本編に入る前に告知をさせてください。
加藤ひろあきの2017年発売の1st Album「HIROAKI KATO」の収録曲が全曲、歌詞付きでYouTubeにてお楽しみいただけるようになっています。
是非、皆さんの日々のお供によろしくお願いいたします。
さて、今日は先月から毎日せっせせっせと行っているインドネシア小説「Laskar Pelangi:虹の少年たち」について書きたいと思います。
この小説がどんな話で、2013年に一度出版したはずの「虹の少年たち」をなぜまた翻訳しているのかは以前にもお話ししたので、よかったらそちらを参照してください!
とはいえ、「前の記事読むの面倒くせーよ」って方もいるかと思いますので、簡単に説明しますと、、、
2013年に出版した日本語版「虹の少年たち」は絶版になってしまい、現在世の中に既に新刊は存在しない状態になっています。
一人でも多くの方に届けたいのに、買えるのはAmazonでの中古のみ。
これは状況的に悲しい。何とかしたい!!
と思っていたところに、著者のアンドレア・ヒラタさんが「新版ラスカル・プランギ」を発売し、これを翻訳することで、日本で改めて「新版:虹の少年たち」として再び出版できるかもしれない!という話が立ち上がったという訳です。
#簡単に説明できるなら最初からそうしろ
この世の中にどれくらい一度翻訳した小説を改めて翻訳し直すチャンスをもらえる人がいるかはわかりませんが、僕自身とても幸運なことだと感じています。
前回の「虹の少年たち」は2012年から2013年にかけて、共同翻訳者で上智大学の文化人類学教授の福武慎太郎先生と一緒に、およそ一年かけて必死に訳して出版をしました。
じっくり時間をかけて翻訳内容を吟味し、検討を繰り返し、編集者の方にも何重もチェックして頂いたにも関わらず、読み返すとやっぱり「ここの表現はこうすべきだった!」とか、「ここはもっとうまく伝えたかった!」とか、「単純に訳し間違えてるやんけ!」といった箇所があるんですね。
隠しても仕方ないので白状します。翻訳者としてはあってはいけないことなのですが、僕にとって翻訳者としての処女作だったあの「虹の少年たち」にはそういったミスがあったのも事実です。
一生懸命取り組みましたが、それが結果です。
そしてその結果から多くのことを学ばせて頂きました。
これまで、間違いを指摘してくださった方々にも感謝したいです。
テリマカシ。
それでもやり遂げたことに意味があり、あの小説を日本語で出版できたことは何にも変えがたい喜びでした。
そしてそれを多くの方が手に取ってくださり、実際に読んで、あの物語の中に入り込んでくれたのがまた嬉しかったのです。
僕ら現代人が忘れかけている、なにか大切な、心の底から湧き上がってくるようなパッションやパワーがこの「虹の少年たち」という小説には溢れています。
そして現在、僕が翻訳している「新版:虹の少年たち」
大枠のストーリーはそのままに、さらに面白く、読みやすくなっています!
現在、285ページ中223ページまで進んできました。
これを話すと嘘だろって言われるんですが、、、
僕、翻訳しながら笑ったり泣いたりしてるんですよね(笑)
この小説には、とにかく毎日を・毎瞬間を一生懸命生きていた子供の頃に流れていた底知れぬ、純粋なパワーが詰まってるんですよね。
だから、登場人物たちの喜怒哀楽が大人になって少し曇ってしまった僕らの感性や感情に強く訴えかけてくるのです。
それを一文一文、一文字一文字日本語に訳して打ち込んでいく。
いつかこれを読んで、同じように力をもらう人を想像しながら。
翻訳は本当に時間がかかるし、正直あんまりお金にもなりません。
インドネシア小説の翻訳でご飯を食べていくことは到底できません。
それもいつか変えられればいいのですが…、それでも翻訳の灯を絶やさずにチャンスがある限りライフワークとして続けていきたいと思っています。
もちろん、自分が訳したからには全力で「この本を届ける」ということにも取り組みます。それが翻訳して出版する自分の責任でもあると考えるからです。
どうやったら一人でも多くの方に届けらるのか、それはまた翻訳をしながら頭を捻って、このブログ上でも共有しながら、これを読んでくれているあなたの力も借りながら、頑張っていきたいと思います。
まずは全力でこの翻訳を終わらせて、内容の検討・編集の段階に入れるように気合入れたいと思いますので、応援よろしくお願いいたします。
まだまだこの本と向き合っていきます!!
というわけであなたにとって、
今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。
ひろ。