「辞めるのやめていいんだよ」


「就職先探すの大変だよ」


「一緒に頑張ろうよ!」


残る組の、私が見習いたい人生の先輩達に、引き止められつつ…


「でも、6人辞めただけで今月の夜勤回数が跳ね上がって、また新しく入ってくる職員もいない」


「なのに入居者は増えるみたいだし、私だけが増えた夜勤ではなく、みんな精一杯めいっぱいやってのこの回数。私はもう無理ですって夜勤減らすわけにもいかないほど、人数は足りていないのに、残れば子ども達が困ってしまう。」


猶予期間なしで、即失業手当が頂ける状態なので、不登校&昼夜逆転になった息子に向き合う事が出来る。


そして、時々LINEで「また倒れちゃった~」と連絡が入っていた事も、気になる要素の一つだった。


一度きちんと検査しなくては。


9月末に、中学校の学校祭もあり、その前日から準備があったため、休みを取っていた。


これでも役員をやっている。


子どもが学校いってないのになんで?物好きね~と思われるかもしれないが、休んでるからこそ声がかかった時は引き受けることにした。


子どもが行かない代わり…ではないが、学校との関わりを少しでも自然体で作りたかったから。


不登校のため、担任とのやりとりが唯一の繋がり、にだけはしたくなかった。


役員会、運営会議、市P連、それは、教員、親、ほかの学校との繋がりと、幅広く関われるから。


長男の時に初役員になり、その後今年で9年目。


小学校中学校は事務局、高校は学年委員長だったので、あまり組織の上にいたわけではなかったが、足繁く通うという行動は、色々な面で私を成長させてくれたと思う。


話が逸れたが、役員会が学校祭のバザー部門を仕切るため、月末の本番と、その前日準備のため仕事は休みを取っており、その前日は夜勤明けだったため、本当の退職日より、3日近く早く行かなくなっている。


きちんとご挨拶出来なかった入居者が殆どで、心苦しい気持ちでいっぱいだったが、まだ働いてる職員に、様子も聞けたり、家が近いので、窓越しに見かけたりはしている。


そして、10月の初旬、ケアマネの試験があった。


全然、ホントにまったく勉強出来なかったので、試験会場の雰囲気だけ掴んでこよう。と思い、挑んだ試験。


結果は、半分以上は取れてたよ(点数)


まぁ、不合格には間違いないけど(笑)


そんなある日、また次男が倒れた。


私の目の前で。


バターン!!!


駆け寄った。


体は硬直。


目は見開いてるが焦点が合ってない。


思わず摩る。


少しして、(多分1~2分くらいかな?)力が抜けたようになり、大きく息を吐く。


体育座りになり、頭を下げていた。


具合悪い訳では無い。


でも、「あっ!」って思ってから(思った時はもう、時すでに遅しらしい)体の力が抜けるまでは、覚えてない。
意識がないというのだ。


倒れたと連絡が来た時、私の中では貧血でも起こしたのではないかと軽く思っていた。


起立性調節障害と言われたこともあった為だ。


その日すぐではなかったが、脳神経外科に行き、脳波やMRIなどの検査をした。


てんかんを疑った先生が、違う曜日で医大からてんかん専門医が来るから、その時またこの結果を見てもらった方がいいね。


と言われ、翌週再受診。


精密検査を受けた方がいいかな?
改めて連絡させるのでその時日程を調整してほしいと言われる。
毎日毎日、悩む…


どーする?


一度退職して、仕切り直す?


でも、次行く先は、今以上の給料貰えそうなとこじゃないと、転職の意味無くない?


ケアマネの試験がもう少しだよ。
勉強にあてる?


