で、大切にしているいくつかのポイントの一つ。
「人は確かなものを立証しようとはしない
人は不確かなものを立証しようとする」
理論や方法論、これらの始まりは、基本的に不確かなものである
それ故に、確かなものにしようと努めた結果、あるポイントに着地したもの。
結果、それもまた不確かなもの。
完璧な方法論などない。
絶対にまっすぐ打てる方法なんてない。
でも、絶対にスライスが打てる方法はある。
でも、そのスライスをどのくらい曲げて、何ヤード打つのか、、と
突き詰めていけばまた、その方法論はまた不確かなものとなる。
他人のボールがなぜ曲がったかを立証することは、ある程度ゴルフの経験があれば誰にでも立証できる。
「クラブがアウトからきているんだよ」
「そんなに力んじゃだめだよ」など、、
でも、他人のボールがまっすぐ飛んだ場合、多くのゴルファーは「まぐれ」だという。
その人が打ち放ったボールは完璧でも、その人のスイングがまっすぐ飛ばなかった際の
スイングと大きな変化がないことを知っているからである。
一方、多くのゴルファーが自分がまっすぐのボールが打てた時に「わかった!」と言う。
そして、饒舌になぜ自分がまっすぐのボールが打てたかを語り始める。
「やっぱり右脇が重要なんだ!」
「今のは頭が残ったいいショットだった」
しかし、それが永遠に続くことはないのである。
そしてまた不確かなものとなる。
パッティングもしかりである。
カップをわずかに外れた、非常にいいストロークのパッティングを嘆いたかと思えば
付け焼刃の思い付きでストロークの方法をわずかに変えた時、たまたまカップインしたとなれば
世界中の誰も知らないパッティングの極意を編み出したような気持にさえなる。
自己も他人から見れば「他人」なのである。
不確かなものはどこまで行っても不確かなものであると認識するところから
「安定」という「諦め」や「悟り」のようなものに一歩近づく。
ナイスショットは続かないものだと理解して初めて
ミスショットも続かないという事を知ることが出来る。
「こうすれば絶対にミスはしないんだ」
などと思っているうちは、一向に上達には向かわない。
話は遠回りになりましたが
私は、曲がる原因がどこにあるかではなく
そのスイングでもなぜ「たまには」ナイスショットが打てるのか
という点にまずスポットライトを当てるように気を付けています。
その点を見抜くことを優先すると
ゴルフレッスンの最大の特徴である
「一つを治すと、二つ悪くなる」
という点は少なくとも減少させることが出来る。
一つの動きに数千もの筋細胞が関与している。
それを全て「意識的」に行うことは不可能。
悪いスイングを繰り返し練習しているうちに、
その問題点を「肉体」が自動的に修正してくれる。
そうして成り立っている「自己流スイング」
そのシルエットが個性的なものであれ、プロのような美しいものであれ
反復練習による、なんらかの「自動修正」が行われていることは事実。
自動修正が発生せずに球が曲がるのか
自動修正が過度に発生して球が曲がるのか
いずれにしても、「肉体」を信じていないため発生することである。
それ以前に根本のスイングがダメだから、、
そう思っているのであれば、きっとあなたの言う
「根本のスイング」が完成されたとしても
その時きっとこう言うでしょう。
「このスイングは間違っていた」
「このスイングは自分には合っていない」と、、
では、どのように上記の問題点をクリアしていくのか。
それがまさに
「無意識の意識的コントロール」
意識的に行う事の処理能力の低さと、無力さにいち早く気づき
無意識化で行なわれる「自動修正」の処理能力を高めてあげるか
また、その負担を減らしてあげることができるか。
ここにスポットを当てることが出来れば「等身大」のパフォーマンスが出来ます。
練習すればスコアは良くなるし
練習しなければスコアは悪くなる
これが等身大のスコア
肉体の反応に集中すれば出来る可能性は高まるし
意識の支配下でゴルフに向き合えば出来ることはわずかとなる
体験してみたい方は
g-coach 和田泰朗 で検索です(^^)
