本当に久しぶりに、身体を動かした。
バンコクに来る前と後で、既にレッスンを中断してから、早4年…。
オトナになって始めたバレエ。
子ども時代に憧れたまま、その気持ちを形に出来たのはとうに30を過ぎた頃だった。
しなやかさとは程遠いぶざまな姿が鏡に映るのを見ては、意気消沈し…。
うまく立てない、回れない事にイラつき…。
頭で理解出来る事と身体が連動しない度に、何故私は、幼い頃からバレエをしていなかったのか?という今更どうしようもない後悔の念に押しつぶされそうになるのだった。
それでも、頭を空っぽにして、自分の筋肉の動きだけに集中する時間は、紆余曲折、2度目の離婚や3度目の離婚で受けたであろうダメージを軽減するにはもってこいだった。
何より、楽しかったのだ。
滑らかなクラッシックの調べにのって、(のれずにカクカクしていたけど)身体を思い切り動かす。
先生の見せてくれる、手をひらいただけで、首を少し傾けただけで、そこの空気が変わるような動きの美しさ。
少しでも近づきたい一心で、目で追い、意識を集中させる。
多分、現実から逃避出来る、夢の世界だった。
私はあの数年間、バレエに救われたのだ。
下手なりに、たくさんのスタジオジプシーを経て見つけた場所は、基礎をキチンと教えてくれる場所だった。
数人の素晴らしい師と出逢い、私はどっぷりとその魅力にはまって行った。
ぶざまながらも、少しずつ出来ない事が出来ていく楽しさは格別だった。
憧れのポワント(トウシューズ)も、自分の弱点を強化する、さらに相性のよいものと、幾つ目かで出逢えた。
が、
いつしか私はレッスンに行かなくなった。
行きたい思いは、常に頭の片隅におきながらも、すっかりその生活は変わっていった。
何故なら、片時も離れたくないと思う相手のそばで、その関係を強固なものにするべく、私の生活の全てを変えたからだ。
今思うと、よくぞ、その窮屈さを乗り越えてくれたものだ、と今の夫の忍耐強さを尊敬する。
だが、あの時のあの時間の全てが、今を作ったと信じている。
そうして、私の生活はさらに変化をし、バンコクへと居を移した。
身体を動かしたい、と思いつつ、なかなか腰が上がらず…更に月日は過ぎた。
そして、とうとう、4年も経った今、
レッスンを再開する気を行動に移した。
やるやる詐欺のような数年間‥。
トライアルレッスンさえ受けていなかった。
実現するはずもない。
やってみたい
やりたい
という思いは口先だけでは実現しない。
具体的に動いてこそ、なのだ。
逆を言えば、本気でない間は口先だけ。
結局は、行動なのだ。
せっかく行動に移したからには、一回で終わらせない為に、出来るだけ通いやすい環境と時間帯を求めたいのだが、そううまい事にはいかない…。
今後見つかるかもしれないし、わざわざ通いづらい中行く事に意義を見出すかもしれない(笑)
楽しかった。
ヘロヘロになりながらも、
楽しかった。
4年動かさなかった筋肉は、あちこち固まっていて、案の定鏡に映る私はぶざまだった。
それでも、嬉しかった。
シューズで床をこする感触。
バーを離し、バランスをとる感覚。
全てが喜びに満ち溢れていた。
おかえり、と言われたようだった。
以前のスタジオの、懐かしい美しい先生とは打って変わって、
強烈なフランス人(生徒の一人から、ゲイだと聞かされた)の、
タイ人の話す英語と同じくらい、聞き取りにくい英語が飛んでくる。
振り付けの言葉を理解しようとしている間に、先に進んでいく。
それでも、
楽しかった。
「好き」なんだ。
下手だろうとなんだろうと、「好き」なんだと、改めて心の底から感じた。
人は年をとる。
今更バレエ?とも思ったりする。
でも、いいじゃないか(笑)
好きな事を
身体が、全身が喜ぶ事をもっと、もっとたくさんしよう。
思い切り跳んで、跳ねて、そうして、愛おしい人のもとに帰ろう。