インドネシアはジャカルタからこんにちは、加藤ひろあきです。

5月3週目の週末、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

 

今日から先日の記事に書いていた通り、「インドネシア音楽紹介シリーズ」を始めていきたいと思います。

 

どんな経緯でこれを始めることになったかは先日の記事をご覧くださいませ。

 

 

当面、手探りでやっていくことになりますが、どうぞ温かい気持ちで応援していただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします!

 

では早速、始めていきましょう!

 

記念すべき第一曲目を何にしようか迷っていて、うちの奥さんのバンドMOCCAの曲にしようかなーとか、自分の曲にしちゃおうかな〜(笑)とか思ったんですが、全然違う角度から書くことにしました。

 

というわけで、インドネシア音楽紹介シリーズ第一弾はインドネシア国歌の「Indonesia Raya」です!!

 

いやいやいや、いきなり紹介するのが国歌?!

 

と、思われた方も多いかと思うのですが、まあまあ落ち着いて聞いてください。

 

この「Indonesia Raya」はもちろん現在はインドネシアの国歌として歌われている楽曲なのですが、元々はレコードとして流通した一曲だったのです。

 

この楽曲の作詞・作曲者は「Wage Rudolf Supratman(旧綴り:Soepratman)」で、表記としては「W. R. Supratman」と書かれることが多いです。

 

 

Supratmanは当時、上流階級を中心に嗜まれていた「Jazz」を演奏していた音楽家で、マカッサルにて「Black & White Jazz Band」を結成し、政府高官の家々で行われるパーティーなどで演奏していました。

ただメンバーそれぞれの活動が忙しくなりバンドとしての活動を終えてからは、ジャワ島へと渡り、中華・マレー系のメディア「Sin Po」のジャーナリストとして活動。「Sin Po」「Kaoem Moeda」「 Kaoem Kita」などの各種新聞に記事を寄稿していました。

 

この頃からSupratmanは国家形成や政治の世界に興味・関心を向けていくことになります。

 

このジャーナリスト時にインドネシアの未来を議論する「Kongres Pemuda:青年会議」に記者として出入りしていたことが、彼が作詞・作曲した「Indonesia Raya」が国歌となるのに大きな影響を及ぼしたと言われています。

 

そして「Indonesia Raya」は1929年Batavia(現在のJakarta)のPasar Baru地域を拠点にレコード制作・流通をしていたレコードレーベル「Tik Tek Hong」にて録音され、流通したと言われています。この時点で「Indonesia Raya」の著作権は「W. R. Supratman」の手によって握られることになります。

 

そこからオランダ占領時代、日本植民地時代とこの楽曲の演奏・歌唱が禁止されるということもありましたがレコードとして形になっていたことは大きく、その存在は認識され続けていました。

 

 

こちらは1945年製作の映画内で使用された映像と音楽ですが、観て頂ければわかるように歌詞は3番まであります。
 

現在、国歌が歌われる際は1番のみが歌われて2番と3番が歌われることはありませんが、この機会にぜひ歌詞も見てみてください。

 

この楽曲が正式にインドネシアの国歌と制定されたのはインドネシア独立後の1949年。この際に前述の著作権の問題が発生しており、当時の大統領であったスカルノ大統領はSupartmanの著作権を正式に継承している指定相続人であった4人の姉妹に著作権料として当時の価格で25万ルピアを支払ったとされています。

 

こうして晴れて著作権問題もクリアになり、正式に国歌として制定されることになりました。

 

ちなみに劇団四季が2013年に上演したミュージカル「南十字星」の中で「Indonesia Raya」の日本語版が披露されています。その映像がこちら。

 

 

インドネシアがその独立を勝ち取る為に戦い、その中で歌われ、国民の士気を高めていたのがこの「Indonesia Raya」で、インドネシアがインドネシアとして産声を上げるまさにその歴史に寄り添った楽曲とも言えます。

 

そんな「Indonesia Raya」を作ったW. R. Supratman自身はインドネシアの独立をその目で見ることなく、1938年8月17日未明スラバヤにて息を引き取っています。享年35歳でした。

 

その後インドネシアが独立を宣言するのが1945年8月17日、奇しくもSupratmanの命日と同じ8月17日にインドネシアという国がこの世界にその名を刻み始めました。毎年、8月17日は独立記念日であると同時にW. R. Supratmanの命日でもあるのです。

 

ちなみにですが、Supratmanの誕生日は加藤ひろあきと同じ3月9日です!

#おおおお!!!


インドネシアではSupratmanが誕生したこの日を記念し、3月9日を「ナショナルミュージックデー:インドネシア音楽の日」としています。

 

それでは最後に現在、国歌として演奏されている「Indonesia Raya」を貼っておきます。

 

 

Indonesia, tanah airku, tanah tumpah darahku.
Di sanalah aku berdiri, jadi pandu ibuku.

 

インドネシア 我が祖国
我等の生まれし故郷
我等は立ち上がる
この母国を守るために

 

Indonesia, kebangsaanku, bangsa dan tanah airku.
Marilah kita berseru, "Indonesia bersatu!"

 

インドネシアは我らのもの

我等の国のもの、我が故郷のもの

さあ、我等ともに叫ぼう

"インドネシアは一つ!"だと

 

 

Hiduplah tanahku, hiduplah neg'riku,
Bangsaku, rakyatku, semuanya.
Bangunlah jiwanya, bangunlah badannya
Untuk Indonesia Raya!

 

我が祖国万歳、我が地に万歳
国民、人民すべて
心も体も目覚めさせろ
偉大なるインドネシアのために

 

CHORUS:

Indonesia Raya, merdeka, merdeka
Tanahku, neg'riku yang kucinta.
Indonesia Raya, merdeka, merdeka
Hiduplah Indonesia Raya!

 

<コーラス>
偉大なるインドネシア 独立 そして自由
愛すべき我が祖国よ
偉大なるインドネシア 独立 そして自由
栄えよ!偉大なるインドネシア!

 

僕も色々なイベントのMCをやる際にこの「Indonesia Raya」を聞いたり、歌ったりするのですが、自分の母国の国歌ではないにも関わらずいつも高揚感を感じ、感動があります。

 

様々な場面でインドネシア人が涙を流しながら国歌を歌っている映像や場面に出くわしますが、それも独立を目指し戦ってきた歴史が歌詞とメロディーから滲み出る楽曲だからに他なりません。

 

あまりインドネシアの国歌を改めて聴く機会はないかもしれませんが、この機会に改めて味わってみてください。

 

というわけで、インドネシア音楽紹介シリーズ第一回目はここまで。

何か間違っているところや足したいことがあれば、また後日加筆・修正していきたいと思います。

 

ってか、毎回こんながっつり書いてたら気力が続きそうにないので、次回からはもっとラフに書いていきたいと思いました(笑)

 

次回からはもう少し最近の楽曲に触れていきたいと思います。

 

それではあなたにとって、

今日が昨日よりちょっとでも良い日でありますように。

 

ひろ。

 

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2022年3月9日より加藤ひろあきのオンラインサロン「インドネシアよりテリマカシBanyak」がスタート致しました!

 

 

 

「インドネシアよりテリマカシBanyak」はインドネシア・ジャカルタにて、ミュージシャン、俳優、MC、小説・楽曲の翻訳など幅広くエンタテインメント活動を行っている加藤ひろあきが、インドネシアで感じる日々の想いをダイレクトに伝え、そしてこれから取り組むプロジェクトを構想段階から共に考え、創りあげていく会員制のオンラインサロンです。

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