悩んで、よし!やめて勉強!って思った矢先に、主任ケアマネやってる本社の人から、色々と諭されて、残ることに決めた。


その時は。


頑張るぞと思っていた。


そんな7月。


そしてまたその考えが覆される。


延び延びになっていた、受け入れ先との面談。


今後、給与形態はこんな感じになります。
悪くは無いと思います。
と…
破綻した会社に対しての不満や愚痴。


そんなの一職員に話したところでどうにもならないのに。


自分を下げる行為言動だと感じた。


そして、破綻した方の会社もまた、自分達が放り出したものを受け取ってくれた会社に、嫌がらせをしていた事がわかった。


お互いがお互いを憎み、嫌がらせをし合う。


表面的には、そこに暮らす入居者が不自由しないように、不安にさせないように。
そしてまた職員達も、生活が壊れないように、最善を尽くす。


と、言いつつお互いが譲らない為、引き継ぎが上手くいかず、9月から心機一転が、1ヶ月延びた。
そして、本当に1ヶ月で済むのか、更にはまだ先まで引き伸ばされるのではないだろうか。


それは未定。


面談時、延びた1ヶ月分の給料は、出せるんですか?
ウチは二馬力ではない。
夫がいるなら、何とかなるかと残る気持ちの方が強かったかもしれない。
でも、ウチの場合は私の収入で生活をほぼ賄っているので切実なのだ。


回答は、1ヶ月ならなんとかなるみたいです。


ただ、それ以上延びたら解りません。


解んないのかーい💦


また悩む…


頑張ったけどやっぱりダメでしたってなるのだけは、困る。


そして、8月のある日、課長に辞めたい旨を伝えた。


困ると言いつつ微笑んでおり、あんまり必要とされてないのかも…
と思うと、なんだか結構スッキリとした。


雇用保険を掛けて1年1ヶ月。


1年を過ぎていると、私の年齢ならホントならば、90日の失業手当になるのだが、会社の破綻となると、変わってくる。


150日。


5ヶ月は、猶予があることになる。


8月一杯で退職した人が沢山いたので、9月の私のシフトはグチャグチャだった。


夜勤が9回。


日勤帯が3回しかない。


次男は、いつしか不登校になり、昼夜逆転が戻せなくなっていた。
やっと保険証が来て、それまで受診した病院に保険証を見せに行ったり、FAXを送ったりと一通りの事が終わる。


日に日に入居者が増え、2階のみの入居者(41部屋)が埋まりつつあり、いよいよ3階もプレオープンする事になる。


プレ…と言うのは、職員が専属で回れるだけ居ないため、今いる職員で回して見ていかなくてはならないため、職員と入居者の人数が、満たされると正式にオープンとするようだった。


回し方、今後の方針、大きい事、些細な事全てがオープンメンバーが仕切り、こちらの意見は軽く見られ、イライラが募る。


そんなある7月中旬。


私は癌センターの検診の帰り道。
計画作成者からLINEが入る。



「なんか大変なことになったよー」


私も兼任するため、その人について勉強しだして間もない頃だった。


なんだろう…
なんかミスした?
いや、そんな覚えはないな…


自宅のすぐ裏が職場なので、自宅に戻らずまっすぐ職場へ向かう。


その人の元へ行くと、管理者(この頃にははじめの管理者はケアマネになっており、私にはじめに夜勤を教えてくれた人が管理者になっていた)もおり、一枚の紙を見せてくれた。


中には、この建物だけでなく会社自体が破綻した事が書いてあった。


そして、既に受け入れ先も決まっているという内容だった。


その日の夜に、同市内の有料老人ホームとグループホームの職員もうちの職場に集つめられ、弁護士と、受け入れ先の担当社員から、説明があると聞かされた。


弁護士の話によると、8月いっぱいでここの経営者が代わり、9月から名前も新たになる。
職員は希望者はこのままここで働ける。
給与形態も変わらず、収入は減ることは無い。


介護士の人数把握を国に出さなくてはならないため、今後変わるかもしれないけど、今の自身の気持ち(辞めるか辞めないか)を、後で渡す書類に記名し、判を押してほしい。


とも言われた。


さて、ケアマネ取るまで辞めないと決めて気持ち入れたところで、この事態。


どうしたもんかと頭を抱えた。