『W杯敗北 -まずは「ジーコ」を語れ-』
2006年7月12日 東京新聞(夕)「スポーツが呼んでいる」
友人、知人の多くが、ジーコ監督率いた日本代表のあっけない敗退を的中させた。
なぜか。
筆者の周囲にラグビー好きが多いからだ。
こちらのフットボールのワールドカップ(W杯)では、15年前の大会を最初で最後に白星はない。
つまり根拠の薄い「期待」の危うさを熟知している。
「ラグビーでくっきり起こる事態がサッカーではやんわり起こる」。
これが結論である。
海外列強との体格差はラグビーにおいては自明だが、サッカーではつい忘れがちになる。
競技の性質上、ラグビーなら防波堤が決壊するところを持ち応えられる。
そもそも得点は簡単に入らない。
危険な兆候があっても、相手のコンディションによっては「引き分け」か「惜敗」か「辛勝」に収まってしまう。
今回、開幕直前のドイツとの親善試合は2-2だった。
ほぼベストの布陣の開催国と引き分けた。
これを機に、多くの論調は「期待できる」にさらに傾いた。
後出しジャンケンみたいだけれど、個人的にはあの試合をテレビ画面に見て「日本はオーストラリアに負ける」と確信した。
開始後、疲れの目立ったドイツがまだ元気な時間帯、日本の攻撃はまるで通用しなかった。
戦術や技術以前、肉体の迫力があまりにも違う。
「大人と子供やんけ」。なぜか関西弁が声に出た。
「サッカーもラグビーと変わらないんだ」。
そして思った。
「体の強さにここまでの差があってはジーコの方法じゃ無理だ」
ドイツ戦の後半、日本は素早いパス回しから2ゴールを挙げた。
だが動きの鈍いドイツは、恥はかけないと重い体にムチを入れて連続2ゴールを決める。
これもラグビーでいつか見た光景だ。
思わぬ苦戦に「まずい」と感じた強豪が簡単に追いつく(ラグビーの場合は逆転する)。
これこそは実力に大きな開きのある証明である。
本番で、相手が心身のコンディションを整えてきたら惨敗する。
クロアチア戦も負けると読んだ。
引き分けたのは、サッカー界が積み上げてきた「国力」のおかげだろう。
ブラジル戦完敗で帰国後、ジーコ監督の総括は「体格の違いを強く感じた」。
それを言っちゃオシマイなのだが、これまたラグビーのファンなら、どこかで聞いた言い回しである。
今回のサッカー代表を論ずるに際して、つい「日本人の精神構造こそが敗因」という意見も出てくる。
シュートよりパスを選び、決戦に闘争心はみなぎらない。
それは教育や文化のせいだ…」というような。
しかし、それはスポーツの外側の問題だ。
断言できるが、4年後のW杯で、日本のサッカー選手がいきなりエゴイズムを充満させて、1対1の血なまぐさい争いを本能的に好むようにはならない。
それでも日本の選手の中では強気のシュートを打ちまくり、ふてぶてしく駆け引きをする者を選ぶのは可能だ。
今回も可能だった。
「そういう日本人」に合致した戦法を打ち立てるのが代表監督の務めであり、それはスポーツの内側の問題でもある。
日本のラグビーはW杯敗北後の厳格な「レビュー」から逃げてきた。
長い停滞はそのせいである。
ぜひともサッカー界は「恥部すらも記録に刻みつける」覚悟を抱くべきだ。
イタリアでなく、ジダンでなく、オシムですらなく、まずはジーコについて語り尽くすのである。