昨日久々に母と会い、近況を聞かれ答えているうちに心屋で学んだ『心が軽くなる仕組み』を熱弁していた
私は近年母に会うと、気付けば時間を忘れる程に、このパターンを繰り返している
そして大体、難しい顔で聞き続けた母の
「まぁ あなたが幸せならそれで良いけど」
で終わり、長時間話した頭と喉の疲れが残る…
祖母が生前、母に「あんたの人生は“苦労”だったねぇ」と言ったそうだ
私も散々、苦労話を聞かされた
心屋を学んだ今、頭では『母が望んで生きてきた道』だということは分かっている
その苦労があったからこそ、培った経験、乗り越えてきた自信、達成感というものがあるのだろう
今更「楽してお金が入ってもイ~♪」を本気で目指す娘の言葉を笑顔で聞ける訳無いか…
助けたがってるかも、共感したいのかも、
認めてもらいたいのかも…
分かってる、ただ、どうしても話したくなる
それなら、話せば良いさと自分に許可してきた
昨日は話の途中で母が
「それ、Aちゃんにも話したの?」
と聞いてきた
Aちゃんはド後者で、30年来の親友、でした。
ド後者には心が軽くなるかと思って、以前心屋の前者後者の話をしたら「もう連絡取りたくない」と縁切りされたのね
とても辛かった出来事
それは母にも伝えてある
それでさっきの質問ということは
母には、心屋の話は限界なんだな
私が、母に、言わせたんだな
とても悲しいけれど、寂しいけれど、
これで終わりに出来る
手放してまた、自分を追求する日々