことがほとんどかな。
自分だけ・・・だと、多少道をそれてしまっても、「ま、いいか」と思うし、時には思わぬ発見もあったり・・・だから、それほど気にしないんだけど、他の人と・・・なると、そういうわけにもいかないからね。
人に聞く時って、人に道に迷った周辺の地理に詳しい人かどうか・・・を判断しつつ、声をかけてるんだけど、もしいれば・・・の話になるけど、荷物が少ない状態でベビーカーを押してる人か、軽装で子供と歩いてる人がいたら、まずその人に聞くかな。
ベビーカーだけで遠出する人はいないだろうし、もし多少の遠出になれば、それなりに子供用の荷物があるから・・・というのがその理由。
これ、意外に使えるワザだと自分的には思ってるんだけどね・・・。
『悲観・楽観』
普通に生活していても、仕事をしていても、うまくいく時もあれば、そうでない時も。
数年前、仕事で体を壊してから半年ぐらいは「こんなんでいいのかな・・・?」とか、「こんなハズじゃないのに・・・」と思う日が多く、それまで経験したことがない変な感覚のまま、時間だけが過ぎていた。
今思えば、それまで楽観的だった自分自身のコトに関して、初めて悲観的になったことが、その変な感覚を引き起こしていたのかな・・・と。
そんなある日、自分の意志に体がついてきてくれてるな・・・と感じ、これなら復活できるかも・・・という光明のようなものが見え、変な感覚も徐々に消えていったような気がした。
そして、先の視界が開けたような感じも・・・。
松下幸之助さんは、「楽観悲観が心に波打つのは、人としてやむを得ぬ姿。しかしお互いその刻々の思いにいささかとらわれすぎはしないか。」とおっしゃっているけれど、あの頃の自分は、正にそんな感じだったな・・・。

