ERからICUへ | 台湾で着物を楽しむ♫ hirokoの海外ブログ 〜4度目の結婚生活と着物のこと〜

台湾で着物を楽しむ♫ hirokoの海外ブログ 〜4度目の結婚生活と着物のこと〜

4度結婚したオンナの、「幸せ」の追求と日々。
5年間のタイ、バンコク生活から2018年末に台湾、台北に移住し、海外生活続行中です。
日常着として「着物」を愛用、旅行含め「着物」に関するあれこれを綴っています。
ライター・ラジオD J は、しばらくおやすみです。

深く眠っていたようだ。


夕方私は自宅に戻ってきた。


昨日から長い時間がたっていた。



夜間救急ERから


昼過ぎにICUへ移され、


「オペになる」のを待ち続けた。



その間に

入院の手続きをし、

指定された諸々を病院に併設された薬局で

買い揃え…







日本の病院のイメージだとまるで伝わらないだろうが


この病院は敷地が広い上 何棟もビルが連立し、

ちょっとした町がすっぽり入ったような場所で


道を横断するための地下道へのエレベーターやエスカレーターが (普通は階段)

大袈裟にそこにある…


伝わる?


とにかく「大きすぎる」病院だ。



入り口の始まりから向こうの棟まで行こうとしたら、バス停を探したくなる、タクシーを使うのか聞きたくなるくらい広い。


敷地内にデパートや駅近にあるフードコートがそのまま入っているのにその存在感に気づかないくらい、そのほかの建物が多くて大きい。



薬局からICU(これもたくさんありすぎる)

まで、何度も迷いながら戻った。





台湾人の病院関係者の友人の話してくれる内容と、

ドクターが英語で話す内容と、


同じようだが


まるで違う

病状、病名、今後の流れに



うなずきながら

ただ待つしかない時間が流れた。



命に関わるほどの危険な状況なのか

少しは息がつける状況なのか


まるでわからない中で


本人(夫)だけは、いつものように飄々として

ベッドに横たわり


3回も病院服を着替えさせられ

(背中丸見えの映画でみるやつ)

腕にたくさん管をつけられたまま


携帯をいじっていた。



意識もあるし話も出来るのが

事の重大さを 信じがたくさせていた。




午後

3時になっても


オペ待ちの状態は続いていたが


ICUには

家族すら居られず


自宅に一度戻るよう告げられ…





自宅に着いた頃、また病院に来るよう電話がなったり、再度今日は来なくて良いと言われたり



日本の夫の家族に報告しなくちゃいけなかったり


予定を全てキャンセルする連絡をしなくちゃいけなかったり


それほど近しくない人に何故かオペになるのかならないのかを問い詰められたり(多分そんな感じではなかったのを問い詰められた と私が感じただけかも)



重大な局面なんだろうけど

痛みに強い本人は軽口たたく?し、


本当によくわからないから

病状の説明のしようがないのを




説明しようとして

混乱するし





いっぱいいっぱいで



泣いた。





そして眠り

目覚めた。





本人(夫)から

呑気に


メッセージが入っていた。



オペせず

山はこえたみたい???


これもまた聞かされていた事と

話が違っていて

混乱する。







明日病院に行くにも


身内でも


予約を入れないと

入れてもらえない。



コロナ禍だからではなく、


「リカ」や「火サス」のように

病室に入って、病人に勝手に薬を打ったり

管を外したり、

枕で顔を押したり


されないように、なんだそうだ。




一般病棟では身内がずっと全ての面倒を見るらしいが、

ICUだと身内なのに


予約制で、しかも時間が決められた1時間以内しかない


というルールに従い


今からアプリで予約する。


(とは言え、病人のそばにずーっと付き添えないだけでなんやかや、呼ばれたり待たされたり、何故か病人のところで、話せたりできるのが謎

初日だからか?日本人だからか?病院関係者と一緒だからか?危ないからなのか?)




そういえば

お腹になにもいれてなかった。

(嘘、一回病院内のスタバでパンを食べたんだ)



昨夜から24時間



空腹を初めて感じる。




深夜から明け方に飛んできて


今日も1日一緒にいてくれたCarol


また明日も朝には来てくれると言ってくれた。




ありがとう。

朝はすぐそこ。