「人は確かなものを立証しようとはしない
人は不確かなものを立証しようとする」
理論や方法論、これらの始まりは、基本的に不確かなものである
それ故に、確かなものにしようと努めた結果、あるポイントに着地したもの。
結果、それもまた不確かなもの。
完璧な方法論などない。
絶対にまっすぐ打てる方法なんてない。
でも、絶対にスライスが打てる方法はある。
でも、そのスライスをどのくらい曲げて、何ヤード打つのか、、と
突き詰めていけばまた、その方法論はまた不確かなものとなる。
他人のボールがなぜ曲がったかを立証することは、ある程度ゴルフの経験があれば誰にでも立証できる。
「クラブがアウトからきているんだよ」
「そんなに力んじゃだめだよ」など、、
でも、他人のボールがまっすぐ飛んだ場合、多くのゴルファーは「まぐれ」だという。
その人が打ち放ったボールは完璧でも、その人のスイングがまっすぐ飛ばなかった際の
スイングと大きな変化がないことを知っているからである。
一方、多くのゴルファーが自分がまっすぐのボールが打てた時に「わかった!」と言う。
そして、饒舌になぜ自分がまっすぐのボールが打てたかを語り始める。
「やっぱり右脇が重要なんだ!」
「今のは頭が残ったいいショットだった」
しかし、それが永遠に続くことはないのである。
そしてまた不確かなものとなる。
パッティングもしかりである。
カップをわずかに外れた、非常にいいストロークのパッティングを嘆いたかと思えば
付け焼刃の思い付きでストロークの方法をわずかに変えた時、たまたまカップインしたとなれば
世界中の誰も知らないパッティングの極意を編み出したような気持にさえなる。
自己も他人から見れば「他人」なのである。
不確かなものはどこまで行っても不確かなものであると認識するところから
「安定」という「諦め」や「悟り」のようなものに一歩近づく。
ナイスショットは続かないものだと理解して初めて
ミスショットも続かないという事を知ることが出来る。
「こうすれば絶対にミスはしないんだ」
などと思っているうちは、一向に上達には向かわない。
話は遠回りになりましたが
私は、曲がる原因がどこにあるかではなく
そのスイングでもなぜ「たまには」ナイスショットが打てるのか
という点にまずスポットライトを当てるように気を付けています。
その点を見抜くことを優先すると
ゴルフレッスンの最大の特徴である
「一つを治すと、二つ悪くなる」
という点は少なくとも減少させることが出来る。
一つの動きに数千もの筋細胞が関与している。
それを全て「意識的」に行うことは不可能。
悪いスイングを繰り返し練習しているうちに、
その問題点を「肉体」が自動的に修正してくれる。
そうして成り立っている「自己流スイング」
そのシルエットが個性的なものであれ、プロのような美しいものであれ
反復練習による、なんらかの「自動修正」が行われていることは事実。
自動修正が発生せずに球が曲がるのか
自動修正が過度に発生して球が曲がるのか
いずれにしても、「肉体」を信じていないため発生することである。
それ以前に根本のスイングがダメだから、、
そう思っているのであれば、きっとあなたの言う
「根本のスイング」が完成されたとしても
その時きっとこう言うでしょう。
「このスイングは間違っていた」
「このスイングは自分には合っていない」と、、
では、どのように上記の問題点をクリアしていくのか。
それがまさに
「無意識の意識的コントロール」
意識的に行う事の処理能力の低さと、無力さにいち早く気づき
無意識化で行なわれる「自動修正」の処理能力を高めてあげるか
また、その負担を減らしてあげることができるか。
ここにスポットを当てることが出来れば「等身大」のパフォーマンスが出来ます。
練習すればスコアは良くなるし
練習しなければスコアは悪くなる
これが等身大のスコア
肉体の反応に集中すれば出来る可能性は高まるし
意識の支配下でゴルフに向き合えば出来ることはわずかとなる
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